歴史から消された
日本人の美徳 
 黄文雄・著 青春出版社 2004年刊

 他民族をいたわり、奉仕と犠牲を捧げた日本人

 司馬遼太郎氏がいう、他民族へのいたわりの気持ちをもつようになれば、人間が仲良く暮らせるようになるという考えを、私は決して否定はしない。ただし多少補足したい点がある。
 日本人は他民族へのいたわりは、古代からもっていたが、中国人や朝鮮人などの大陸や半島の民族は、そうともいえないところがある。むしろ漢韓両民族はきわめて排他的な民族であり、排他的文化をもつ人間集団というのが正しいだろう。
 それは、伝統的文化から見れば、一目瞭然だ。歴史社会的に見ても、この両民族には極端な人種差別があり、南アフリカのアパルトヘイト以上に、他民族を夷狄(いてき)視する傾向が強い。
 私の大学時代の友人に、数十年海外でビジネスをしてきた経験をもつ者がいる。彼から聞いた話では、アジア各地でのビジネスをするにつけて、中国人と韓国人には不正が多く、よく詐欺にも遭うという。
 しかしベトナム、タイなど、大陸や朝鮮半島ではない海のアジアの人間には、もちろん悪い奴は皆無ではないが、概して思いやりが感じられ、共通の性格を感じるという。大陸の人間に対して思いやりやいたわりをもって対応しても、結果的にはいいカモにされてしまうことが多いというのだ。
 したがって、他民族へのいたわりは、日本人だけでなく、すべての隣人が持ち合わせていなければ、仲良く暮らせるということにはならない。世界も世間も、そう甘くはないのだということを忘れてはならない。
 私は数十年来、戦前の日本の一次史料を整理、編纂する仕事をしてきた。私人の日記から詩文に至るまで目を通してきて、いく度も感動を覚え、強く共鳴を覚えた。戦後の日本人は、戦前の先人たちの言動に触れると、すぐにアジア侵略、搾取、略奪、虐殺への加担とか、従軍慰安婦の問題などと糾弾するが、それは中国や韓国の反日プロパガンダに日本の文化人が唱和したという「成果」であって、多くの戦前の日本人は、きわめて思いやりがあり、進取の精神や冒険心にも富んでおり、それは戦後の日本人以上であるともいいたい。
 他民族へのいたわりという点では、日本の歴史のなかでそれが最も強く発揮されたと思うのは、開国維新から敗戦に至るまでの期間である。「大きなお世話」だといいたくなるほど、思いやり過剰といえるほど、思いやりが強かった。それが政治的イデオロギーにまで高揚したのは、さまざまな大アジア観、さらに超国家主義的な思潮が背景にあったからだ。
 福沢諭吉のように、思いやりやいたわりの思いが強すぎるということもある。福沢は朝鮮を近代国家に育てようと努力を重ねた。その努力はたんなる思いやりを超えた、実に献身的なものだった。しかし、明治17年の「甲申の変」で、朝鮮の独立改革派が脆くも敗れ去り、福沢の企図したことは実現しなかった。福沢は後になって、その反動としてアジアの悪友どもとの交際謝絶を決意して、脱亜人欧に走ったともいえるが、それも理解できないというわけではない。
 中国人や韓国人にとっては「アジアの覚醒」やら「支那の覚醒」云々とは、所詮「大きなお世話」にしか思っていなかったのだ。
 開国維新から敗戦まで、日本人が強く思いやりを発揮したのは、もちろん政治的な目的だけではなく、日本人の真心から出たものでもあった。それが日本の長い伝統である「和の精神」から生まれた思いやりであり、魂からおのずから出たものである。
 台湾、朝鮮、満州、中国、そして東南アジアに、もし日本人がいなかったら、東アジアの近代化や再生や転生はあり得なかったと、私か断言するのは、近代日本人の他民族へのいたわりの歴史を知っているからだ。これは、戦前の日本人一人ひとりの、それぞれの活躍を見てきたからだ。彼らは支那革命をはじめ、東南アジアから中南米に至る地域の独立革命にも参加し、戦死した人も多くいたし、医療、文化、教育、難民や貧者の救済など。彼らの活動は実に多岐にわたる。アジアの諸国民のなかで、これほど他民族をいたわり、奉仕と犠牲を捧げた人々は、日本人を除いてまったくいなかったといえる。
 
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