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 人類を救う霊性と食の秘密
中矢伸一・著 廣済堂
 
 菜食主義のガンジーの言葉

 私の心にとって、子羊の命が人間の命と比べて、より尊くないなどということは、少しもない。たとえ人間の体のために子羊の命を奪うことが必要だという場合でも、私は気が進まないであろう。ある生き物が、無力であればあるほど、その生き物は人間の残酷さから、人間によって保護される資格を、より多く与えられている。

 それが正しいか誤っているか知らぬが、人間は肉や卵やその類のものを食べてはならないということは、私の宗教的確信の一部である。我々自身が生命を保つための手段であるといっても、それには一種の限界があるべきである。命そのもののためであっても、ある種のことはしてはならない。


 ガンジーの、肉食に対する否定的見解は、このように徹底したものであったが、あまり食べ物の面ばかりに拘泥するのも誤りだ、という意味のことも強調している。

 人間が普通に生きることができる状況であれば、それが成長や病気のいかなる段階であろうとも、またいかなる風土の下であろうとも、肉食がわれわれにとって必要であるとは私は考えない。
 もし我々が他の動物より優れているとするならば、我々人間がより低級な動物たちの世界を真似することは誤りである。

 しかし、人格形成における、あるいは肉欲の克服における、食べ物の重要性を過大評価するのは誤りである。飲食物は、無視されてはならない強力な要因である。しかし、インドにおいてしばしばなされているように、すべての宗教を飲食物の点から判断することは、飲食物に関する抑制をすべて無視して食べるのと同じくらい、誤っている。

 単なるジーヴァダヤー(動物に対するやさしさ)は、我々の内なる「6つの不倶戴天の的」すなわち肉欲・怒り・どん欲・熱狂・高慢・虚偽を、我々が克服するのを可能にしてくれるものではない、ということは覚えておくべきである。
 もし、自己を完全に征服し、善意に満ちあふれすべてのものに愛を降り注ぎ、すべての行為において愛の法に従っている、というような人がいたら、教えてほしい。たとえ、その人が肉を食べる人であったとしても、私は個人的には、その人に、私の尊敬に満ちた賛辞を捧げるであろう。
 他方、毎日蟻や昆虫に餌をやり、かつ殺生はしないけれども、怒りや肉欲で深く染まっている人のジーヴァダヤー(動物に対するやさしさ)は、推奨すべきものはほとんど何も有していない。そのようなジーヴァダヤーは、いかなる精神的な価値をも持たない、機械的な善行に過ぎない。それはもっと悪いもの、すなわち、内面的な堕落を隠すための偽善的な目隠しでさえある可能性がある。


 つまり、ガンジーが唱えているのは、精神(心)こそが物質(体)よりも優位にあるということである。単に健康を保つためとか、絶対に殺生をしないと誓約したから肉食をしない、という理由で菜食を実践したところで、それは表面的なものにすぎない。肝要なのは精神的な部分であり、心の面である。
 自己の欲望を制し、心を常に正しく保ち、強く普遍的な愛を周囲に分け与える。その現れとして、菜食の実践がある。その逆はあってはならないし、またあったところで、それは偽善に過ぎないと、彼は言うのである。
 
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