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小さな花と車掌さん

松浦 やよい 千葉県千葉市(50歳)
  
  真夏の昼下がり、私はJRのローカル線に乗っていました。1時間に何本もない電車に遅れないようにと、早めに立ったホームでのわずかな時間で、すっかり汗をかいてしまい、定刻どおり入って来た電車の最後尾に飛び乗ると、強めのクーラーにほっとしたものです。夏休み前の日中とあって乗客もまばらでしたが、例年になく蒸し暑く、また長い間乗っている人にはクーラーがきつ過ぎて、私も含めて何だか不快そうな顔の人ばかりでした。それでもローカル線特有のゆったりした時間が流れていたのでした。
  そんな中、しばらくしていくつ目かのK駅に着きました。他の駅と同じようにわずかな乗り降りがすみ、30秒足らずの停車時間が過ぎようという時になりました。すると、改札口から転がるように出て来た親子がありました。赤いリボンの付いた麦わら帽子の女の子の手を引いて、若いお母さんが走ってきます。
  けたたましい発車の合図にあせっているお母さんをよそに、3歳くらいの女の子は引きずられながらホームの隅を指差して、しきりに何か言っています。電車とは違う方向に一生懸命抵抗しているようなのです。何なんだろうとその子の指の先を見てみると、それはホームの脇のフェンスの外側で雑草の中に咲いて、わずかに風に揺れている黄色い小さな花たちでした。
  女の子とお母さんの争いはほんの数秒間で片が付き、汗をふきふき肩で息をしながらもほっとした表情のお母さんの横で、女の子は泣き出しこそはしませんでしたが、うるんだ目でまだ開いているドアからじっと黄色い花をみつめていました。やっぱり小さな肩を上下させながら。
  すると、親子のために発車をほんの少し遅らせて、今まさにドアを閉める笛を吹こうとしていた車掌さんが、小さな乗務員用のドアを開けてホームに降りると、かけ足でホームの脇まで行きました。そして女の子の方を振り返り、「これ?」と言いながら黄色い花を2、3本手折ると、またかけ足で戻って来ました。
  びっくりしている女の子の手に花をもたせると、何事もなかったかのように笛を鳴らし、ドアは閉まりました。そして電車が動き出すと、我に返ったお母さんは、あわててガラス越しに車掌さんに「すみません。ありがとうございました」と声を掛けました。「いいえ」という意味らしく、顔の前で手を2回ほど振ると、車掌さんは恥ずかしいような困ったような顔をして、外の方を見ていました。
  その光景を見ていた乗客たちは、つい穏やかな表情で顔を回し、おたがいに目を合わせました。電車の中に決してクーラーの風ではない、清々しい風が確かに吹いたようでした。
  これからこの女の子はいろんな場面で花をもらうことでしょう。お祝いの花や感謝の花や、また深い意味のある花などを。
  でもこの女の子の胸の中にはいつまでも、この野に咲く小さな名も知らない花が咲き続けることでしょう。
  そして居合わせた私たちの胸の中にも。
 
第13回 NTTふれあいトーク大賞 優秀作品集』(NTT刊)より