地球をこわさない生き方の本
槌田 劭 編著  岩波ジュニア新書
1990年刊
 
 
  この本は1990年に初版が出版されています。今から20年以上も前に書かれたものです。しかしながら、内容的には今でも十分通用するだけでなく、ますますその正しさが証明されてきています。食べ物について考えるとき、私たちは味覚や安全性、価格などに関心を持ちますが、この本の著者が述べているように、「わが国の食糧自給率」や「地球環境への影響」といったところまで視野を広げてみる必要があるのではないでしょうか。大人の私たちにとっても必読の本だと思っています。        (なわ・ふみひと)
 
 風土に合った「食」

  ちょっと思い出してください。みなさんは毎日、どんなものを食べていますか? ハンバーグステーキ、カレーライス。焼き肉や卵焼き。それらの合間には、ガムやチョコレート、コーラにスポーツドリンク‥‥。
  現在のみなさんの食生活は、じつにさまざまな、むしろ多すぎるくらいの品物で満ちあふれています。そうした「豊かさ」に、みなさんは何の疑問ももっていないかも知れません。(中略)
  日本人の食生活がこんなふうになったのは、けっこう最近のことなのです。世界中でとれた食品を、簡単に、好きなだけ消費できるようになったのは、ほんのここ20年くらいのことでしょうか。その変化を追っていくだけでも、たくさんの、重要な問題が見えてきます。
  世界の中の飢えた地域と、私たちの「豊かな」生活との関係。どこでどうやってつくられたかわからないものを、日々口に入れている怖さ。強いものが多く手に入れることができるという、経済のしくみの中で起こる感覚のゆがみや、人間としての退廃‥‥。

  そうした問題に踏み込むのは後にして、まずはわが家の食事のことを少し紹介させていただくことにしましょう。
  わが家のふだんの食卓を構成しているのは、玄米、野菜、豆、小魚、海草です。これを私たちは「わが家の五点セット」と呼んでいるんです。実はこれは、伝統的な日本の食文化、風土に合った食なんです。
  まず、お米は日本でとれますね。日本人の食生活の基本にあるものです。
  それから野菜。日本は大部分が温帯に属していて雨がよく降る土地柄ですから、本来は野菜が豊富なんです。「本来」というのは、実はいま私たちの日常の食卓の中で日本の野菜がどれだけ使われているかというと、極めて貧しいのが実情ですので。
  次に豆。大豆は蛋白質の豊富な雑穀として大事にされてきました。ところが最近は国産大豆が非常に少なくなってきましたね。
  それから小魚。それを「おかしらつき」で何十匹、何百匹という単位でいただくのが理想的です。ちりめんじゃことか、しらすとか、あるいはもう少し大きくなった鰯の丸干しとかを食べているんです。
  最後は海草。海苔とかわかめ、昆布、ひじきなどですね。海草はミネラルの宝庫です。
  現在のわが家の食卓は、このように玄米、野菜、豆、小魚、海草の五種類で構成されています。

 虚弱な満腹者たち

  20年前のわが家ではどうだったかというと、肉をたくさん食べていたわけです。栄養イコール肉という考え方だったんです。私も高校生のころから、わりあい肉を食べていましたね。ところが、そんな食事で育った私ははたして健康だったか、馬力はあったかというと、今の私の体型もそうですけど、細くて元気がなくて、どちらかというと虚弱だったのです。
  戦前の日本人は肉なんか食べてなかったけど、がっちりした骨太の体で、小さかったけど健康でした。
  私たちが子どものとき、つまり戦時中、敗戦直後というのは、食べ物がなくて飢えた時代です。でも、そんな飢えた時代で育っていても、よっぽど無茶なことをしない限り骨折なんてしなかった。いまの子どもたちは、転んで骨折、運動場で運動していて骨折、けんかして殴り合ったら、殴った手を骨折するなんていう話まであります。
  朝礼でバタンとひっくり返る子どもも多いようですが、朝ごはん食べてこなかったからというわけです。しかし、戦争末期、敗戦直後では、朝ごはんを食べてこない子どもなんて珍しくなかった。食べられなかったですからね。食べたとしても、まともなものをまともな量食べるということはなかった。それでも、朝からバタバタとひっくり返る子どもはいませんでした。食事を1回抜いたくらいで倒れるというのはおかしいのです。
  これはどうしてでしょう。いまはお腹をすかせることを知らない食生活です。柔らかくて高蛋白質のもの、肉を中心とした食事をお腹いっぱい食べる。あるいはダラダラと食べる。間に甘いお菓子をはさんでいつも満腹状態にいる。
  考えてみれば、これは非常に特殊な状態なのですね。人類の歴史を見ても、たぶんお腹を空かせた状態というのが、むしろ基本だったのでしょう。野生の動物で考えてもわかりますね。お腹がいっぱいになったらライオンでも寝ています。お腹が空いていないと、真剣さが足りないのか、なかなか獲物にありつけない。だから、とことん空腹を経験しないと食べられない。

 「飢え」の効用

  ハングリー精神というでしょう。たとえばスポーツをする場合、ハングリー精神でエネルギーが出てくる。もともと生き物というのは、そういうふうにできているのではないでしょうか。生きることに真剣であるということとハングリーであるということとは不可分なんです。
  私たちの体も、飢えた状態に対しては備えができている。たとえば断食をしても、飢えそのものではそう簡単には死にません。健康な人であれば、半月やひと月では死なないでしょうね。それだけ私たちは飢えに備えられる潜在能力を持っているのです。私たちの祖先は飢えとともに生き抜いて、子を産み育ててきたわけで、私たちはいわば「飢えのエリート」の子孫なのです。
  ところが日常的にお腹いっぱい食べ続けていたら、生きようという内面からのエネルギーを押さえ込んでしまうことになりはしないでしょうか。甘ったれな状態を続けていれば人間が駄目になるように、食についても飽食を続けていてよいはずがありません。
  何かを食べたいと思うとき、頭の中で食べたいと思っているのか、口先で食べたいと思っているのか、お腹で食べたいと思っているのか、全身で食べたいと思っているのか、それぞれでずいぶん違ってきます。もう10年近く前に断食をやったことがあるんですが、断食を何日か続けた後で重湯を一杯飲んだとき、体が震えるような興奮状態になったんです。体全体が重湯一杯を求めているんです。
  お腹が空いたから何か食べようかというのは、腹で食べているわけです。おいしいことはおいしいのですが、全身で求めているのとは、ちょっと違うのですね。また、お腹は空いてなくて時計で食べている場合もある。時間がきたから食べようかと。
  さらに、口先で食べている場合もありますね。これおいしそう、という口先のおいしさにひかれて食べているんです。これではだんだん生命の厳しさから離れていくでしょうね。生命の厳しさに対応しないで遠ざかっているから、当然生き生きしない。そういうことが、いまの子どもたちの、一見体格はいいけど、体力がない、活力がないという状態とつながっているのではないでしょうか。

 いいとこ捨て

  ところで、わが家ではなぜ切り身の魚ではなく、小魚を食べるのか。世の中を見ていると、子どもたちが大好きなハンバーグ、カレー、ラーメン、みんな柔らかいものばかりですね。肉にしても魚にしても、骨だとか筋などの固いところ取り除いて、どこを切っても同じようなかたまりになるようにして食べています。骨を除いて食べるというのは、いいとこどりの発想ですね。いいとこどりというのは、じつは決していいことではないんです。「いいとこ捨て」でもあるのです。
  小魚と切り身の大魚のどちらがいい食であるか考えてみます。生物というのは生きるために必要なものを過不足なく、その体に持っているわけです。それをいいとこどりをすることによって、たとえば骨の材料を摂らないことになるわけです。骨にはカルシウムが豊富です。だから、切り身で食べるとカルシウムが不足するようになるのです。小魚をまるごと食べるほうがいいわけです。
  いいとこどりの話でいうと、もうひとつ。玄米もぜひみなさんにすすめたいと思うんです。白米と玄米の違いはどころにあるんでしょう。白米もいいとこどりの発想です。玄米から白米に精白することによって削り取られるものは、ひとつは糠(ぬか)です。糠にはお米の外皮と胚芽があります。お米の中でもっとも値打ちのあるところは胚芽なんです。それは生命のもとで、そこから芽が出るんです。胚芽にはビタミン、ミネラルが集中して存在しています。お米も、全体を食べれば生命に必要なものがバランスよく入っているのです。
  玄米には食物繊維も入っています。繊維をとるのはとても大切なことで、おなかの掃除にも役立つのです。繊維が腸壁を刺激すると腸の運動が促進されます。そのことで便秘が解消するんです。便秘は万病のもとといわれています。

 国際的てんぷらそば

  日常私たちが口にする食べ物について、もっと世界的視野から見てみましょう。たとえばてんぷらそば。そば粉はどこのものかというと、信州でそばをつくっているなどというのは昔の話で、いまはほとんどのそば粉はカナダから入ってくる。てんぷらの具のえびはどこからきているか。東南アジアから。衣の小麦粉はアメリカから。てんぷらの油、醤油の原料の豆、これらもアメリカかブラジルか中国からでしょう。
  そういうふうに考えていくと、てんぷらそばのように典型的な日本の食事さえも、その材料のほとんどは日本でつくられてはいない。薬味のネギくらいは日本でつくられているかもしれませんが、そのネギをつくる化学肥料の原料は外国からです。あとはどんぶり鉢と水ぐらいが日本のものということでしょう。笑うに笑えない深刻な話ですね。

  食用農産物の総合自給率は7割くらいでしょうか。もっとも、自給率はお金に換算して計算されますから、食をめぐる経済変動があれば大きく変わるものです。
  お米にかんしては自給をかろうじて保っています。しかし、小麦は14パーセントにしかすぎません。味噌、醤油、豆腐の材料である大豆は、わずか6パーセントという状態です。全体として相当な量を外国に頼る状態になっています。もし外国からの食料輸入が止まったらどうなるのか。と想像するだけでも恐ろしい状態ですね。

 今のままですまされるのか

  お金で換算する自給率ではピンときにくいと思いますので、カロリー換算で考えてみましょう。日本のカロリー自給率は年々低下してきて、今日では50パーセントを割っています。国産の牛肉も、そのえさが輸入穀物ですから、輸入が止まれば畜肉も消える運命にあるのです。もし食料輸入が止まったら、食料品価格が暴騰して、金のある人はなんとかなるけれど、金のない者はどうにもならないという事態が起こると考えなければならないですね。国民の多くが飢えることになるでしょう。

  まさか輸入が思うようにならなくなることはないだろう、外国の安い食糧は将来もあてにできるはずだというのは、2つの理由でむずかしい。1つは、現在食糧の輸出国になっている国でも、いつまでも輸出能力をもつかどうかわからない問題。もう1つは、輸入農産物の代金を払うだけの黒字を生む日本の経済力が、ずっと続くのかという問題です。
  第一の問題で言うと、異常気象が起こったときに、自分の国で飢えている人が出る中で食糧を輸出するようなおめでたい国はありません。異常気象だけでなく、アメリカでは既に表土流出という現象に表れているように、輸出用の穀物をつくるためにめちゃくちゃな土地収奪をしているのです。そのことで地力が衰え、砂漠化する。あるいは井戸水を使って灌漑をしているところでは塩害が出てくる。農業国アメリカの没落というのは、そう遠くはないのではないかと心配されはじめています。
  いずれにしても、近い将来に飢えの危機が待っていることは確かだと思います。
 たくさん壊す国

  数年前、日本で「飢餓のアフリカの子どもたちを救おう」というキャンペーンが大々的に行なわれたことがあった。キャンペーンは終わったけれど、飢餓そのものが終わったわけではない。今でも、世界のどこかで、お腹をすかせ、ぎりぎりのところで生きている人たちがいる。
  一方、私たちは、お腹がいっぱいになったら、目の前のお皿にまだ料理が残っていても、「もう食べられない」と残してしまう。同じ地球上に生きていて、一方は飢え、一方は飽食の極み。地球全体で言えば、いま食糧が足りないわけではないのだ、ただ「豊かさ」が特定の人々にかたよっているだけ。そして、「必要」が満たされない一方で、「無駄」が生じている。現実にどのくらいのかたよりが存在しているのかを、環境問題に詳しい、もと毎日新聞論説委員の高榎尭さんにたずねてみた。高榎さんはジュニア新書『地球の未来はショッキング!』の著者でもある。
  一番最初に見せてくれたのが、アメリカの新聞ニューヨークタイムズ。「牛たちの悩みごと――豊かな暮らしの象徴がついに地球の問題リストにのぼってきた」というタイトルだ。
  「アメリカ人がその蛋白源として頼っている家畜牛が、環境にどのくらい大きな悪影響を与えようとしているかといった話なんです」。

 
肉食文化の身勝手さ

  高榎さんは説明してくれた。
  「ひとつは莫大な餌の消費量。2億5000万人のアメリカ人が食べている牛を育てるために、毎年1億3600万トンもの穀物が餌として使われているのです。これは、4億人分の食べ物に匹敵する量だということです。世界の飢えを少しでもなくすのに十分に役立つ食糧を、牛が消費しているわけです」
  ウーン、なんということだ。
  「ここには、牛の出すメタンガスについての指摘があります。つまりおならですね。それが地球の温暖化をすすめていると言っているんです」
  牛のおならが環境破壊!? 
  読んでみると、家畜牛が地球に与えていると思われるさまざまな被害を、賛成意見、反対意見を紹介しながら、ことこまかく解説している。アメリカにもっと人口が少なかったころは、牛が環境に与える影響は少なかった。ところが、いまでは乳牛、肉用牛の飼育が公害を増やし、個人の健康から地球環境にまで悪影響を及ぼしているというのだ。ここでさらに記事を要約して紹介してみよう。
  「農業廃棄物はもっとも大きな公害問題のひとつとなっている。アメリカ全土の約半分の農地が家畜の放牧によって占領され、その廃棄物を垂れ流しにすることによって、水の中に窒素を増やし、川を汚染するという声もある」
  「乳牛のための牧草地を作るために、ブラジルや中央アメリカの熱帯林が切り倒されたという指摘もある。過去数十年間にわたって、中央アメリカの熱帯雨林の何百万エーカーが切り倒されてきたのである」
  餌の消費からはじまって、これでもかこれでもかと牛の罪が書かれていて、ちょっと牛がかわいそうになってしまう。ところがよく考えてみると、これはぜーんぶ私たち人間の犯した罪なのだ。(中略)
  この家畜牛の飼育による環境破壊を指摘しているミンツァー教授は、「私たちは、私たちの健康、世界の飢え、そして私たちの地球を救うためにも、牛肉に頼ることをやめなければならない」と最後に言っている。
 
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