GHQ焚書図書開封1
米占領軍に消された戦前の日本 
西尾幹二 徳間文庫カレッジ 

 東京大学文学部の関与

 しかしこのテーマには予め申し上げておかなくてはならない面倒な点が1つだけあります。「焚書」の実行がどのような順序で、誰によって、どのような査定で行われたかに関して、研究はいま緒についたばかりで、60年も前のことなので、没収書指定のプロセスの全貌がこの稿を書いている現段階でいまだ見きわめがたいことです。
 アメリカ軍の政治意図は明瞭です。占領以後になされた軍命令と日本政府の対応も現在調べがついています。没収書指定の行われた場所(これはまだ一つに確定できないでいるのですが)、数量、期間、手順もほぼ分かってきています。廃棄された後の本の処分法、残部の行方も大略つかめています。七千数百点の本の題名も今日までに明らかにされました。しかしどうしても腑におちないのは、GHQの軍属と日本政府の行政官だけでできる作業ではなく、日本の知識階級の誰か、学者や言論人の協力がなければ実行できない種類の事柄なのに、それが判然としないことです。
 ナチスによるユダヤ人の迫害にユダヤ人自身の組織的協力があったことは戦後早くに世界に衝撃を与えました。同様に、占領政策には被占領国民の側の協力が必ずあります。それにハーバート・ノーマンのような外交官が噛んでいるかもしれません。GHQの内部人事もからむでしょう。東京裁判や公職追放令で日本の戦争責任者が問われていた時代でした。トルーマン大統領やマッカーサー将軍の意向も事態を大きく動かしていました。天皇の地位さえ危うかった時代です。日本のいままでの権力は否定され、占領軍という新しい権力がすべてを動かしていることに日本の知識階級、学者や言論人はいち早く敏感に反応していました。
 当時、アメリカだけでなく、イギリス、ソ連、中国などの代表も一堂に会して日本の占領政策に口出ししていた対日理事会というのがあって、そこでも「軍国的及び反連合国的刊行本が保有せられまた一般に流通している事実」に注目し、これを「没収」すべきことを勧告しています。
 こうなると、日本政府はもはや抵抗できません。知識階級の誰か、学者や言論人の誰かが政府の司令を受けて協力するのもある程度いたし方ないかもしれない。しかし協力といっても、それが消極的か積極的かで違うし、サボタージュするかへつらって行くかで大きな相違が出てきます。
 協力の中心に東京大学文学部があったことが最近分かってきました。助教授であった二人の学者の名前も今年発見されました。背後に当時有名だった刑法学者が総取りまとめ役をやっていたことも突きとめられました。いずれも後に、文化勲章受章者や日本学士院会員になられた方々です。
 日本の歴史は日本人の知的代表者によって廃棄され、その連続性を断ち切られたのでした。戦後日本の今日に及ぶ頽廃の原点がここにあります。ただただあの戦争を「反省」するというだけの敗戦直後に襲った、自分を楽にする甘い感情の波に溺れたのでしょうか。日本人らしい弱さ、卑屈さ、曖昧さといえますが、いちばん厄介なのは名前と関与の事実が分かっているだけで、具体的な関与の仕組や内容が今の段階でははっきり掴めていないことです。60年も前のことで生き証人はもうほとんどおりません。
 私が解明して知り得た限りの内容を以下に順序立てて叙述します。いうまでもありませんが、本書第一章が、GHQ「焚書」の歴史を総合的に略述する最初の文章になります。
 
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