GHQ焚書図書開封1
米占領軍に消された戦前の日本 
西尾幹二 徳間文庫カレッジ 

 ABCD包囲陣に対する戦中の日本の静かな決意

 本章の最後にひとつだけ実例を挙げてみます。
 昭和18年(1943年)6月1日に毎日新聞社から出版された大東亜戦争調査会編『米英挑戦の眞相』はいちばん早い時期に焚書された書物の一つです。一連のシリーズをなしていた本で、当時の錚々たるメンバーが執筆者になっております。したがって、当シリーズは米軍の注目を早くから集めて、大半の本が焚書されています。
 多くのことをいうわけにはいかないので話を絞ります。ABCD包囲陣というのはご存じだと思います。アメリカ(A)、イギリス(B)、シナ(C)、オランダ(D)の勢力が当時の日本を取り巻いていたわけですが、その包囲陣がどのような意味合いをもち、どのように形成され、そしてそれを当時の日本の軍政府がどのように認識していたか、という話は全部この本に書いてあります。
 私がびっくりするのは、それを日本は全部知り抜いていたということです。兵力まで細かく把握していた。その詳細については別の機会に譲るとして、いちばん最後に「対日包囲陣の悪辣(あくらつ)性」について述べている箇所があります。これが、先ほど私がお話ししたことと深くつながっておりますので、ちょっと引いておきます。
(当用漢字、現代仮名遣いに変換しました。以下同じ。――なわ・ふみひと)

 米国が日露戦争直後より今次開戦直前に至るまで、或いは排斥、或いは圧迫、果ては弾圧など、我が国に加へた侮辱と非礼とは、世界四千年の国交史に稀なるものであり、また英国が明治維新前後より日清戦争まで、そしてワシントン会議より今次開戦直前まで、我が国に対してとった態度も、これまた米国と何れか鳥の雌雄を知らんやの類で、ただ米国の如き暗愚下劣なる露出症的態度でなかったというに止まる。過去幾多の米英の封日外交振りを見れば、その内容の暴慢なるは勿論、その態度や傲岸、その言辞や横柄、なすところは悪辣非道筆舌を以て形容し難きものがあり、顧みて、よくもわれわれの先輩はこれを堪忍(かんにん)して来たものだと、その自重の裏に潛む万斛(ばんこく)の血涙を、そぞろに偲ばざるを得ない程である。

 これだけ読むとずいぶん激しい言葉に聞えるかもしれませんけれど、ABCD包囲陣の「悪辣性」についてはこれ以前に詳しく書いてありますので、説得力のある記述です。日本の戦争が「一等国民」のプライドのための戦いであった、目に見えない敵、西欧合理主義との戦い、明治以来の自分自身の歴史との戦いであった、と先に述べたことにも関係があります。もしも、戦わずして自尊心を捨ててしまったら、戦後の復興日本は存在したか、と思われるほどの排日侮辱だったのです。

 かかる米英の封日非礼史、侮日史は他の分冊に譲って、ここには単に軍事上から、この対日包囲陣のもつ戦略的敵性を指摘するに止めよう。これほどの悪辣なる戦略は、歴史上未だ嘗てなかったと敢て断言して憚(はばか)らないのである。

 ここではABCD包囲陣の徹底ぶり、その背後にある地理上の関係、あるいはまた軍略上の関係が論じられています。

 彼等が我が国を軍事的に包囲するに先立って、我が国をまず外交的に孤立無援にしてしまおうと企図したこと、この外交包囲にも満足せず、更に我が国の窮乏、衰微を策して、我が国に対する卑劣な経済圧迫をつづけ、我が国をして経済的孤立に導かんとしたことは、前に記した通りである。彼等は日本民族の移民を完全に排斥し、我が国製品の輪入や、彼等の日本への輸出品をば、彼等の本国と属領とから、意の如く制限したのみならず、他民族の国からまでも日本排斥を策し、謀略を以てこれを実行せしめた。
 即ち我が国を完全に“はねのけもの”にして貧乏人にしてしまおうという策で、この排日、侮日は、ついに悪辣なる経済包囲、経済封鎖という目的のために手段を選ばざる結果を招来した。彼等の企図したところは、我が国を丸裸にし丸腰にした上で軍事包囲をして、我が国を袋叩きにしようとしたのである。なかんづく我が国への油道の切断こそ、その悪辣性の最たるものであった。油道を切断して我が国の艦船、飛行機、機械化部隊が動かなくなれば、我が国を刀に血ぬらずして武装解除し、少くも我が国の軍備をして、日本国産の油で維持し得る程度にまで制限したのと同様である。こうしておいて、我が国を袋叩きにして打ちのめそうとしたのである。


 ここで注意しておきたいのは、現実にこうなったということではない、ということです。もし日本が起ち上がらなかったならば、自分たちのもちうる油だけで生きる小さな国にしてしまおうと考えられていた。そのうえで、わが国を打ちのめそうと考えられていたということです。

 譬えを以ていうならば、ギャングの親玉がその配下を語らって、善良なる一人の少年を取り巻いて袋だたきの気勢を示しつつ、侮辱、罵言し、難題を吹きかけ、聴かねば打ちのめすぞという構えの姿勢、それがこの対日包囲陣であったのだ。

 ここで大事なことは、日本政府が対日包囲陣のもっている手強さと強固さ、そしてそれがもつ恐ろしさを知っていたということです。

 開戦前の包囲陣は包囲陣に非ずして攻囲陣であったことは前述の通りである。およそ何れの国に於ても、自国防衛のため必要なる防備をなすのは当然のことであり、勿論仮想敵国との交戦の場合を十分に考慮のうちに入れるのも当然のことであるが、それは内容に於ても、外観的にも、守勢的であるべき筈である。袋叩き的構えたる攻勢包囲陣を作って挑戦し、相手をして起たざるを得ざらしめ、起てばこれを袋叩きにして打ちのめそうというような戦略は、世界史上未だ見ざる悪辣なる戦略だと断言することができる。(中略)
 かかる悪辣性の包囲陣である。いはば挑戦そのものであったのだ。起たざれば我が国は自滅するか、袋叩きにされて落命するか、であったのだ。決然、我が国がその自立のために立ったのは、いはば当然の帰結であったのだ。
 
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