その昔、我が国はいまの若者たちが考え及ばないほど貧乏な国であった。
しかし、その頃の家庭にはぬくもりがあり、総じて明るかった。親子の情は濃く、長幼の序は厳しく、そして礼儀正しかった。
母親は総じて寡黙でつつしみ深く、人前、とりわけ子供の前では父親を立てた。
来日した著名な外国人たちが、口を揃えて「礼節の国」「道義ニッポン」と讃えてくれた国でもあった。
63年前、世界の大国と戦い、そして敗れた。戦後は食べるに食なく、着るに衣のないどん底の生活を体験しながらも、我が民族は汗と涙で経済大国日本を築いてきた。民族の底力と誇っていい。
しかし、富(豊かさ)の構築とほぼ比例するように、表現を変えれば、築き上げた富と引き換えるように民族の美点、長所を失ってきた。悲しいまでの現実の日々である。
(中略)
樋口さん(國學院大學・樋口清之教授)の友人で、よく貧乏に耐えて勉学にひたむきに努める人がいた。その友人が勉学に励んだ動機は、「おやじの弁当」だという。
彼はある日、母の作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。彼曰く、
おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。おやじの弁当箱はご飯が半分で、自分のにはいっぱい入っており、おやじの弁当のおかずは味噌がご飯の上に載せてあっただけなのに、自分のにはメザシが入っていたことを、このとき初めて知った。
父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず、肉体労働をしている親が子供の分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。これを知った瞬間、「子を思う親の真(愛)情」が分かり、胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。
その感動の涙が勉学の決意になり、涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓った。
という。
(中略)
この「おやじの弁当」の心こそ、仏道で説く「陰徳」の妙法であり、「慎独」の実践なのである。
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