土 

  こッつん こッつん
  打たれる 土は
  よい畠になって
  よい麦生むよ。

  朝から晩まで
  踏まれる土は
  よい路になって
  車を通すよ。

  打たれぬ土は
  踏まれぬ土は
  要らない土か。

  いえいえそれは
  名のない草の
  お宿をするよ
 
 
 『みすゞコスモス…わが内なる宇宙』
矢崎 節夫・著  JURA出版局
【著者解説】
 人類を含めて、すべての動植物、鉱物も地球から生まれました。
 “地球は私たちのお母さん”です。
 この地球を生み出したのは宇宙ですから、“宇宙は私たちのおばあさん”です。
 地球というお母さんは、この世に一つとして無用なものをつくっていません。
 すべて、“いるだけで役に立っている”“存在するだけでいい”のです。
 ただ、人類という一番最後に生まれてきた私たちが、自分たちの兄弟や姉妹にむかって、これは役に立つ、これは役に立たないと、かってに区別しているのです。
 〔打たれぬ土は/踏まれぬ土は/要らない土か//いえいえそれは/名のない草の/お宿をするよ。〕
 地球というお母さんから見れば、何一つ無用な存在はないのです。
 私たち大人にとって、小さい人たちの存在も同じです。
 “いるだけで役に立っている”のです。
 “存在してくれるだけでいい”のです。
 大人のいうことを聞く、聞かないではなく、ましてや、勉強ができる、できないの問題ではなく、まず、“いるだけで役に立っている”のです。“存在してくれるだけでいい”のです。
 しかし、私を含めて多くの大人たちが、このことばをいってあげなくなりました。いえいえ、その理由すら忘れているのかもしまっているのかもしれません。
 「なぜ、小さい人たちはいるだけで役に立っているのでしょうか」
 「なぜ、存在してくれるだけでいいのでしょうか」
 小さい人たちがいてくれるおかげで、私たち大人は日々を過ごすことができるから、というのが答えです。
 もし、今、一瞬にして、この地上から小さい人たちが消えてしまったら、私たち大人は生き続ける力を、支えを、なくしてしまうことでしょう。
 大人が未来を夢見ることができるのも、世の中がこんなふうになるといいと願えるのも、また、歳を重ねながら、それでも自分をより魅力ある人にしたいと、自分自身を大事にできるのも、“私たちのいのちを確実に未来に運んでくれる小さな人たちがいてくれるおかげ”なのです。
 それなのに、こんな大事なことを、私を含めた多くの大人は、完全に忘れてしまっていたのです。
 私たちはいつの間にか、小さい人たちが存在してくれることのありがたさを意識することなく、当然、いるのがあたりまえと、一方的に思ってきたのです。
 そろそろ、このことに気づく時ではないでしょうか。
 私たち大人にとって、いえ、人類全体にとって、未来にいのちを受け継いでくれる小さい人たちは、“いるだけで役に立っている”のです。“存在してくれるだけでいい”のです。
 このことばを、大事な小さい人たちに、きちんといってあげられる大人でいたいと、反省を込めて思います。
 
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