[戻る]

 

運動場のメッセージ

京都府亀岡市 五代 喜代美 38歳
  
 「お母さん‥‥」、元気のない声で、長男がポツリと話しはじめました。
  人口25万人の都市生活から、標高500メートルの小高い山頂に家を持ち、山村生活を始めてからはや2年。中学3年生になった長男が、さみしいまなざしで「Mくん引っ越すんやて」「明日で学校もう来えへんのやて」M君といえば、文化祭では「ロミオとジュリエット」のマキューシュ役で活躍し、マラソン大会トップと期待されながら、負傷した足をひきずりゴールで涙した、あの不屈の精神力をもった子。
  両親の離婚により、九州の祖母宅に引き取られることになり、最後まで本人の強い希望で先生も皆には内緒にしていたらしい。「誰にも言わんとってくれ、僕が友人と慕う五代君とK君にだけは話しときたかった」。そううち明けられ、長男はどうしたらよいかわからずに私に問いかけてきたのでした。
  家中をひっくり返し、古いスケッチブックを取り出しました。「ここで皆でメッセージを書いて、M君に手渡したら?」。絵心のある私がM君の似顔絵を描いていると、「皆知らんのやな、もう明日で会われへんのや、いいのかなア」。不安でいっぱいの切ない子供心に、私は「これしか、あれへん。メッセージブックを明日中に皆に書いてもらうしか‥‥」その時、電話のベルが。K君でした。どうしようもない沈黙の末、突然「五代! それでいいんか!」「皆でかんがえよう、明日朝7時、学校に集合しよう」「皆に電話連絡や」。3年ひとクラス27名の家に、ベルが鳴りひびいたのでした。窓の景色はもう真っ暗な星空。虫の音が妙に悲しく聞こえたものでした。
  明朝6時、冬将軍到来間近の、寒くて、うす暗い山あいを学校目指してまっしぐら、長男はさっそうと下って行きました。黄昏せまる夕焼け空を背に帰宅した長男が、ほんのりと笑いを浮かべ、「ありがとう、お母さん」「背でM君にメッセージ書いたで」「運動場いっぱいにした」。
  早朝学校に集合した3年生が一人ひとり、木ぎれや棒を手に、グイグイ、ゴシゴシ、グッグッと土をけずり、穴を掘り、M君に捧げたメッセージ。4時間目が終わるまで、教室のカーテンを閉め、運動場に誰も出ず、1年生、2年生にも協力を求め、そして終業ベルの後、先生に付き添われ、M君の最後のあいさつが始まったのです。
 「皆に突然さようならを言います。早く言いたくなかった。さようならを言いたくなかった‥‥」
  と、M君をつれて皆が屋上に上がり、のぞき込んで見た運動場いっぱいのメッセージ、「See you again !! また会おうぜ !!」 
  皆の心がひとつになった時、それぞれの目に大粒の涙があふれ、ポロポロと頬をつたいました。
  その日の出来事を、私に話すやいなや、感極まり、隠れて泣く長男の姿に、素直で純真無垢な童心を見た思いがしました。そばで温かく見守る長女に、M君からのメッセージ「妹によろしく伝えてくれ」。M君が抱いた淡い恋心と、この素晴らしい学校生活の思い出は、彼の心の中に永遠に刻まれ、私たち大人が忘れかけている純粋な幼心を顧みた気がしました。

 
第13回 NTTふれあいトーク大賞 優秀作品集』(NTT刊)より