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 大東亜戦争の真相
 どうしても理解できない事柄
赤堀篤良・著  東京図書出版会
 
 なぜ真珠湾を攻撃したか

 大東亜戦争のうち、太平洋戦略あるいは対米戦略の最大の誤りが真珠湾攻撃ではなかったろうか。
 日本が開戦に踏み切った最大の理由は石油にあったという。当時、日本国内の年間石油消費量400万キロリットルに比し、スマトラのパレンバンにあった精油所だけで年470万キロリットルを産出していたという。実際に南方各地から内地への原油輸送量は1942(昭和17)年に167万キロリットル、翌昭和18年には230万キロリットルを記録した。もっとも、昭和19年からはそれまで不具合の多かった米軍の魚雷がようやく改良されたこともあって日本の船舶喪失は急増し、石油は勿論すべての輸送は落ち込んだ。
 なぜ米国に対する攻撃はフィリピンの基地攻撃だけに留め、一方では東南アジアを攻略し、石油を始めとする資源確保を主眼としなかったのだろうか。仏印(ベトナム)、蘭印(インドネシア)の両国宗主国である仏・蘭はすでにドイツに降伏し、日独伊三国同盟のもと、日本にとって最も作戦し易い状況にあったというのに……。なぜ、わざわざ真珠湾を攻撃してアメリカを奮起させなければならなかったのだろうか。軍部の意見も圧倒的多数(……というより、山本五十六を除く全員)はこうした考えであったという。
  (中略)
 開戦直前の11月15目、大本営政府連絡会議では戦争終末促進を腹案として決定している。その中でも「適時米海軍主力を誘致し之を撃滅するに勉む」とか「対米通商破壊戦を徹底す」といった文言が見られる。
 1940(昭和15)年11月の大統領選挙で、ルーズべルトは選挙に3度目の勝利を得るために、米国は戦争に参加しないと公約せざるを得なかった。国民の9割が戦争に反対であったのがその理由である。米国の事実上の植民地にすぎないフィリピンを攻略するのと、米国の領土であり太平洋最大の海空軍基地である真珠湾を攻撃するのでは米国民の反応は全く異なったであろう。欧州戦線に対しては米国は武器供与、輸送船団護衛などで援助していたが、自国の駆逐艦2隻、輸送船2隻をドイツのUボートに撃沈されても、なおかつ参戦に踏み切ることはできなかった。こうした事情を分かっていながら、日本は真珠湾を攻撃して眠れる獅子を叩き起こしてしまった。
 実のところは、山本五十六が零戦を始めとする航空機の性能がかなりのレベルに達していたため、力試しに戦争(あるいは戦闘)をしてみたかっただけではないのか。彼はあたかも対米戦争に反対であるかのような言動を取っていた。それならば、どうして最後の段階で「対米戦争に勝ち目はない」と言わず、「1、2年は十分暴れて見せます」などと言ったのだろうか。勿論、米国に勝てるとは言っていないし、日本を守れるとも言っていない。暴れて見せるとだけ言ったのだから、ウソは言わなかったつもりだろう。彼の言動はよほど注意して観察する必要があったように思う。ハッタリや芝居が多かったように思う。
 戦争を避けるつもりなら、どうして1941年5月2日に戦艦長門上に士官を招集して戦争に向けた特訓をし、早い時期から真珠湾攻撃の訓練までしていたのか。例の南部仏印武力進駐に先立つこと3カ月近い。この時期は公私の日米関係修復が活発に行なわれ、4月16日に日米了解案(いかさまと言われる)が提示され、5月12日に松岡外相の意向を汲んだ修正案が野村大使からハル長官に手渡され、6月21日に米国が対案を以って回答した……という頃である。
 天皇、近衛首相、軍部首脳が揃って真剣に対米戦回避に努力していた。その後、9月6日の御前会議で天皇が「よもの海みな同胞と思う世になど波風の立ちさわぐらん」と朗読し、東條は帰庁して「聖慮は平和にあるぞ」と言い、武藤軍務局長は「戦争などとんでもない」と部下に伝えたというのは有名な話である。
 この9月頃には軍令部総長であった永野修身は外交交渉継続に真正面から反対し、即開戦を叫び始めていた。また、対米戦争に自信の持てなかった天皇を次第に戦争に向けて洗脳していった一人が聯合艦隊参謀長・宇垣纏ではなかったか。永野修身、宇垣纏、米内光政、山本五十六、どうも胡散臭い面々である。
 とも角、山本五十六こそが「聯合艦隊司令長官を辞める」と脅して強引に、まことに強引に真珠湾、更にはミッドウェイ作戦までやり通した。正に国を相手のポーカーに勝ち、国を滅ぼしたと言えよう。山本が海軍大学校の教官をしていた時、質問に答えた学生が「戦争でもっとも大切なのはスパイや暗号解読などにより敵の動静を知ること」と述べたところ、山本は「相手の手の内を見ながらポーカーをやるようなことを考えるな」と言ったそうで、山本の本質を暴露したエピソードと思う。彼が亡国の徒と呼ばれず、未だに一部の人々に軍神と評されているのはまことに不思議である。映画まで作ってこの男の“功績”を称える日本人とは一体何なのか。
  (中略)
 実際の真珠湾攻撃では相手の戦艦などを2、3ヵ月行動不能にしただけである。その代償として、全アメリカ人を立ち上がらせてしまった。例えて言えば、わざわざ遠方へ出向いて行って熊蜂の巣をつつき、戦闘蜂を数匹殺すようなものである。作戦そのものが間違っている。蜂を数匹殺したから作戦そのものは成功だったなどと言えようか。しかも、その蜂の殆どは後に蘇生して反撃に加わっている。山本五十六の真珠湾攻撃はこれほどソロバンに合わない作戦であったが、現在に至るまで筆者が非難する程には非難されていない。山本五十六が軍令部を振り回し、もともと戦略を持たない海軍をとんでもない方向に持って行ってしまったと言われる方でも、真珠湾攻撃は成功と位置付けている。どうしてだろうか。
 中国を敵に廻してしまい、対米戦も決定してしまった後、真珠湾を攻撃しないことだけが唯一開戦後の和平工作の可能性を残し得た。
 ハードな意味だけではない、真珠湾攻撃で頭に来た米国はもともと気に喰わなかった日系人を収容所に放り込んでしまった。これもあって開戦後の米国内情報はさっぱり取れず、かの有名な日本側の過大戦果をもとにその後の作戦を立てたのだから、撃沈敵空母数が建造空母数を遙かに上回るようなことにもなってしまった。
 真珠湾攻撃の罪は計り知れなく重い。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
ここでも述べられているように、真珠湾攻撃はアメリカ(を支配する層)にとって最もありがたい日本の反応だったのです。ということは、日本にとっては最悪の選択であったということです。アメリカは日本の船団がハワイに近づくのを知りながら、つまり事前に日本の無線を傍受し暗号を解読していながら、真珠湾が攻撃されるのを息を殺して待っていたのです。しかも、「卑怯なジャップ!」とアメリカ国民を怒らせるために、駐米日本大使館員をも工作して、宣戦布告文書が開戦まで届かないように細工したことがわかっています。
  このようなアメリカ(を支配する層)の巧妙な戦術に協力するために、体を張って真珠湾攻撃を主張したのが山本五十六という人物でした。この真珠湾攻撃が日米両国にとってどのような意味を持つものであったかがわかると、アメリカが日本の爆撃によって2,400人もの犠牲者を出しながらも、本来であれば超A級戦犯とも言うべき山本五十六を全く批判しない理由が、そして、戦後彼らの支配下におかれている日本の主要マスコミが今なお山本五十六を英雄扱いしている理由が、おわかりになるはずです。
  しかも、
山本五十六は戦死したわけではなく、全くの偽装死であったことが、『山本五十六の最期』(蜷川親正・著/光人社)を読むとよくわかります。要するに、大東亜戦争(太平洋戦争)は、世界支配層の支配下におかれていた山本五十六を頂点とする海軍の中枢が結託して日本を敗戦へ導くために起こされた戦争だったということです。私たち日本国民がこのような真実を知ることこそ、先の戦争の犠牲者に対する、せめてもの弔いの意味を持つのではないかと思います。
 
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