第23章 名声

 職場は気が滅入るようなできごとの連続だった。レジデント(研修医)のひとりが遠慮がちに「個人的なことで相談があるのですが」といってきた。人間関係の悩みだろうと考えて、気軽にひき受けた。話を聞いてみると、そのレジデントは精神科から初任給1万5,000ドルという条件である地位への就任を要請されているということがわかった。就任すべきかどうかについて、わたしの意見をもとめにきたのである。
 上司のわたしは内心のショックと不信感を隠して素知らぬ顔をしていたが、わたし自身の月給は3,000ドルにも満たないものだった。女性にたいする偏見を経験したのはそれがはじめてではなかったが、あまりの差別に愕然とせずにはいられなかった。
 その後まもなく、ゲインズ牧師から新しい職場を探しているという話を聞かされた。病院の権謀術数にうんざりしていた牧師は、自分の教会をもちたがっていた。地域社会に真の変化をもたらすことに貢献できる場をもとめていたのである。病院におけるただひとりの盟友の支えがなくなるのは、わたしにとっても大きな痛手だった。
 家に帰り、キッチンに立ちすくんだ。砂を噛むような思いだった。このまま一介の主婦として生き、社会から消えてしまいたいと思った。しかし、そのささやかな望みさえかなえられなかった。『ライフ』誌の記者から電話がかかってきたのだ。記者は私が大学でおこなっている「死とその過程」セミナーについて特集記事を書きたいといってきた。わたしは大きなため息をついた。いうべきことばがみつからないときに、でてくるのはため息しかなかった。メディアの力についてなにも知らず、おまけに理解者がいないことに屈託していたわたしは、記者の申し出に「イエス」といった。わたしの仕事が人びとに知られるようになれば無数の人のいのちの質を変えることにつながるかもしれないという予感もあった。
 記者といっしょに取材の日程をきめると、わたしはセミナーに協力してくれる患者を探しはじめた。セミナーの当日はたまたまゲインズ牧師が出張で不在の予定だったので、患者探しはいつもにましてむずかしい作業になった。『ライフ』のことを聞きつけたゲインズ牧師の上司がしゃしゃりでてきた。その上司は野心的ではあったが、患者探しの戦力にはならなかった。
 どんよりと曇ったある日のこと、わたしは放心状態でがん病棟の廊下を歩いていた。ドアが半びらきになっている部屋になにげなく目をやった。ほかのことに気をとられ、患者探しをしていることさえ忘れていたわたしの目は、はっとするほど美しい娘の顔に釘づけになった。その顔をみればだれもが立ちどまってしまうほどの美貌だった。
 娘の目に吸い寄せられるようにして、病室に入っていった。名前はエヴァ、21歳だった。女優になってもおかしくない黒髪のその美人は、白血病で死をむかえようとしていた。それでもなお、エヴァは快活で社交性に富み、夢をえがき、冗談をいい、あたたかいこころをもっていた。婚約もしていた。「ほら、みて」指輪をみせながらエヴァはいった。エヴァにはまだ未来があったのだ。
 しかし、エヴァは自分の容体については正確に把握していた。死んだら埋葬はさせずに、医学校に献体してもらうといっていた。そして、自分の病状をみとめようとしない婚約者に腹を立てていた。「あの人は貴重な時間を無駄にしてるのよ」とエヴァはいった。「なんのかんのいっても、わたしはもう長くないんですもの」かぎられた時間をせいいっぱい生きたい、まだまだ新しい体験をしたい、エヴァがそう考えていることを知って勇気づけられた。セミナーに参加してくれるかもしれないと思い、その話を切りだしてみた。すでにセミナーのことを聞き知っていたエヴァは、ぜひ参加したいと答えた。死の床にある患者からこんな質問をされたのははじめてだった。
「白血病でも参加資格があるの?」
 むろん問題はなかった。しかし、そのまえに『ライフ』の取材のことを知らせておく必要があった。
「すてき!」エヴァはいった。「やってみたいわ」
 ご両親に相談したほうがいいのでは、とわたしは忠告した。
「その必要はないでしょ」エヴァがいった。「もう21歳よ。自分できめられます」
 たしかにそのとおりだった。金曜日、わたしはエヴァを乗せたストレッチャーを押して面接室に入っていった。ふたりとも、髪形のカメラ写りを気にしている、ただの女になっていた。セミナーがはじまるとすぐに、わたしの勘の正しさが証明された。エヴァはうってつけの被験者だった。
 まず第一に、ほとんどの学生と同世代だった。死が老人だけのものではないことを端的にわからせてくれた。また、エヴァの容姿がことば以上のものを語ってくれていた。白いブラウスとツイードのスラックスに身をつつんだエヴァは、カクテルパーティーにいくところかと思うほどに輝いていた。しかし、実際には死が間近に迫っていた。その現実をみつめるエヴァの率直さが参加者の胸を打った。「生存率が100万にひとつであることはわかっています」エヴァは告白した。「でも、きょうはそのひとつのチャンスについてお話したいのです」
 そう前置きして、エヴァは病気についてではなく、生きていられたらどうなるかについて話しはじめた。話題は学校、結婚、子ども、家庭、そして神にまでひろがっていった。「子どものころは神さまを信じていました。いまはわかりません」エヴァは素直にそういった。子犬がほしいこと、家に帰りたいことなど、そのときの気持ちをありのままにしゃべりつづけた。エヴァはためらうことなく、なまの感情をさらけだした。マジックミラーのあちら側でエヴァとわたしの言動を記録している記者やカメラマンの存在は、ふたりともまったく気にしていなかった。エヴァとわたしには事態が順調に進行していることがわかっていた。
『ライフ』の特集号は1969年の11月21日に発売された。わたしがまだ雑誌をみていないうちから病院に電話が殺到しはじめた。だが、エヴァの反応が心配だった。その日の夜、自宅に何冊かの雑誌が送られてきた。翌朝、早い時間に病院に駆けつけ、『ライフ』をエヴァにみせた。掲載誌が病院の売店にならび、にわか名士にされるまえにみせておきたかったのだ。ありがたいことにエヴァは記事を気に入ってくれた。ただ、世間のきれいな娘と同じように、自分の写真うつりには満足していなかった。
「いやだわ、写真はあまりよくないじゃない」とエヴァはいった。
 病院側はわたしたちほど有頂天になっていたわけではなかった。その日、最初に廊下ですれちがった医師はあざけるように笑い、下品な口調でこういった。「また宣伝用の患者探しですかな?」管理職のひとりは「死ぬことで病院が有名になった」とわたしを非難した。「われわれの評判は患者が治ることにあるんだぞ」管理職はいった。『ライフ』の記事はほとんどの病院スタッフにとって、わたしが患者を食いものにしていることの証明にすぎなかった。なんにもわかっていなかったのだ。一週間後、病院側は医師に協力禁止を命じることで、わたしのセミナーをつぶしにかかってきた。つぎの金曜日、わたしはほとんど空席の会場に立つことになった。
 面目はまるつぶれだったが、マスコミの力で動きだした事態を病院側がすべて無にすることはできないはずだった。ともあれ、わたしはアメリカで最大の、もっとも影響力のある雑誌に登場したのだ。病院の郵便受けはわたしあての手紙であふれ返った。わたしと連絡をとりたいという人ちからの電話で、交換台はパンク寸前になった。わたしはほかのマスコミからの取材を受け、ほかの大学での講演さえひき受けた。
 著書の『死ぬ瞬間』が出版されると、世間の関心はさらに高まっていった。著書は国内外でベストセラーになり、事実上、アメリカのすべての医学校や看護学校が重要な本であることをみとめた。ふつうの人たちも、いつのまにか「死の五段階」について議論しはじめていた。著書がそれほど熱烈に世にむかえられ、自分自身が有名人の仲間入りをすることになろうとは夢にも思っていなかった。皮肉なことに、その本を完全に無視した唯一の場所は、わたしが勤務する病院の精神科だった。それは、どこかほかに職場を探す必要があることを示す、あまりにも明白な徴候だった。
 周辺の状況は一変したが、主要な関心事が真の教師としての患者にあることは変わらなかった。とりわけ、『ライフ』に登場した娘、エヴァのことが気になっていた。大晦日に病室をおとずれ、エヴァがいないことに気づいたとき、その心配は極限に達した。退院し、ほしかった子犬を手に入れたとナースから聞いて、ほっと胸をなでおろした。しかし、ナースの話はまだ終わっていなかった。エヴァはその後、容体が急変して、いまはICU(集中治療室)に入れられているというのである。わたしはあわててICUに走った。待合室にエヴァの両親がいた。
 両親は、瀕死の患者の家族によくみられる、あの無力で悲しげな表情を浮かべ、待合室に座っていた。病院のばかげた面会規則が、愛娘につき添うことを禁じていた。ICUの規則によって、指定された時間内に、わずか五分の面会しかゆるされていなかったのだ。怒りがこみあげてきた。娘のそばにいて、支えになり、たがいに愛しあうのも、きょうが最後になるかもしれないではないか。待合室にいるあいだに娘が死んでしまったら、どうするつもりなのか?
 医師であるわたしはエヴァがいる部屋に入ることができた。ICUのなかで、エヴァは裸のままベッドに横たわっていた。天井からは異様にあかるい光が照射されていたが、エヴァにはその光を調節することも、そこから逃げることもできなかった。生きた姿のエヴァに会えるのはこれが最後であることはすぐにわかった。エヴァにもわかっていた。口はきけなかったが、わたしの手をにぎり、手で「ハロー」といった。そして、天井を指さした。照明を消してほしかったのだ。
 エヴァのなぐさめと尊厳をまもることしかあたまになかった。わたしはすぐに自分で照明のスイッチを切り、エヴァのからだをシーツでおおいなさいとナースに命じた。信じがたいことに、ナースはためらいをみせた。余計な口だしをするなという態度にもみてとれた。ナースは「なぜですか?」といった。なぜですって? わたしは激怒し、自分でシーツをかけた。
 哀れにも、エヴァはその翌日、1970年1月1日に亡くなった。エヴァを延命させられなかったことはしかたがなかった。だが、病院で、寒さと孤独のなかで死んでいった、その死にかたには耐えられなかった。わたしの仕事はすべて、そうした状況を変えることに向けられていたはずだった。家族を廊下や待合室に残したまま、たったひとりで死んでいくなど、エヴァのみならず、だれにとってもありうべからざることだった。病院でなによりも人間の欲求が最優先される日がくることを、わたしは胸に思い描いた。
 
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