ペットが死ぬとき
誰も教えなかった別れの意味
シルビア・バーバネル 著 近藤千雄 訳・編
ハート出版
 

 7章 交霊会での死後存続の証明
    ――客観的(物理的)な場合

 交霊会というのは、死者の霊が死後も立派に生き続けていることを、いろいろな現象で証明してみせることを目的として催す会のことです。
 第一章で紹介したように、19世紀半ばから世界的な科学者が参加してその真実性を証明してくれましたが、実はバイブルにも出てきますし、どの民族にも太古からあったことです。
 これには大きく分けて客観的なもの、つまり目で見たり耳で聞いたり、手でさわったりして確認できるタイプのものと、主観的なもの、つまり目には見えないけど、たとえば今ここにこういう容貌の男性(または女性)がいて、こういうメッセージを述べていますが、お心当たりの方はいませんか、といった要領で、その当人にしか分からない内容のメッセージを伝えるものとがあります。
 いずれの場合も“霊媒”と呼ばれる媒体が必要です。客観的なものの場合には、生前と同じ形体を整えて見せたり、発声器官(声帯)をこしらえるための材料として、エクトプラズムという特殊物質を使用します。主観的なものの場合、霊がその霊媒の発声器官を使用して語るわけです。ここでその詳しい解説をしている余裕はありませんので、適当な解説書をひもといていただくことにして、本章では客観的な現象によって動物の死後存続が証明された話を紹介しましょう。

 私たち夫婦が、霊言霊媒として有名なエステル・ロバーツ女史の家庭交霊会にレギュラー・メンバーとして出席していた時のことです。ある晩、いつもの時刻に訪れてみると、ロバーツ女史が悲しげな表情で出迎えました。
 どうしましたかと尋ねると、その日の夕方、ご主人とともに散歩に出かけた時に、小鳥のヒナが地面に落ちているのを見つけたのだそうです。可哀そうにと思って家に持ち帰って介抱してやりましたが、間もなく死んでしまいました。
 情が移っていたご夫婦は、小鳥用のちっちゃい棺をこしらえて庭に埋めてやり、その上に木の葉をかぶせてやりました。そして女史が祈りの言葉を述べて、家に入ったところへ私たち夫婦が訪れた、ということでした。
 そのあと、いつもの通りの交霊会となったのですが、女史が無意識状態に入るとすぐ、小鳥の啼き声とともに、パタパタという羽音が聞こえたのです。驚いていると、いつもの支配霊が女史の口を借りて、そのいきさつを解説しました。
 簡単に言えば、墓までこしらえ、祈りの言葉を述べたロバーツ夫妻の愛の念が、小鳥の魂にまで響いて、その自然な反応としての感謝の気持の表現が、あのような現象となったということでした。

 ポーランドの物理霊媒フランク・クルスキー氏による交霊会には、白昼でも物質化霊が出現したことで有名ですが、ある大学教授が科学誌「サイキック・サイエンス」で述べているところによると、動物が出現することも珍しくなく、犬や猫をはじめ、リス、ライオン、さらにはタカ、あるいはコンドルに似たものまで出現したことがあるといいます。
「彼らの行動は実に自然です。犬が出た時も、部屋の中を走りまわり、しっぽを振り、出席者のひざの上に乗って顔をなめたりしました」
とその教授は語り、コンドルが出て部屋中を飛びまわり、その翼が壁や天井に当たってパタパタという音を立てたと述べています。
 同じく「サイキック・サイエンス」に同じクルスキー氏の交霊会に出席したH・マッケンジー女史の報告が出ています。それによると、背後霊の一人であるアフガニスタン人が、時おり、ライオンに似た大きな動物を連れて出現することがあったそうです。
「その物質化した動物がザラザラした舌で列席者を次々となめてまわり、しかも、ネコ科の動物特有の体臭を発散させたので、それがみんなの衣服にしみついて、まるで動物園で何日も暮らしたみたいに、いつまでもその臭いが鼻について閉口しました」
とマッケンジー女史は語っています。
 クルスキー氏の交霊会のもう一人の常連の出現霊に、威厳のある東洋人がいて、その霊が出る時は必ずイタチのような姿をした、小さくて可愛い動物も出てきたそうです。マッケンジー女史は語ります。
「その動物はいつも大人しくて、みんなから“おいで”をされるほどの、列席者のお気に入りでした。が、東洋人が姿を消すと、その動物も姿が見えなくなりました。
 その動物はよくテーブルの上に跳び乗り、さらにテーブルから列席者の肩へと跳び乗り、そのひんやりした鼻の先で列席者の手や顔をクンクンと嗅ぎまわりました。時には何かに驚いたようにテーブルから跳び降りて部屋中を駈けまわり、置きものをひっくり返したり、テーブルや机の上の用紙をバラバラに蹴散らすのでした」

 ではここで、私か夫のモーリスといっしょに米国旅行をした時に出席した交霊会での体験を紹介して、物質化現象の驚異と謎を検討してみましょう。それには取り敢えずモーリスの著書、This is Spiritualism(日本語訳『これが心霊の世界だ』潮文社)から引用するのが適切でしょう。

 ……米国を講演旅行していた時に、ペンシルベニアで物理実験に招待された。その時も霊媒と物質化像の両方を同時に見ることができた。両方を手でさわってみることによって、それが私の幻覚でないことを確かめた。
 霊媒はエセル・ポストパリッシュ女史で、私にとっては女史の交霊会に出席するのは初めてなので、前もって部屋とキャビネットを点検することを許された。キャビネットは部屋の隅をカーテンで囲んだだけのものだった。現象が本物かどうかは現象を見れば分かることなのだが、一応、霊媒を得心させる意味もあって細かく点検させてもらった。
 部屋は奥行がほぼ40フィートもあり、気持のいい赤色光で照らされていた。物質化像は全部で数人は出た。そして部屋の端から端まで歩いた。
 中でも特に目立ったのはシルバー・ベルという名のインディアンの少女だった(写真参照)。冷媒の支配霊で、主として物質化現象を担当しているとのことだった。シルバー・ベルは得意気に額(ひたい)に輝いている星印を見せ、長く編んだ黒いおさげ髪を「これをご覧」と言わんばかりに見せびらかした。その髪は色も性質も霊媒のものとは全く
違っていた。
 私は部屋のいちばん端にいたのであるが、シルバー・ベルは私のところまで歩いてきた。そして私の手を取ってキャビネットのところまで連れて行った。それからキャビネットの中に招き入れて、霊媒がちゃんとそこにいることを確かめさせた。
 確かに、私はそこにポストパリッシュ女史を確認した。さらにシルバー・ベルが私に、女史の髪の毛から足の先まで触ってみるようにと言う。その間シルバー・ベルはキャビネットの入口にいた。結局、私がいた位置は霊媒と物質化像の中間で、両方を同時に見とどけ、同時に触ってみることができたわけである。
 私か確認を終ると、シルバー・ベルは再び私の手を取って、部屋の端の席まで案内してくれたのだった。


 さて、こうして地上時代と同じ物的身体を再現することができる以上は、心臓とか脳とかの器官も、一時的にせよ、再製されているはずです。現に多くの科学者が交霊会に立ち合って、物質化霊の手首を握って脈拍を確認しています。ウィリアム・クルックス博士の実験では、外科医師会のガリー博士がケーティ・キングと名のる物質化霊の脈を計っている写真が撮れています。
 そのほか、出現した霊が水を飲んだりケーキを食べたりした例もあります。食べたものは物質化像が消えたあとはどうなるのかという疑問が出そうですが、多分、エクトプラズムが分解する際にいっしょに分解されて、霊媒の身体に吸収されるのであろうということになっております(※@)。
 チャールズ・ボサムという霊媒による交霊会で大きな犬が物質化して出てきたことがあります。部屋の中を勢いよく走り回ったあと、うれしそうにシッポを振りながら、出席者の一人ひとりの手や顔をなめたり、ひざの上に足を置いたりして、じゃれておりました。
 そのうちにノドが渇いたのでしょうか、部屋の奥へ行って、そこに置いてあった洗面器の水(物理実験では効果を上げる目的で水を置くことになっている)を飲みはじめ、最後の一滴まで、やかましいほどの音を立てながら、舌でなめ上げてしまいました。会の終了後に点検しましたが、どこにも水は見当たらなかったそうです。

※@――それについては、なぜか霊側は詳しい原理を教えてくれないが、たぶん“気化”の作用が加わっていると推察される。その根拠として、信じられないような不思議な話を紹介しよう。
 1895年のことであるが、米国にフランシス・シュラターという人物が忽然と現われ、驚異的な病気治療で話題をさらった。一日に千の単位の数の患者を治療し、指先が擦り減るほどだったという。先天性の障害から慢性病、聾唖、盲目、ガン、結核等々、何でも奇跡的に治していた。
 人々は神の申し子として崇め、ヒステリックな賛美者も現われたが、本人は淡々として、朝から晩まで、ひたすら治療していた。
 そんなある日、1895年11月14日の朝のことである。治療室を貸していたフォックス氏が、いつもは6時には姿を見せるシュラター氏が7時になっても姿を見せないので不審に思い、ドアを開けてみるとシュラター氏の姿がない。ベッドに行ってみると一通の封筒がまくらに留めてあった。開けてみるとこうあった――

 フォックス殿。
 私の使命は終り、父が迎えにまいりました。さようなら。
 11月13日 F・シュラター

 その後もシュラター氏の消息は沓(よう)として分からない。
 イエス・キリストの遺体が墓からなくなったのはなぜかと問われて、シルバーバーチは一言
「消えました」
と答えている。霊的に浄化された人間の身体は気化されて大気と同化できるのであろうか――訳者。
 
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