ホピ的感覚
小原田 泰久・著  KKベストセラーズ
1995年刊
 
 

 
モンゴルの大草原の空

  私たちは、個人個人で勝手に生きているように思っているが、実は家庭という場の中で家族同士が相互に関係を持ちながら生きているし、範囲を広げれば、地域とか社会とか国家という場で生き、さらには地球、太陽系という場の中で生きているのである。そして、自分という場よりも家庭という場、家庭よりも地域、地域よりも国、国よりも地球、地球よりも太陽系といった具合に、より大きな場を実感しながら生きている人ほど、つまらないことにくよくよすることなく生き生きしているように思える。
 

 
日本人へのメッセージ

  私たちが今住んでいる世界というのは、非常に物質的な価値観の強い社会で、これは白人の世界です。私は学校でたくさんの白人の知識をつめこまれましたが、それは何の役にも立ちませんでした。
  白人は、世界中の先住民や、先住民にかぎらず、すべての人々の生活や精神を破壊しようという悪しき企みのもとに、この文明を創りました。そして、その文明が崩壊していくのは直前に迫りました。私たちのいのち、未来が危険にさらされています。
  ですから、今、ひとりひとりが何ができるのか、何をしたらよいのかを考え、行動していくことを迫られています。こんにちは、まだ大丈夫といえるかもしれません。しかし、近い将来にやってく変化は、想像を越えるほど困難なものとなるでしょう。
  例えば、戒厳令のようなものが世界中のいたるところで敷かれ、外から押しつけられる法律などに従わなければ殺されたり、追放される時代がやってくると、預言には伝えられています。カリフォルニア地震のような多くの天変地異が起こり、世界の仕組みが急速に変わり、多くの人命が失われていくでしょう。

 宇宙と一体化する時代

  見えない世界を知ることは、「自分は自分」という「個」の考え方を捨て、魂レベルですべてがつながっている「事実」を知ることである。人を傷つける行為は自分に必ず返ってくることを知ることである。すべての存在物が「個は全体であり、全体は個である」という法則に支配され、そこから逃れることはできない。

 気場の劣化が目立つホピの村

  現代科学では、生命場とか気場の中に存在しているものがなんなのかは、まったく解明されていません。それは、そこに何もないからではなくて、現代科学がその水準まで行っていないからです。いずれ、生命場の中には何が存在しているのか、解明される時代が来ると思います。
  人間の肉体というのは、臓器の集合体のように考えられてきました。しかし、実際にはそんなことはないんですね。臓器と臓器の間には空間があるのです。そこには、何があるのかわかっていません。空気が詰まっているわけではありませんし、かといって真空でもない。現代医学ではわからない場所なんです。
  もし、臓器だけが重要だとしたら、臓器を対象として急速な発展を遂げた西洋医学で、病気はすべて解決できるはずです。でも、人間の場合は決して、そんな簡単にはいきません。
  そこで注目しなければいけないのが、西洋医学ではまったく相手にされなかった空間の部分ですね。私は、西洋医学が臓器を対象にしているなら、中国医学はこの空間を対象とする医学だと考えています。

  宇宙の中に、地球があり、太陽系があり、銀河系がある光景をイメージしてください。人間の身体の中も、胃や心臓や肝臓が、地球や太陽のように生命場、気場の中に浸っているとは考えられないでしょうか。
  お互いに引力で影響を与え合い、ある正確な秩序の中で存在しているということができると思うんです。それは、臓器だけではなくて、細胞や染色体から遺伝子、DNAにいたるまで同じことが言えるでしょう。
  よく人体はミクロコスモス、小宇宙と言われますが、生命場、気場といったものを考えると、そのことが非常によくわかるんです。

 生老病死の四段階をよく生きる

 
場というものは、境界があるわけではなくて、全部つながっています。だから、個人の場は地球の場でもあるわけです。逆に地球の場は個人の場でもあります。
  私たちは、地球の場をよくしようと考えたとき、まず考えなければいけないのは、自分自身の場がきちんと整っているかどうかです。自分の場が整えば、それは当然、地球そのものの場でもあるわけですから、地球の浄化にもつながっていくわけです。
  自分の場が乱れに乱れているのに、地球を救えなどと大声を出しても、なんの解決にもなりません。
  それじゃ、自分の場というものはなんなのか、どうやれば整うのかということになります。
  私は、一番重要なのは心だと思っています。病気を治そうという場合でも、家の基礎工事に当たるのが心ですから、そこをないがしろにして、いくら上に何を積んでもだめです。1階がライフスタイルです。食事をどうするかとか、気功をやるといったことですね。2階部分が人がやってくれるいろいろな治療ですね。
  病院に見える患者さんで、十種類ぐらいの健康食品を食べている人がいるんですが、そういう人には、いくら2階をきらびやかにしても、基礎工事がきちんとできていなければダメですよと言うんです。
  でも、心と言っても、どういう心がいいんだとなるとまた難しい。明るく前向きの心がいいのは、もちろんわかっていますが、いつもそんな心でいるのはとても難しいんです。特に病状が悪くなっているときというのは、明るく前向きにならなければいけないのはわかっていても、なかなかできるものではありません。
  患者さんにはいつも、『いまあなたは病んでいるから、その中でどう生きればいいのかを考えてほしい。現実に今日はあるわけだから、自分なりによく生きたという充実した生き方をしてほしい。それが正しい心の持ち方ですよ』と言っているんです。
  現実から目をそらすわけにはいかないんです。落ち込んでいてもいい方向には向きません。

 人々の意識が変わる重要性

  病気がいったん治っても、また病気になる人がいます。そういった人は、きちんと意識の変革ができていなかった人たちです。ああ治ってよかったで終わってしまうと、必ず再発したり、もっとひどい病気になったりします。それだけ意識の持ち方というものが重要なんですね。私は、”気づき”が病気を治すんですよと言っているんですが、自分の生き方、考え方を変えることです。気づきがあれば、自然に治っていくんです。

 すべてのことには意味がある

  すべてのことに意味があるとしたら、この世に生を受けたことにこそ、もっとも大きな意味があるはずである。この生まれてきた意味、生きる意味こそ、運命を解明する重要な鍵になるはずである。
  私たちは、自分自身が肉体をもって生きる何十年かをどう生きていき、何を役割として果たしていくか、この世に生まれることが決まった時点で、運命という名のシナリオを手渡されている。そして、そのシナリオに沿って生きていくのだが、その過程で必ず、自分の生きている役割を知らしめられる出来事が起こってくる。
 自分自身が大病を患ったことがきっかけで、病気治しの道に入った人は多い。彼らにとっては、病気治療の道がその人の役割だということを知らしめるメッセージであり、シナリオの中にきちんと書き込まれていたことなのだ。
  その意味を知って、自分の役割を果たすのが生きる目的だとしたら、シナリオに書かれているいろいろなメッセージを読みとることが私たちには求められてくる。読みとれなければ、役者が自分に与えられた役を演じ切れないために降ろされたり、野球のピッチャーがめった打ちにあって降板させられるように、人生を途中でリタイアしなければならなくなってしまう。それが天寿を全うできない「死」ということになるのだろう。
  運命というのは、神さまから与えられたシナリオである。そこには、自分の役割が細かく記されている。それをどう演じるかは私たちに任されているが、自分の生きている意味に気づくシーンだけは最大のハイライトとして、手を抜くことは許されない。そのきわめて重要なシーンには、人生を決める出会いだとか事故だとか別れといった悲喜こもごものドラマが書き込まれている。そのドラマの中から、シナリオには書かれていない深い意味を読みとれるかどうかが、役を降ろされるかどうかにかかってくるのである。

 病気や災害は神さまからのメッセージ

  病気になりたいと思っている人はほとんどいないだろう。しかし、病気になる人は確実にいる。病気の原因として、細菌だのウイルスだ遺伝だと、さまざまな原因が取りざたされているが、それだけで原因が特定できるほど病気は単純なものではない。
  どうして原因がわからないのだろうか。ひとつの病気が撲滅できたと思ったら、すぐに新しい病気が発生するのはなぜだろうか。それも、人間が太刀打ちできるよりも少しだけ難しいレベルの病気が出てくるのである。ガンもエイズも、今のところ特効薬はないが、ひょっとしたらなんとかなるのではないかと思わせる病気である。実際には、今の医学ではどうしようもない病気だと思うが、それでも人間を絶望のどん底に落とすほどのものではない。
  こういったことを踏まえて病気を見ていくと、病気が何を語っているかが感じられるようになるはずである。
  私たちは、病気を絶対的な「悪」ととらえてきた。人類の敵として、撲滅することを第一に考えてきた。しかし、それでは部分的にはいい結果が出たものの、総合的に見ると、何の解決も見出せていないのである。病気と人間の闘いは、完全に人間の敗北に終わっている。
  そんな現実がある以上、私たちは病気に対するアプローチの仕方を変更しなければならないだろう。つまり、病気を悪、あるいは敵とする見方をやめるのである。
  神さまからの愛に満ちたメッセージは、場合によって私たちの価値観の中では「悲劇的」に見える。病気は、私たちにとっては悲劇である。しかし、病気など撲滅すべきだといきり立って突進する前に、実は神さまからのありがたいメッセージではないだろうかと、ちょっと考え直す余裕が必要な気がする。

  神さまは「絶対に治らない病気」を私たちに与えることはしない。ほとんどの病気は、今までの考え方では治らないかもしれないが、ちょっとだけ意識を変えれば簡単に治ってしまう。気の医療で奇跡的な治癒が起こっているというのは、私たちが絶対的なものとしてきた西洋医学の考え方から少しだけ意識を違った方向に移すことができたからだと解釈してもいいだろう。意識のあり方をもう少し大きな視野から見つめ直しなさいということを、病気から私たちは教えられているのだ。
  このことは、さまざまな災害にも言えるはずだ。地震や津波や洪水は、私たちの生活を脅かす存在である。その一面だけを見て、悪いものだと忌み嫌うことが多いが、そういった見方はあまりにも人間本意なものではないだろうか。もう少し視点を変えて、これも人間の意識の変革の必要性を訴えている現象だと考えてみると、災害が決して忌み嫌うだけのものではないことがわかってくるだろう。

 ホピ、最後のメッセージ


  地球を生命体と考える「ガイア」の思想が話題になったことがあったが、ホピの人々も他のインディアンたちも、私たち日本人の遠い先祖も、そんなことを口に出す必要がないほど当たり前のこととして、生命としての地球とつきあってきたのである。現代は不幸な時代である。その程度のことを口に出し、本にし、映像にしなければ、人は気づきを得られないのだから。
  インディアンたちを野蛮人として排除してきた歴史は、もう終わらなければいけない。銃で脅し、アルコールで手なずけ、法律で縛るといったことが、決して正しくなかったことは、今の世の中を見ればわかるはずである。環境も人の心も肉体も、歪み切ってしまっている。
  私たちはいま、真剣な気持ちで古き良き時代の精神を必要としている。ホピの人たちの生き方を私たちの社会の中に取り戻すことが急務となっているのである。
  自分たちが自然の一部であることを当然のこととして受け入れ、すべての存在と共存する生活である。何も犠牲にすることのない、すべてが幸せになれる生活である。食べ物に感謝し、一本の草や一個の石ころにも感謝できる気持ちがあれば、そんな生活は決して不可能ではない。
  災害が起こったときには、自然に対して怒りを持つのではなくて、自分たちが自然に対して何をしてきたのか、それを反省すべきだろう。山を切り崩し、海を埋め立て、地面はアスファルトで覆ってしまい、化学洗剤を垂れ流し、農薬で土を汚し、工場や車の排気ガスで大気を汚染し、ゴミをあふれさせている。災害は、そんな人間の生き方への警告なのである。そんな生き方を改めなさいと、ホピの預言でもいっているのである。
  浄化の日がいよいよ大きな山を迎える。 
 
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