なぜ世界の人々は
「日本の心」に惹かれるのか
 
呉善花・著 PHP研究所
 

9 自由で地位も高い女たち

 幕末・明治期に来日した西洋人の見聞記では、日本の女たちに一方では不自由さと地位の低さを感じながら、他方では自由さと地位の高さを感じるという、相反する二つの面がさまざまに綴られている。多くの西洋人たちは、日本に他のアジア諸国と共通する男尊女卑のモラルがあり、家制度に縛られた女たちの忍従生活の面があると指摘している。と同時に、彼らは、日本の女たちには他のアジア諸国には見られない自由さと地位の高さがあるという、正反対の現実が多々あることに気づかないではいられなかった。
 日本の女たちの自由さは、旅先で彼らが出会った接客業女性たちの態度や振る舞いにもよく感じ取られている。次は、イギリス人のロバート・フォーチュンによる幕末の見聞である。
「日本女性はシナ女性と比べて、作法や習慣がひどく違っている。後者は外国人の顔を見ると、すぐに逃げ出すのが常識になっている。日本女性はこれに反して、われわれに対して、いささかも疑惑や恐れを見せない。彼女らは茶屋に笑顔でやって来て、客の周りに群らがり、客の洋服に触ったり、平気で握手する。彼女達の作法はシナ人よりはずっと自由であるとはいえ、私は、彼女達の行儀が、海の向うの内気な姉妹よりも劣っているとは思わない」
 自由でありながら作法がきちんとしていて行儀がよいというのは、西洋人たちに共通した印象であった。次は、後にスコット大佐の第二次南極探検隊(1910年)のカメラマンを務めた、イギリスの著名な写真家ポンティングによる明治時代後期の見聞だが、男への気後れを感じさせない、親しみと礼節をもっての女たちのサービスが、外国人の日本旅行をいっそう楽しいものとしていたようである。
「日本を旅行するときに一番すばらしいことだと思うのは、何かにつけて婦人たちの優しい手助けなしには一日たりとも過ごせないことである。
 中国やインドを旅行すると、何力月も婦人と言葉を交わす機会のないことがある。それは、これらの国では召使いが全部男で、女性が外国人の生活に関与することは全くないからである。しかし、日本ではそうではない。これははるかに楽しいことである。日本では婦人たちが大きな力を持っていて、彼女たちの世界は広い分野に及んでいる」
 英国国王から明治天皇へガーター勲章を奉呈するために来日した日本使節団首席随員のミットフォードは、西園寺侯爵から新橋芸者を呼んでの接待を受けている。彼はそのときの体験を記したなかで、芸者が単なる男の遊び相手であるかのような風聞への怒りを交えながら、彼女たちの礼儀正しさ、優雅さ、親しみ深い愛嬌を讃えて次のように書いている。
「その落ち着いた態度、無邪気さ、しとやかな振る舞い、機知に富み、いつでも当意即妙の受け答えができることなどは、職業柄熟練している踊りや歌と同様に、まことに素晴らしいものだった」
 彼は宴席に侍(はべ)る女たちの芸が、日本では、アルジェやインドの女性のセクシャルな踊りが意味するようなこととはおよそ異なる、「詩的で高尚」な動機に基づくものだと観察している。それは、日本の「心を奪うような風景」や「詩人や画家のあのような優美な趣向」にそのまま通じるものと感じられていたようである。
 たしかに、彼女たちは男にかしずく形を取っている。けれども、そうした形式のなかで、彼女たちは「男への媚び・へつらい・服従」とは無縁な優美さをもって、数々の芸を見事に演出している。そこに彼らは、ある種の「解放された女」の存在を感じずにいられなかった。それはもちろん、接客業女性に限らず、広く日本女性一般に感じられることだった。
「アジア的生活の研究者は、日本に来ると、他の国と比べて日本の女性の地位に大いに満足する。ここでは女性が東洋の他の国で観察される地位よりもずっと尊敬と思いやりで遇せられているのがわかる。日本の女性はより大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信を持っている」
 なぜ日本ではそうなのか。女性がほとんど働かない上層階層では、儒教にも通じる父系重視の家制度から来る束縛が一般的に見られる。それに対して圧倒的多数の庶民階層では、男女共働きが普通であるため、かなり男女の対等意識が強い現実が生まれているのではないか。一つには、そのように彼らは見ている。
「農民の婦人や、職人や小商人の妻たちは、この国の貴婦人たちより多く自由と比較的高い地位をもっている。下層階級では妻は夫と労働を共にするのみならず、夫の相談にもあずかる。妻が夫より利口な場合には、一家の財布を握り、一家を牛耳るのは彼女である」
 女性自身が生活の糧の重要な稼ぎ手としてあることが、女の地位や自由さを高めていたことはたしかだろう。日本生活に少々深く踏み入った西洋人では、さらに、娘時代、母親時代、祖母時代という年齢階層によって、女性の自由さや地位に違いがあることが感じ取られていた。単純化していえば、娘時代は自由奔放に育てられ、結婚して以後は嫁としての忍従と自己犠牲を強いられ、子どもが結婚して祖母となれば家は事実上、彼女によって仕切られるという印象である。これもまた、たしかなことであったと思う。
 明治34〜41年(1901〜08)に、旧薩摩藩当主島津家の家庭教師として来日したイギリス人女性のハワードは、日本の女性は老齢化していく身に逆らわず身を任せていくが、西洋の女性はいろいろと人為的な方法を使って若さを保とうとすると述べ、次のようにいう。
「しかし、これは一番いい方法であろうか? 秋も春と同じような魅力があることは確かであり、年をとればそれにふさわしい立派な精神的な美しさが具わるものであるJ
 ハワードは、日本の女性たちが年を経るごとに精神的な美しさを具えていく様子を、老齢化の進む「彼女の顔には生活の闘いと苦しみから生み出された、優しさと辛抱強さの表情が浮かんでいるのが目につく」といういい方で表現している。
 ハワードの見聞は主として上層階層の女性たちのものだが、これは階層を問わず日本女性一般についていえたことだったろう。
 私は昭和58年(1983)に来日したが、一、二年ほどで、「日本の社会は男を表舞台に立たせておいて、その裏で女が糸を操ることで成り立っている社会ではないか」との印象をもつようになった。これがしだいに確固たる考えとなり現在に至っている。こうした私の印象は、百年を超える昔の日本に西洋人たちが感じたものと、ほとんど変わらないものだったようである。
「彼女は独裁者だが、大変利口な独裁者である。彼女は自分が実際に支配しているが、それを極めて巧妙に行っているので、夫は自分が手綱を握っていると思っている。そして、可愛らしい妻が実際にはしっかり方向を定めていて、彼女が導くままに従っているだけなのを知らないのだ」
 ここで多くを語る余裕はないが、開化期日本の女たちに見られた自由さや社会的な地位の高さは、総じて、古くからの母系優位の伝統が消えることなく、社会の深層に延々と流れ続けていたことを物語っている。その流れは今なお消えてはいないというべきだろう。
 
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