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だから、花束を‥‥

さいたま市  谷口 祥子 29歳
  
  21歳で亡くなった友人Hの一周忌で聞いた話だ。
  Hが交通事故死した道路脇に、いつのころからか花束が飾られるようになった。月に一度の命日の日に、誰かがおいていくのだという。一人娘を亡くしたHの両親もそれを誰の行為か知らず、知り合いや近所の人びとに尋ねてみたが、誰も知らないという。
  そんなある日、中学で教師を務めるHの父親は、教え子の群れのなかに花束を抱く一人の女子生徒を見かけた。今日は娘の月の命日、ふと思い出したHの父親は、ひょっとしたらと思い彼女に声をかけた。予想どおり、娘に花をささげてくれたのは、この女子生徒であった。彼は聞いた。どうして娘のためにそんなことをしてくれるのか、と。セーラー服の彼女はちょっとはにかんで、でも素直に話しはじめた。
  彼女が小学生のころ、遊びで靴を飛ばしながら登校していて、はずみで靴がHの家の庭に飛び込んだことがあったのだという。ちょうどそのとき家にいた大学生のHは、彼女の靴を一生懸命に探したが見つけられず、代わりに彼女にサンダルを貸した。
  恥ずかしくてHにお礼もろくに言わずに登校した彼女。その帰り道、Hの家を通りかかった彼女は、自分の靴がよく見えるように表に出してあるのを見つけた。それはHが探し出して、彼女がいつ取りにきてもいいように表に出してあったものだ。まだ恥ずかしかった彼女は、借りたサンダルと自分の靴を取り替えると、またお礼も言わずに家に帰ったのだという。
  そのあと形式ばかりのお礼の電話をしたけど、靴を探し出してもらったあのときに、お姉さんにちゃんとお礼を言わなかったことをずっと気にしていた、と彼女は話したそうだ。靴を探してくれたお姉さんのことを、家の近くを通るたびにいつも思い出していたと。そして事故を知り、その事故で亡くなったのがあのときのお姉さんだったと聞いたことも。それで花束を。それでお姉さんに花束を、と‥‥。
  靴を飛ばしながら登校していたやんちゃな小学生は、遠い国へ行ってしまったお姉さんのために花束をたむける中学生になっていた――やっとHのことを泣かないで話せるようになった私たちの集まりで披露されたのは、そんな物語だった。みんなの瞳がぬれはじめて、でも私たちはお互いの顔を見ながら笑顔をつくった。
  やってくれるじゃん、あいつも。
  みんそんな気持ちだったと思う。たった21年の人生で、なんの楽しいことにも出会わずに逝ってしまったのかと考えていた私たちは、情けないほどのばかだったのだ。いろんなことがあったのだろう。私たちの知らない彼女のすばらしい21年間には、ほんとうにいろんなことが‥‥。
  笑顔をつくりながら、やっぱり泣いた。7年前の、桜の咲くころのことである。

 
らくだのあしあと』(NTT広報部・編/NTT出版)より