輪廻転生 
驚くべき現代の神話
J・L・ホイットン/J・フィッシャー著
片桐すみ子訳 人文書院
 
 

 第一章 永遠の生命

 私たちはどこから来たのだろうか? また、死んだらどうなるのだろうか? この人生のきわめて大きな謎は、どちらをとってもジレンマに陥る問題である。大昔からいずれの宗派や哲学派を問わず、ほんのわずかでも好奇心をいだく者なら誰しもこの難問に取り組んできた。確固たる証拠は不足しているものの、今も昔も人間は総じて永遠の生命を信じようとする傾向がつよい。誕生はただの生物学的現象で、息を引き取るときに意識も死滅してしまうのだ、と主張する無神論者はいつの世にも存在した。だが、そんな唯物論的な考えかたは、機械文明がおどろくほど発達し、すばらしいテクノロジーの時代となった今日でも少数派に属する。1982年のギャラップ社の世論調査では、アメリカ人の67パーセントが死後の生命を信じていると発表されている。

(中略)

 研究者たちは、臨床上の死を宣告されたのちに蘇生した人々の体験を調査し、興味津々たるデータを蓄積してきた。調査結果によると、「死の床の証人たち」は私たちのものとは全くちがった別の世界を偶然見たという。そしてどの報告も異口同音に伝えているのは、臨床死の時点で意識は肉体を離れ、「トンネル」を通って吸いこまれていき、たとえようもなくまばゆい光と至高の歓びと平和を感じた、ということだった。肉体をぬけ出て自由に活動することができた自己が、この世に戻りたくなかったにもかかわらず、捨て去ったはずのあの狭くて不自由な肉体へと無理やり戻されてしまった、と証人たちは感じている。彼らは生き返るとすぐ、自己が変容をとげたことを知る。そして死への恐怖がなくなったことをさかんに口にし(死は「帰郷」とか「牢獄からの脱出」と表現される)、別の意識形態で幸せにすごしたことを言葉で言い表わせないことに、きまっていらだちを覚える。

 (中略)

 本書ではこの問題に直接とりくみ、催眠下で死の奥地へと深く分け入る旅をしたホイットン博士の被験者たちの証言にもとづいて、前人未到の地――この世の人間には知られていない世界――に光をあてていく。深いトランス状態からもたらされたメッセージが伝えるのは、死後の生は生まれる前の生と同じであり、私たちはほとんど誰もが、肉体をもたない魂としてこの別の世界に何度も住んだことがある、ということである。私たちは、無意識の上では、この世について知っているのと同じくらい、あの世のことをよく知っている。次の世界とは、生まれるために後にしてきた状態であり、死ねばまた戻っていく状態でもある。輪廻はめぐり、誕生と死とが交互に生じ、個人は成長をとげていくのだ。本書の題名(原題はLife Between Life)はそんなわけでつけられた――死とは、ある段階とその次の段階とを区別する境目にすぎない。まぎれもなく、生と生との間にも生は存在するのだ。
 ホイットン博士の被験者たちは、その当初の輪廻転生に対する偏見の有無が各人各様に異なっていたように、宗教的素養もさまざまだったが、みな同じように、私たちをめぐる進化の過程にとって生れ変わりはその根本にかかおることがらだ、と証言している。被験者たちが語るには、死ぬと魂は肉体を離れ、時間も空間もない状態に入っていくという。そこで、いましがた終わった地上での生活がどうであったかが検討され、カルマ(業)の必要に応じてつぎの転生が計画される。たとえば前世の自分の行為がもとで姉を自殺に追い込んだある被験者の場合だと、その借りを返すためにまた彼女の弟として生まれてくることを選びとる、という具合に。

 (中略)

 ホイットン博士は14歳ごろから催眠家としての腕前を発揮してきた。希望者を相手にパーティーの席などでこの技を使うことはあったが、前世へ誘導しようと試みたことはまだなかった。だが20代のはじめごろ、博士は輪廻転生思想に次第に惹かれていき、催眠技法の腕にさらにみがきをかけていった。トロント大学で医師の諸免許をかさねて取得した博士は、同大学の主任精神科医になった。深いトランスに入れる人たち千代子線人口の約4から10パーセントとみられる――は、みな同じように、指図にしたがって誕生前の前世に戻れる、ということを博士が発見したのはそのころだった。「前世に戻ってください。……さあ、あなたは誰で、どこにいますか。」 こう博士がいうと、催眠状態で長椅子に横だわっている人物は、別の時代・別の場所でのエピソードをくわしく話しはじめ、そのときのことを再び演じてみせることさえあった。
(中略)
 無意識下の人間の心についてさらに理解を深めたホイットン博士は、トランス状態の被験者たちに精神的外傷の原因となった過去世の記憶を意識にのぼらせるよう指示した。その結果被験者たちは、めきめきと劇的な回復をとげたが、なぜそうなるのか、博士自身にも満足のいく説明はできなかった。恐れや不安などの記憶が、自分がどんな人間なのかを理解させてくれ、解放という、心をやわらげる不思議な作用を引きおこすので、重い心身の障害のなかにはあっけなく消えてしまうものもあった。
 (中略)
 被験者は、いったん別の人生へ導かれると別の人格を呈し、今の自分とは異なった身体をしているように感じるが、その反面、このもう一人の自分と自分自身とが同じものだと気づいている。性別や人種が変わることはごく普通だ。前世の人格に命じてその一生のどの時点にも連れていくことができ、被験者は当時の年齢や性別、教養の程度、言葉づかい、性格、歴史的背景などを反映した声で、自由にそのときの話をする。感情面で重要な意味をもつ、その人生の記憶を集めた貯蔵庫が空になれば、もっと前の生涯へと被験者を移行させていく。トランス状態の人は次に、それまでとはまったく別の人物を呼び出してくる。その人格は、川の本流のような首尾一貫した人格から分かれ出た、もうひとつの支流のようなものとも考えればわかりやすいだろう。催眠からさめて平常の意識にもどると、被験者は必ず、前世での感情がどんな状態だったかを把握し、これを忘れてしまわないように、トランス下での体験を日記につけるように言われる。

 (中略)

 ホイットン博士の行なっている、死んでから生まれ変わるまでのあいだ、すなわち中間世の状態の研究は、催眠を使った前世の調査研究から自然に発展していったものだが、博士の研究によって、この高次の自己についての私たちの知識はさらに増加した。くり返し被験者に催眠をかけて、いちど転生してからつぎに転生するまでのあいだの間隙へとみちびいていくうち、ホイットン博士は中間世の人間の意識が、今生での過去に退行したり前世に退行したりしているあいだに経験する意識より、はるかに高い程度に達することを知った。この意識は、私たちの現世にとらわれたリアリティーという概念をはるかに越えるもので人生を別の角度から眺めることを可能にしてくれる。中間世の状態では、俗にいう「善悪の判断力」が拡大して、心のイメージですべてを見とおす力がさずけられるため、人間存在の意味と目的をはっきりと理解できるようになる。ホイットン博士はこの並はずれた知覚状態を「超意識」と名づけている。

 (以下略)
 
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