ヤオイズム
矢追純一著 三五館 

 天才的な商才

 あるとき、こんなこともあった。部屋に戻ってきて洗面所に入ると、いきなり目の前に血だらけの得体の知れない物体かぶら下がっていた。私は驚いて、声も出なかった。すると、後ろから母の声が聞こえた。
「牛を半分買ってきたのよ」
 母が言うには、道端で牛が流れ弾に当たって死んだのを見て、その牛を半分引き取ったらしい。半分とはいえ、大きな牛を女性一人で解体したのだ。もちろん、母に牛を切り分ける技術などあるわけがない。
 その気になれば人はなんでもできることを母は私に見せてくれたのだ。母はその大きな肉のかたまりを吊るし切りにして、近所の人に売っていた。
 母の商売のカンは天才的だった。当時は中国人、ソ連人、アメリカ人、それに私たち日本人がそれぞれの国のお金を遣っていた。そのお金のレートが日によって変わる。母はそこに目をつけると、さまざまなお金を動かして為替による差益でもうけるという、高度なテクニックまで駆使した。
 当時、餓死する日本人がたくさんいた。しかし、私たち家族は毎日白いご飯を食べていた。まわりではみんなが飢えていたのに、私には空腹だったという記憶がない。母のおかげで、お金に困るどころか、お金が余っていたのだ。気がついたら、当時の状況ではかなり贅沢をしていた。なんと2年後に私たちが日本へ帰るときには、持って行けないたくさんのお金を捨てたほどだった。
 そこには、もはや善も悪もなかった。あるのは事実だけ。それをどう見るかは本人次第なのだ。母はそれを私に教えたかったに違いない。
 こんなこともあった。「やっとものが売れた!」と喜んで家に帰ろうとしたときだった。中国人の不良グループに取り囲まれて、お金をすべて盗られてしまった。
 「取り返してきなさい!」
 母はそう言うと、傷だらけになって帰ってきた私をいつものように外へ放り出した。もちろん、逃げていった不良たちを捜し出すことは不可能だ。結局、私も彼らと同じような方法で金を取り返すしかなかった。
 そもそも油断をするほうがいけない。少しでもものを持っていると、日本人は軒並み強盗の餌食になった。日本女性はみな丸坊主にして、男物の服を着ていた。女性だとわかると、強盗団に犯されてしまうからだ。
 私たち一家は家族全員でたくましく商売をしているので、特に目立ち、いつも狙われていた。2年間で7回も強盗に入られたのだ。それでも全員無事だったし、あいかわらずお金に困ることはなかった。
 そこには、「情」というめそめそ、ベタベタとした関係はなかった。情でお互いの足を引っ張ることもなく、ただ事実を事実として受け止めていただけだった。
 
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