歴史検証ファイル 
世界初の核攻撃
“原爆”投下の真相
DeAGOSTINI
 

 書き換えられたポツダム宣言

 1945年7月17日、第二次世界大戦の戦後処理を話し合うために、連合国側の代表がベルリン郊外のポツダムに集まった。その会議当日の朝、原爆実験成功の知らせがトルーマンのもとに届く。その瞬間から、アメリカの対日政策が大幅に変更された。ソ連が参戦する前に原爆を投下すること、が至上命題となったのだ。
 日本をアメリカが単独で占領し、ソ連のアジア進出を阻む。同時に、原爆の破壊力をソ連に皃せつけることで、第二次世界大戦後のアメリカの立場を圧倒的優位なものにすることが狙いだうた。そのためにアメリカは何をしたのか。
 NHK取材班が編集した『その時歴史が動いた12』によると、ポツダム会談に旅立つトルーマンが抱えていたポツダム宣言の草案には、「天皇制の存続」が記されていたという。アメリカの情報部は、すでに日本は「死に体」となっており、首脳部は戦争終結を模索していることをつかんでいた。そして、天皇制の存続を約束すれば、降伏勧告に応じるはずだと分析していたのである。
 ところが、7月26日に発表されたポツダム宣言からはその項目が削除され、完全な無条件降伏を求める内容に書き換えられていた。アメリカはあえて、日本が最低条件としていた天皇制存続の一文を削り、受け入れがたいものにしてしまったのだ。
 しかも、前述.のようにトルーマンが原爆投下の命令書を発したのは、ポツダム宣言発表の前である。こうしたことから、アメリカは絶対的に日本が降伏しないような宣言を出す必要があった、そうなれば原爆投下の機会が失われるからである、と考えられているのである。
 
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