心にまく種、心に咲く花

ジェームズ・アレン 著 菅靖彦 訳 Softbank
★ なわ・ふみひとの推薦文 ★ 
 ベストセラーともなった『原因と結果の法則』(サンマーク出版)の著者であるジェームズ・アレンの著書です。
 この本で著者が述べている内容は「身魂磨き」の真髄とも言えるもので、新約聖書にもある「自分が蒔いた種を自分で刈り取る」という人生の法則を具体的に解説したものといってよいでしょう。
 「種」とは「思い」であり、「言葉」であり、「行為(行動)」だと言っているのですが、それらはすべて自分の「心」の中に蒔かれるものですので、その「心」をしっかり見張っていれば、やがて解脱(げだつ)や悟りの境地に達し、それに伴って人生も輝かしいものになっていくという真理が述べられています。
 私が常々「心の癖」という言葉を使っておりますが、その意味もよく理解していただけることと思います。心の癖がカルマを生み出し、それが人生にはね返ってくるということです。何度も読み返していただきたい超お勧めの1冊です。
 
 心と人生

  心のおもむくままに人生は形づくられていきます。心の内側にあるものが、たえず外側へとあふれ出してくるのです。外側へとあらわれてこないものは何もありません。隠れているように見えるものも、ほんの一瞬のできごとにすぎません。やがて成熟し、あらわれて出てくるのです。
  自然の秩序は4つのステージからなっています。まず種子が発芽して木へと成長し、花を咲かせ、最後に実をつけます。同じように、心のなかの状態から人生のいろいろな状態が生じます。「思い」が「行為」として開花し、「行為」が性格や運命の実を実らせるのです。
  心の内側にあるものが、たえまなく外へと展開し、次々に日の目を見ていくのが人生です。心のなかに生じた「思い」は、やがて「言葉」となってあらわれ、さまざまな「行動」を引き起こし、いろいろなものごとを達成させます。
  今いるあなたという存在も、あなたがこれからすることもすべて、心の奥にあったものから生み出されます。これからあなたがなろうとしている人間も、これからあなたがしようとしていることも、すべては心の奥に根ざしているのです。

  人は自分の心の見張り番です。自分の人生の砦を一人で護っているのです。人は勤勉にもなれますし、怠惰にもなれます。もっと注意深く心を護ることもできます。心を見張り、清めることもできるのです。不正な考えを抱かないように自分を見張ることもできます。それが悟りと至福に至る道です。その一方で、人はだらしのない、いい加減な生活をすることもできます。
  人生全体が心から生まれることに気づかなければなりません。そうすれば、道義的にすぐれた思考と行動の道を、力強く歩むようになるでしょう。そういう人にとって、人生は美しく、清らかなものになるでしょう。疲れることを知らない勤勉さをもって、自分の心の門をしっかり見張る者が、解脱や悟りや大いなる平安にたどりつけないことはありえないからです。


 心の性質とパワー


  心は人生の決定者です。いろいろな人生の状況を生み出し、その結果を受け取るのです。心は幻想を生み出す力と現実を認識する力を内に含んでいます。
  心は自らの状態を正確に映し出す運命の織物を織る職人です。思いという意図が、善良な行ないやよこしまな行ないによって、縦横に織り込まれていきます。
  そうやって、人生という機織りによって織られた織物は、その人の性格を表します。心は自分でこしらえた衣裳を身にまとうのです。
  精神的な生き物である人間は、並外れた心のパワーを持ち、限りない選択の道を与えられています。体験から学ぶ人間は、自分の体験をどんどん伸ばすこともできますし、嫌であれば、やめることもできます。人は何ものにも縛られませんが、自分で自分のことを縛ることがあります。けれども、自分で縛ったのであれば、自分で解き放つこともできるはずです。
  人はその気になりさえすれば、獣のようにも、純粋にもなれます。愚かにも、賢くもなれます。人は同じことを繰り返すことによって、習慣を形成しますが、新たな努力をすれば、習慣を壊すこともできます。人の可能性は計り知れないのです。
  心は「自分自身の状態を作り出し、自分が住む状況を選ぶ」という性質を持っています。人は選択を繰り返し、徹底的に体験することによって、自分に合った心の状態を模索しているのです。
  心の内側で起こっている思考のプロセスが、性格や生き方のすべてを決定します。とはいっても、そのプロセスは固定されたものではなく、強い意志や努力によって修正することができます。習慣、無気力、罪深い行ないは密接に結びついて、その人の性格や癖になっています。すべては自分の行なったことが、結果として表れているだけに過ぎないのです。
  ですから、そうした結果を招きたくなかったら、自分の選択でそうするしかありません。怠惰な習慣や罪深い行ないを生み出す源は心の中にあるのです。
  外で起こる出来事は内側の思いによって形づくられ、命を吹き込まれます。誘惑は外部の人や物によって引き起こされるのではなく、そうした人や物を求める心の渇望によって引き起こされるのです。苦しみや哀しみを生み出す原因も、外側の出来事にあるのではありません。そうした出来事に対して取り乱した反応をする未熟な心の中にあるのです。
  知恵によって鍛えられ、きちんとしつけられた清らかな心は、苦悩を生み出さずにはいない肉欲やよこしまな欲求をことごとく避けて通ります。だから、悟りにいたり、心の平和を達成できるのです。
  他人を悪人呼ばわりしたり、外側の状況を諸悪の根源のように考えるのは、世界の苦しみや不安を煽りたてます。外側にあるものは心の内側にあるものの影でしかありません。心が汚れていなければ、あなたの身のまわりで起こる出来事はすべて快適になり、美しく清らかな生活環境や人間関係がもたらされます。
  悟りと平和に至る道は、他人の心ににらみをきかせて操ることによってではなく、自分自身の心を正しく制御し、不変の気高い徳のある道に自分を導くことによって発見されるものだからです。
  人生は心の中から紡ぎ出されます。心に抱く思いが、ある種の習慣となって心の傾向を生み出し、それが行ないとして外に表れることによって、人生が進んでいくのです。どういう思いを抱くかによって心の性向を変え、自分の人生を変えられるということです。

 習慣はどうやって形成されるか

  性格になってしまっている状態は、すべて獲得された習慣です。日々、同じような考えを繰り返しているうちに、そのような心の状態ができあがったのです。くよくよする性格や明るくて元気な性格、怒りやすい性格や穏やかな性格、欲張りな性格や寛大な性格――すべての心の状態は選択によって作り上げられた習慣なのです。そのため、無意識の行動パターンになってしまっているのです。たえず繰り返される思考は、ついには固まった心の習慣になります。そして、そのような習慣から、その人特有の人生が展開していきます。経験を繰り返すことによって知識を得るというのは、心の特徴です。最初のうち、長く保っているのがとても難しい思考でも、たえず心の中に抱いていれば、最後には自然で習慣的な状態になります。
  最初は実現不可能に思える心の状態も、辛抱しながら訓練すれば、やがてはごく自然な状態として性格に組み入れられるのです。
  心の習慣を作り直す力を持っていることが、人間にとっては救いといえます。自我を克服することによって完璧な自由へとつづく扉を開けることができるのも、そうした力を持っているからです。

  正しいことよりも悪いこと、気高いことよりも罪深いことをするほうが簡単だとよく言われます。仏陀に劣らぬある教師はこう言っています。「悪い行ないや自分に害をもたらす行ないはしやすい。自分のためになる良い行ないをするのはむずかしい」。
  一般論としてはその通りです。しかしそれは、進化の途上にある人類の一時的な状態を指しているにすぎません。人間が良い行ないをするよりも悪事を働くほうが簡単なのは、「無知」がはびこっているせいです。ものごとの本質、人生の意味が理解されていないために、悪事に走りやすいのです。
  子どもが文字を書くことを習っているとき、誤った持ち方でペンを持ち、間違った字を書くのはきわめて簡単です。正しくペンを持ち、正しい文字を書くのは大変なことです。それは子どもがまだ文字を書く技術を知らないからです。そうした無知を追放するには、努力してコツコツと書く練習をし続けなければなりません。そうすれば、ペンを正しく持ち、正しい字を書くことが無理せずできるようになり、間違った文字を書くことのほうが難しくなります。
  心や人生にとって重要なことにも、それは当てはまります。正しい考えを持ち、正しいものごとを行なうには、多くの訓練とたゆまぬ努力が必要です。努力して訓練を続けていると、やがて正しい考えを持ち、正しくものごとを行なうことが習慣となり、楽にできるようになります。すると、間違ったことをするのが難しくなるのです。
  職人が修行を積むことによって技を磨き、完成させるように、人は訓練を重ねることによって善良な性格を磨き、高潔な人格を完成させることができます。すべては新しい思考の習慣を形成できるかどうかにかかっているのです。意識しなくても正しい純粋な思考が自然にできるようになり、よこしまな考えをいだくことや意地悪い行動をすることがつらく思えるようになっている人は、最高の徳と、精神的に純粋で気高い知識を獲得した人です。

  おだやかさや忍耐力も同じようにして自分の習慣にすることができます。最初は多少意識しておだやかであろうとし、忍耐を持つことを考え、実行しなければなりません。しかし、根気よくそれを繰り返していると、やがてそれらの性質が身につき、習慣になっていきます。すると、怒りや性急さは永遠に姿を消します。
 このようにして、すべての間違った思考や不純な思考を心から締め出すことができます。不誠実な行ないもすべてこのようにして追い払うことができます。どんな罪深い行ないも克服できます。

 することと知ること

  性格、身に起こる出来事、環境、境遇、人間関係など、人生のすべてのことは心から生じます。心はたくさんの習慣の組み合わせからなっています。習慣は固定されたものではなく、根気よく努力することによって、いかようにも変えることができます。人は習慣を自由自在に操る力を握っているのです。と同時に、あらゆる束縛から解き放たれ、自由への扉を開ける鍵をも握っています。
  しかし、人生を汚すものからの解放は、心を浄化することによって徐々に達成されるものであり、何かをしたり、何かを手に入れたりしたから、すぐに達成されるものではありません。
  ともすれば情熱に駆られて間違った行動に走りやすい状況のもとで、清らかなことを考え、落ち着いた態度をとれるよう、日々、心の鍛錬をしなければならないのです。正しい人生を望む者は、根気よく大理石に鑿(のみ)をふるう彫刻家のように、心のあらけずりな部分をゆっくり時間をかけて丹念にけずり落とし、自分のもっとも美しい夢という理想像を彫り上げなければなりません。
  そのような崇高な偉業を体験するには、もっとも低い簡単なステップを踏むことから始め、徐々に高度な難しい段階へ進んでいくことが必要です。成長、進歩、進化、といったものが段階を踏んで徐々にのぼっていくというこの法則は、人生のあらゆる領域で通用しますし、人間が何かを達成しようとするときに絶対必要なものです。それを無視すれば、間違いなく失敗に終わるでしょう。

  「より高潔な人生は、神学や哲学の本を読んで、そこに書かれている形而上学的な仮説を採用すれば実現できる」と考えるのは、よくある誤りです。高潔な人生とは、考えること、話すこと、することにおいて、高潔さを発揮して生きることを意味します。これらの知識は、徳のある行ないを追求し、実践する長い鍛錬の末に初めて獲得されるものです。
 偉大な知識を得るには、まずささいな知識を徹底してマスターしなければなりません。真の知識を獲得するには、必ず訓練を経なければならないのです。
  正しいしつけがされる家庭では、子どもはまず親の言いつけに従順に従い、どのような状況でも言われたことを正しくやるよう教えられます。子どもはどうしてそうすべきなのか告げられずに、そうするよう命令されるのです。親に言われたことをその通りにできるようになった後に、初めて「なぜそうすべきなのか」を告げられるのです。
  このように、日常の世界においてさえ、知識より訓練が先行します。清らかで高潔な人生を達成するためには、この法則は絶対に護らなければなりません。真理は、日々徳を積むレッスンをすることによってのみ達成できます。最初はごく簡単なことから始めて、次第に難しい課題に取り組んでいくのです。

 高潔な人生への第一歩

  徳の道は知識の道であり、すべてを包含する真理の法則を理解するには、それ以前の段階における学習をきちんとやり終えていなければなりません。では、真理を学ぶ者はどこから一歩を踏み出せばよいのでしょうか?
  最初のレッスンは、間違った心の状態を克服することからなっています。そうした状態は精神的な成長をさまたげる障害になっているばかりでなく、家庭や社会のためになることをするさまたげにもなっています。これらのレッスンに含まれる最初の10のステップを紹介しましょう。

 ■悪い生活習慣(第1のレッスン〜身体の鍛練)
   1.なまけ癖
   2.放縦

 ■悪い言葉の習慣(第2のレッスン〜しゃべり方の訓練)
   1.中傷
   2.噂話と無駄なおしゃべり
   3.辱める言葉や不親切な言葉
   4.軽はずみな言葉や非礼な言葉
   5.あげ足をとるしゃべり方やあら探しをするしゃべり方

 ■訓練して身につけられる徳(第3のレッスン〜性癖の訓練)
   1.心を空しくして務めを果たす
   2.揺らぐことのない正直さ
   3.かぎりない寛大さ


  このような混沌とした状態があるということは、心が人生の真の意味や目的にまったく目覚めていない印です。そうした悪癖を退治するのが、徳のある安定した生活に踏み出す最初のステップなのです。

 
1.なまけ癖

  心を鍛錬する最初のステップは、なまけ癖を克服することです。これはもっとも簡単なステップです。なまけ癖を完全に克服するまでは、次のステップには進めません。
  なまけ癖は、必要以上に身体をいたわって楽をさせ、必要以上に長い睡眠時間をとるという習慣となって現れます。また、なまけ癖のある人は、今すぐやらなければならない務めや仕事を避けようとします。
  このような怠惰な状態を克服するには、次のようなことを心がけなければならません。

 ★ 睡眠時間は、体の疲れをとるのに必要な時間だけにする。
 ★ どんなささいなことでも、やる必要のある務めや仕事は即座に、精魂をこめてやる。
 ★ ベッドで食べ物を食べたりも、飲み物を飲んだりしない。
 ★ いったん起床したあと、ベッドに横たわってくつろいだり、夢想にふけったりしない。
   これは意志の強い性格を育んだり、心を浄化したりするのをさまたげる致命的な習
   慣である。
 ★ だらだらしているときに、考えることをしてはならない。そのような状況で、汚れの
   ない正しい思考をすることはできないからだ。ベッドは寝るためのもので、考えごと
   をするためのものではない。

 
2.放縦

  第2のステップは暴飲暴食をする癖の克服です。大食漢は、食べることの真の目的を考えずに、動物的な欲求を満たすためだけに食べる人間です。そのような人は、身体が必要とする以上のものを食べ、甘い物やごちそうをたらふく食べた後でも満たされません。
  そのような自制心のない欲求を克服するには、摂取する食べ物の量や一日の食事の回数を減らし、簡単なダイエットに頼るしかありません。食事を規則的にとり、それ以外の時間に食べるのは絶対にやめるべきです。夜食は廃止すべきです。深い眠りを誘発し、心を曇らせるからです。
  このようなしつけの方法を追求していけば、それまで自制できなかった食欲があっという間にコントロールできるようになるでしょう。そして、感覚的な放縦の罪が心から取り除かれるにつれ、浄化された心の状態に合った正しい食べ物を本能的に選べるようになるでしょう。
  楽しみで食べている間は暴飲暴食を繰り返すでしょう。心から官能的な渇望や欲望を締め出さなければなりません。
  身体の欲求を上手にコントロールし、思い通りにできるようになったとき、どんな仕事や努めも後回しにされなくなったとき、早起きが喜びになったとき、質素、節制、禁欲がきちんと守られるようになったとき、どんなに量が少なく質素でも、自分の前に出された食べ物で満足できるようになったとき、美食への渇望がなくなったとき――、高潔な人生を実現するための最初の2つのステップが終了します。そのことによって、真理を学ぶ最初の重要なレッスンが終わります。このようにして、自制のきいた穏やかで汚れなき人生の基盤が確立されるのです。

  次は精神を高めるしゃべり方のレッスンです。それには5つの秩序だったステップがあります。最初のステップは
中傷の克服です。中傷は他人の悪口をでっちあげ、言いふらすこと、他人や同席していない人の欠点を明かし、大げさに言いふらすこと、不名誉な当てこすりを言うことからなっています。
  あらゆる中傷行為には、軽率さ、冷酷さ、不誠実、ウソの要素が入っています。清らかで正しい人生を目指す人であれば、他人の中傷をする前に、そうした言葉の冷酷さを自覚し、中傷を生み出す不誠実な思考を消し去るでしょう。そのような人は誰のこともけなさぬように自分自身を見守り、目の前にいない人のことをけなしたり、非難したりするのを慎むでしょう。
  正しい道を歩もうとする人は、本人の目の前で言わないようなことはよそでも決して言わないでしょう。そのように心がけていると、最後には、他人の人格や評判を敬うようになり、中傷を生み出す間違った心の状態を打ち砕くことになるのです。

  次のステップは、
噂好きやくだらないおしゃべりをする癖を克服することです。くだらないおしゃべりとは、他人のプライベートなできごとについてひそひそ話をしたり、暇つぶしのためにただだらだらとおしゃべりしたり、あてもない会話にふけったりすることです。
  このような自制心を欠いたおしゃべりは、制御が行き届かない心の所産です。まっとうな道徳心を備えた人は、言葉を慎み、これといった目的もなく口を滑らしたりはしません。ありのままにはっきりとしゃべり、目的をもって話すか、沈黙を守るかします。

 
他人を侮辱する言葉や不親切な言葉を吐く行為は、克服すべきもう一つの悪癖です。他人を辱めたり、責めたりする人は、正しい道から大きく外れてさまよっています。人徳のある人は、侮辱することや口論することを慎み、有益で必要性のある言葉だけを口にします。

  第2のレッスンの最終ステップは、
人の揚げ足を取ったり、あら探しをしたりする癖を克服することです。他人の言葉を、異議をとなえて否定するために聞く人は、真の人生にまだたどりついていません。自分自身の言葉を和らげ、清らかにするために心を見守る人が、真の人生を見出しています。
  しゃべることが上手に制御され、賢明に抑制されるようになったとき、わがままな衝動やその場にそぐわない考えが口もとにこみあげてこなくなったとき、誠実にありのまま言葉をしゃべるようになったとき――、しゃべり方の訓練の5つのステップが終わり、真理を学ぶ第2のレッスンが完全に習得されます。
  なかにはこう尋ねる人もいるでしょう。
  「でも、どうして生活態度を改める訓練をしたり、発言をおさえたりするのですか? 高潔な人生はそのような大変な苦労、たゆまぬ努力、細心の警戒心がなくても、理解し、実現できるのではないですか?」。
  いや、できないのです。
物質の世界と同じように、精神的な世界においても、努力なしでは何事も達成されません。初歩的なステップを順序よくマスターしないと、高い精神性の境地などあり得ないのです。工具の使い方や釘の打ち方がわからないのに、テーブルを作れるでしょうか? 身体の奴隷になっている状態を克服せずに、心を真理に合わせて形づくれるでしょうか?
 
自制のきかない言葉は、心が自制できないことを表しています。外に表れた状態を改善することは、心の内側の状態を修正する方法なのです。さらに、こうした状態の克服は、真理に至るプロセスのほんの一部を占めるにすぎません。
 
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