なぜ世界の人々は
「日本の心」に惹かれるのか
 
呉善花・著 PHP研究所
 

30 山島という地形の美しさ

 日本の国土の特徴は、なんといっても南北に長く弧状に連なる島嶼群としての地勢にある。北から千島弧、日本弧、琉球弧と弓なりに結び連なる日本列島。その姿をドイツの地理学者O・F・ペシェル(1826〜75年)は、まるで花を編んで作った懸花(かけはな)装飾の花綵(かさい=フェストゥーン)のようだということから「花綵列島」と呼んだ。
 日本列島は、北へ辿れば千島列島からカムチャッカ半島、アリューシャン列島を経てアメリカ大陸のアラスカにまで至る。南へ辿れば、琉球列島から台湾、フィリピン、マレー諸島、ニューギニアからミクロネシアへ至るラインと、伊豆・小笠原諸島からマリアナ諸島を経てミクロネシアへと連なる島々のラインをもっている。こうした環太平洋を巡る島々の一部としてありながら、さらに大陸東端に地を接するばかりの位置にあるのが日本列島である。日本列島を構成する島々は実に6,852を数える。
 作家・。島尾敏雄はこの弧状に連なる群島としての日本を「ヤポネシア」と呼んだ。
「ヤポネシアというのは、そばにミクロネシアだとか、メラネシア、ポリネシア、インドネシアだとかありますが、われわれは、しょっちゅう大陸の方ばかり眺めてきたような気がするんです。地図を見ましても、大陸を真中に置くから、日本はもう大陸に振り落とされそうな形で、はじっこの方にしがみつこうとしている。そういうことじゃなくて、やはり半分は太平洋に面しているんですから、そうした側から日本を見れば、メラネシアとかミクロネシア、ポリネシアみたいに、一つの島々のグループがあるというふうな気がするわけです」
 大陸と向き合う「小陸日本」の発想に対して、海に広く開かれた「弧状列島日本」の発想に立ってイメージされたのが「もう一つの日本」としてのヤポネシアだった。
 日本が北方系・南方系の文化を幅広く複合させてきた大きな理由の一つが、この南北に細長い列島という地勢にある。長い時間をかけて、じわじわと島伝いに文化が渡ってくるのである。
 こうした地勢から、日本は南北ではかなりの大国だが、東西では極小国となる。海辺から少し内陸部へ入ればすぐ山にぶつかる。山から少し降りればもう海である。脊梁(せきりょう)山脈の切れている所では、あっという間に反対側に出てしまう。
 こうした特徴をもつ日本の沿岸地帯に共通に見られるのが、海辺の狭小な平地からすぐに切り立った山地を擁する地形である。伊豆半島などもその典型の一つだが、この海辺と山地の極端な近接が織りなす沿岸地帯の景観の美しさは日本に独特なものだ。アメリカ、ヨーロッパ、中国などの大陸諸国ではもちろんのこと、日本とよく似ているといわれる韓国でもほとんど見られない景観である。
 私は、海・山・平地が一挙に一つの視野に入ってくるこの独特な風景に、ずっと魅せられ続けてきた。そして、日本各地への旅を重ねていくなかで、日本文化は一つにはこの特異な地形から大きな影響を受けつつ形づくられてきたのではないかと、そう考えるようになった。
 広大な大陸的景観のなかで育った外国人の多くが、日本に来てこの地形が織りなす景観に初めて触れたときに大きな驚きを覚えるという。
 それは古代の中国人にとっても同じことだったようである。三世紀の西日本の見聞を記した中国の史書『魏志倭人伝』が、最初に書きとめた日本の景観もこれであった。冒頭に次のようにある。
「倭人は帯方の東南大海中に在り、山島に依りて国邑(こくゆう)を為す」
 古代の中国人は、右に述べた地形が織りなす景観を「山島」と表現したのである。柳田國男は、紀州熊野で山民が山の神に怪魚オコゼを供え、また海民が山の神を祀ってやはりオコゼを供えるという、海と山との信仰の複合を物語る伝説について述べた文章のなかで、「山島」に触れながら次のように書いている。
「恐らくは此信仰は『山島に拠って居を為せる』日本の如き国に非ざれば起るまじきものにて、殊に紀州の如き海に臨みて高山ある地方には似つかわしき伝説なり」
 紀州熊野の沿岸地帯のように、海からわずかな平地を介してすぐに山が切り立ち、そこから平地へ川が流れ下るような、海と山と平地がきわめて接近した日本列島沿岸地帯に特有な地形が「山島」である。柳田は、人々がこうした地形で長らく生活を展開することによって、海の信仰や生活と山の信仰や生活が複合し、やがて融合をとげていくことを述べている。
 魏の時代に朝鮮の一部は魏の植民地となっていて、魏の使節はそこから朝鮮半島を南下して船で日本へ渡った。そして日本に到着し、朝鮮半島でも見られないその独特な地形の光景に驚きを感じ、わざわざ「山島」とその特徴を記したのではなかったかと思う。
 こうした「山島」的な地形では、文化的な複合・融合が起こりやすい。海辺の漁労民も少し奥に入れば、炭を焼いたり木の実を採る山人ともなる。山人も少し下に降りて海辺に出れば、海の幸を獲る漁労民ともなる。また互いに山の中腹で焼畑農耕をやる農耕民ともなる。今にいう「和の国日本」の原点がここにある。
 
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