脳がよみがえる断食力
山田豊文・著  青春出版社
2009年1月刊
 

 実は逆効果の「焼き肉でスタミナ」


  「このところ疲れ気味だから、スタミナをつけなきゃ。よし、焼き肉行くか」
  こんな言葉を、そこここで耳にする。「肉こそ最高のスタミナ食、肉は最良のタンパク源」という信仰はまだまだ広くはびこっているようだ。
  体にとってタンパク質が不可欠な栄養素であることは間違いない。
  筋肉や骨、またホルモンや酵素の材料になったり、エネルギーが不足した際にはエネルギー源にもなるタンパク質だが、その一方で“問題児”にもなる。過剰摂取による弊害が指摘されているのである。
  その代表的なものが、肝臓と腎臓への負担だ。窒素を含んでいるタンパク質は、代謝のプロセスでアンモニアを発生させる。アンモニアは毒性が強いため、肝臓はこれを毒性の低い尿素に変える。働き者の肝臓にとっても大きな負担である。尿素は血液に入って腎臓に送られ、濾過されて尿として排泄されるわけだが、この濾過作業が腎臓に負担をかけるのだ。
  このように、肉を食べ過ぎれば、肝臓にも腎臓にも大きな負担を強いることになるのである。「焼き肉でスタミナを!」という考え方は危険をはらんだものであることを知らなければならない。腎臓が悲鳴をあげて、尿素の濾過がうまくいかなくなると、尿酸が蓄積され、高尿酸血症、さらには痛風にもつながりかねない。
  もう一つの問題は、肉をたくさん食べると血液が酸性に傾いてしまうことだ。そうなると、体は中和するように働くのである。このとき体はどうするか? じつは骨や歯のカルシウム(アルカリ性)を溶かして血液中に送り込むのである。これは「脱灰(だっかい)」と呼ばれる。
  また、肉は酸を生じる食品であると同時に、カルシウムが少なくリンを多く含む食品でもある。
  食べ過ぎて体内にリンが増えることも、また問題なのだ。体の中のリンとカルシウムのバランスは、ふつう1対1の状態に保たれている。だから、肉の過剰摂取でリンが増えすぎると、バランスを調整する必要が出てくる。その調整も脱灰によって行なわれるのである。
  脱灰が起これば、骨や歯は弱くなる。また、視力低下や糖尿病、心筋梗塞の引き金になることも指摘されている。タンパク源、スタミナ食であるはずの肉は、むしろ、より大きな弊害をもたらす“問題児”であることがわかっていただけただろうか。

 「カルシウム=牛乳」信仰はもう古い?

  「カルシウムを摂るために牛乳を飲む」というのは、ほとんど定説のようになっている。実際、子どもにせっせと牛乳を飲ませる親はどこにでもいるし、牛乳嫌いの子どもは、「牛乳を飲まなきゃ、大きくなれないんだから‥‥」などと叱責されたりもするのが実情だ。
  しかし、いくら牛乳を飲んだところで、骨のカルシウムが充実するということはない。まず、カルシウムが体の栄養素として使われるためには、吸収されなればならない。吸収されるには、カルシウムを含む食べ物が消化酵素によって分解され、吸収されやすい形になることが必要だ。
  乳類に含まれる成分、乳糖を分解する酵素はラクターゼと呼ばれるものだが、日本人はある一定の時期を除いて、このラクターゼがほとんど働かないのだ。ラクターゼが働く例外的な時期とは赤ん坊の時期である。
  乳児期の赤ん坊は基本的に母乳しか口にしない。栄養素の供給は母乳に依存しているわけだから、必要なラクターゼは活発に働くのだ。ところが、生後1年前後になって離乳がすすむと、しだいにラクターゼの働きが弱くなり、成人ではほとんど分泌されなくなるのである。
  成人になってもラクターゼを持っているのは北欧系の人に限られる。日本人などのアジア系人種、アフリカ系の人はラクターゼが働かないので、いくら牛乳を飲んでもカルシウムは吸収されず、ムダに排泄されていくばかりなのだ。
  つまり、牛乳をたくさん飲むと、カルシウムが摂れて骨が強くなるというのは、大いなる誤解なのである。それを実証する科学的なデータはいくらでもある。25年間かけて沖縄の人たちの健康法を調べた『THE OKINAWA PROGRAM』では、100歳以上の長寿の沖縄の人たちは、ほとんど牛乳を飲まないのに骨が強かったことが報告されている。
  また、1日1000ミリグラム程度のカルシウムを摂取するアフリカ系アメリカ人と、1日296ミリグラムしか摂取しないアフリカ系先住民の骨折の度合いを比較したところ、前者の骨折率が9倍も高かったというデータもある。「カルシウム=骨の強化」という図式ではとうてい説明できない事実が厳然としてあるのだ。
  さらに、2年間毎日牛乳を2杯飲み続けた女性と、まったく摂取しなかった女性を比較した極めて興味深いデータも発表されている。前者は後者の2倍の速度で骨量が減っている、というのがその結果だ。このデータは、牛乳は骨を強化するどころか、もろくするということを物語っている。
  これは科学的にも説明できる話だ。タンパク質を多く含む牛乳は、体内で酸を生じやすい。牛乳をガブガブ飲めば体が酸性に傾き、「脱灰」という現象が過剰に起こるリスクを高める。骨や歯のカルシウムが血液中に溶けやすくなるわけだ。骨がもろくなるのは当然である。

  牛乳の問題点はまだある。マグネシウムが少量しか含まれていないという点だ。牛乳のカルシウムとマグネシウムの含有量の比率は、ほぼ10対1だ。マグネシウムはカルシウムを正しく働かせるために極めて重要な役割を担っている。
  一般にはカルシウムとマグネシウムを2対1くらいの割合で摂るのがいいとされるが、私は1対1くらいが理想だと考えている。つまり、牛乳を多飲すれば、バランスはますます理想から遠ざかり、マグネシウム不足を招くのである。牛乳は体内のミネラルバランスを崩す元凶でもある、といっていい。
  海藻や豆類、野菜などからカルシウムを摂っていれば、ミネラルバランスが極端に崩れることはない。
  我々日本人が何を食べればよいかという判断は、これまで日本民族が長い歴史の中でどのようなものを食べてきたかを考えるところから始めなければならない。これが「食を知る」ということである。

 食の大切さを忘れた“飽食人”たち

  日本は世界に冠たる「グルメ天国」だという。確かに、都市部の繁華街には各国料理店が軒を連ね、さながら世界の料理コンペティションの趣だ。店内では、毎日毎日野放図に、しかも大量に料理が客の腹におさまっていく。だが、それが本当に“天国”の風景なのだろうか。私には“地獄”にしか見えない。
  禅宗の僧が食事の前に唱える『五観の偈(げ)』という偈文(げもん)をご存じだろうか。五箇条からなる次のようなものだ。

  一つには功の多少を計り彼の来処を量る
  二つには己が徳行の全欠を忖(はか)って供に応ず
  三つには心を防ぎ過(とが)を離るる事は貧等を宗とす
  四つには正に良薬を事とする形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり
  五つは成道の為の故に今此の食(じき)を受く


  第一に、この食物を耕作した人たちの労苦に思いをいたし、いまこの食をいただくありがたさに感謝する。さらに、いま口に入れるまでにいろいろな経過や手数などを思うと、一粒の米でもムダにできない。
  第二に、このようなありがたい食物を受ける資格があるかと、己の修行を反省する。
  第三に、修行とは、心の汚れを清めること、すなわち貧瞋痴(とんじんち=貪り・怒り・無知)の三毒を払いのけることである。この三つの中でもっとも悪い貧を克服する修行のために、食物をいただく。
  第四に、肉体を保持するために良薬と観じて、食物をいただく。
  第五に、仏と同じ悟りに達するために、この食物をいただく。

  ――という意味である。

  ひるがえって現代の食生活を見れば、飽食人たちがいかに食をないがしろにしているかがよくわかる。「いただきます」のひとこともなく、料理を食べ散らかし、腹が満ちれば残そうとおかまいなし。

 空腹感が教えてくれる感謝の心

  断食を経験した人は皆、食に対する意識が変わる。
  食欲は本能である。そのもっとも根源的な欲求を断つことで、意識改革がもたらされる、というのが私の考えだ。空腹感、ひもじさの中で、改めて食の大切さに気づくのである。
  断食を終えて、しばらくぶりに口にする粥を、一口ずつ噛みしめるように味わえば『五観の偈』にある「つくった人の労苦」のいくばくかは実感できるし、「食べられる」ことのありがたさに、感謝の気持ちも湧き起こってくる。飽食にひたりきってきた自分への反省の思いもきざすのではないか。
  食に対する意識が変われば、食べるものも変わるし、食べ方も変わる。現代人にとって、これほど意味深いことはないのではないか。
  戦後を生きた日本人がそうであったように、一度飢餓状態を体験した人は、決して食べ物を粗末にしないし、ムダにもしない。過食への罪悪感もとりわけ強いことだろう。食に対する確固たる意識が根づいているからだ。
  昭和を代表する経済人である土光敏夫さんは、倒産の危機に瀕していた石川島重工業(石川島播磨工業の前身)、東芝を相次いで再建し、旧経団連の会長もつとめた人物だ。また、行政改革にも執念を燃やし、「行革の鬼」の異名を冠されもした。
  その土光さんに、よく知られるエピソードがある。テレビ番組で、行政改革を推し進める土光さんの日常に密着したところ、その質素な生活ぶりがあきらかになったのだ。とりわけ、テレビクルー、そして視聴者が度肝を抜かれたのが、夫人と二人で摂る夕食の献立だった。
  メザシニ尾に菜っ葉に梅干し、玄米飯と味噌汁。それが財界の重鎮・土光敏夫のメニューのすべてだったのである。反響は大きかった。さる行政改革に関する集会後、会場を後にする土光さんを待ちかまえていた浅草六区の婦人会の面々が、袋一杯のメザシを手渡した、という話も報じられている。
  食のなんたるかを心得ている人は、生きざまもひと味違ったものになるのである。
  現在、食に対する意識を育てる飢餓状況はない。唯一、断食だけが意図的にその状況をつくりうるのではないか、
  いったん意識が目覚めれば、それが揺らぐことはない。飽食の限りを尽くし、体にも脳にも大きなダメージを与えていた人も、間違いなく生まれ変わる。
  体や脳に対する断食の実効性はいうまでもないが、生き方のバックボーンがしっかりできるという点も、断食を行なう意味として見逃せないものである。
 
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