GHQ焚書図書開封1
米占領軍に消された戦前の日本 
西尾幹二 徳間文庫カレッジ 

 私信を「検閲」した恐ろしいシステム

「焚書」は誰がやったか、生存している関係者の事情聴取などがこれから必ず行われるものと後につづく研究者に期待しますが、「検閲」のほうの実態は研究があって、多少とも事情が知らされています。江藤淳さんの『閉された言語空間』という本はご存じだろうと思います。「占領軍の検閲と戦後日本」というサブ・タイトルがついています。
 GHQが行った「検閲」の実態をアメリカのメリーランド大学の図書館で調べ上げ、それを日本人に告知した本です。プランゲ文庫とその背景に関する非常に貴重な追及の書で、影響の大きかった業績といってよいでしょう。もちろんこの本は「焚書」のテーマを含んでいません。というか、あの研究を見る限りでは確たることは分かりませんが、江藤さんは焚書図書の存在自体をよくご存じなかったかもしれません。CCD(GHQの民間検閲支隊)の活動が研究されていますが、その下部組織のRSのことは言及されていません。
 江藤さんが「アメリカは日本での検閲をいかに準備していたか」を『諸君!』に書いたのは昭和57年(1982年)2月号でした。単行本として『閉された言語空間』が出版されたのは平成元年(1989年)です。ところでプランゲ文庫の存在については昭和40年代半ばから日本に知られていて、昭和47年(1972年)以降、国会でも被接収資料の返還要求の一環として、何度も取り上げられました。当時「プランゲ」は「プランジ」と呼ばれていたようです。そこで、国立国会図書館はそのころからその重要性に着目していました。当時はGHQ文書全般の収集に係員をアメリカに派遣していましたが、それが一段落した平成4年(1992年)に、プランゲ文庫のマイクロフィルム化の撮影に着手しました。最初は雑誌のフィルム化で、その後メリーランド大学が作製した新聞のマイクロフィルムを購入し、いまは児童書に手を伸ばしているようです。こうした一連の流れの中に江藤さんの研究が棹(さお)さしております。
 以上のようにして「検閲」のテーマはある程度整理のメドがついて、占領軍の策謀も明るみに出たのですから、次にはワシントン・ドキュメント・センター(WDC)から米議会図書館に移管され、所蔵されている大量の「宣伝用没収図書」に目を向け、その実態調査と日本への返還要求を試みるべきときが来ているのではないでしょうか。本書の目的の一つはこれを読者に新たな問題として提起することにありますが、しかしその前に、なぜアメリカはやすやすと日本を籠絡できたのか、というあの政治的、心理的テーマにもう一度目を向けて下さい。
 たとえば、昭和20年9月18日ですから戦後すぐのことですが、原爆の残虐さを非難した鳩山一郎(この直後、日本自由党を結成、総裁に就任)の談話を掲載した朝日新聞は発行停止を喰らっています。石橋湛山(当時は東洋経済新報社社長)が『東洋経済新報』で進駐軍兵士の暴行を非難すると、一部残らず押収されております。江藤さんの本にこの記述があります。
 ご存じかどうか分かりませんが、原爆の残虐さについては戦後長いこと、記事で読むことも映像で見ることもできませんでした。サンフランシスコ講和条約が発効されて初めて『アサヒグラフ』で見ることができるようになったのです。それまで日本国民は原爆被害の写真を見ることも許されていなかったのです。
 私の世代のお父さんやお祖父さん、あるいは私より年配の人たちが書いた手紙は、全部ではありませんけれども、任意に抽出されて検閲を受けました。百通に一通ぐらいの割合で開封されました。開封された手紙、つまり判を捺された手紙が届いたことを記憶されている人はたくさんいらっしゃいます。私的書簡まで開封されていたんですね。
 この「検閲」と本書の対象とする「焚書」は別件といっても、実行行為が別なだけで、アメリカ側の組織も動機も同一です。ですから両者の行われた政治的、心理的背景の事情にはもちろん共通点があります。
 新聞雑誌の記事や手紙の「検閲」に携わったのはみな日本人でした。英語ができ、日本文を英文に翻訳できるエキスパート、知性のある人たちで、日本人協力者は八千人から一万人にものぼったといわれております。
 どういう経緯で協力したかといえば、戦後すぐの時代、復員してきた知識人たちには食糧もなく職もなかった。お金もなく食べ物もないから、明日飢えるかもしれない。しかし英語の学力だけはある。そういう人たちがGHQの募集に応じ、ワラをもつかむ思いで国を売る行為に走ったのです。この八千人から一万人の日本人の中には、後に革新自治体の首長になったり大会社の社長になったり、あるいは著名なジャーナリストや大学教授になったりした人がいるそうです。しかし彼らは、かつて自分が検閲の仕事に携わっていたことについてはいっさい口を噤(つぐ)んだままでした。
 ただ例外的に自己告白する勇気のある人がいました。以上のようなことは、甲斐弦さんという人の『GHQ検閲官』(葦書房)という本に出てきます。このかたは明治43年のお生まれです。東京大学英文科を出て、モンゴルの日本政府の教官を経て復員されましたが、いっさい職がなくて生きていく道がなかったから検閲官の試験に応募して合格された。そういうかたが、検閲官になったいきさつから、恥ずべき仕事をした内容まで、辛い苦痛の二か月間のことを書いた本です。このかたは運よく別の仕事が見つかったので検閲官をしたのは二か月間だったそうです。
 日本人の手紙を読んで、英文に翻訳して進駐軍のアメリカ人に見せるわけですから、「日本人の仲間を守るためにウソの翻訳文を書けばよかったじゃないか」といわれるかもしれません。しかし恐いシステムができ上がっていたのです。検閲官の上にまた検閲官がいたのです。100通なら100通の手紙を抽出するのは米軍です。それを手渡された日本側検閲官が、たとえば「これはマズい」という手紙を5通発見したとすると、それを英訳して提出する。ところが検閲官の上にいる米軍検閲官が残りの95通の中にも怪しいのがある
のではないかと思うと、もう一度抽出する。そして検閲をさらに監視するため別の日本人に調べさせる、そんなしたたかなシステムができ上がっていたそうです。
 検閲すべき条項もまとめられていました。私もそれを知ってびっくりしたのですが、じつに念が入っています。
 @「大東亜共栄圏のスローガンや日本軍の行動を賛美したもの」。これがいけないというのは分かりますが、A「それを非難したもの」もいけない。B「マッカーサー総司令官を賛美したもの」とともに、C「これを罵ったもの」もいけない。どちらもいけないというのです。D「占領軍を非難したもの」、E「占領軍を歓迎したもの」、これもどちらもいけない。F「占領軍の直接行動を示唆したもの」、つまり占領軍が何をした彼(かに)をしたと書くのはいけないというのは分かるけれど、G「占領軍の将校の言行を賞賛したもの」もいけないという。いやあ、これはしたたかです。H「現に審理中の新憲法に対する賛否両論」、そのどちらもいけない。賛成もいけないし反対もいけない。要するに新憲法に言及している手紙はどちらもいけない。
 こうした条項に照らし合わせて、100通なら100通の手紙を検閲する。その中の5通が怪しいといって提出すると、残りの95通を別の人にやらせて、もしズルをして隠したことが発覚するとクビになってしまう。即刻クビです。翌日からは食べるものがない。
 非常に卑劣なやり方でした。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]