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 「食べること、やめました」
1日青汁1杯だけで元気に13年 
森美智代・著  マキノ出版
 
 光り輝く野菜の「オーラ」が見えた

 甲田医院では、現在は入院患者も新規通院患者も受け入れていませんが、私が入院していた当時は、最大で19人までの入院患者さんがいました。その患者さんたちがとる青泥や青汁の材料にする野菜は、医院の庭にある畑で作っていました。よく作っていたのは、ケール(キャベツの原種)、シロナ(ヒロシマナ)、チンゲンサイ、ツルムラサキなどです。
 私たちが入院しているところの窓や入り□から、青々とした畑が見えます。
 入院中のある晴れた日、何気なくその野菜畑を眺めていると、ケールなどの野菜から、きれいな「オーラ」が出ているのが見えました。実は、私は高校時代の終わりに甲田医院で断食したとき、人や動植物が出すいわゆる「オーラ」が見えるようになったのです。
 オーラとは、人によってさまざまに解釈されていますが、一般には「生命エネルギーが具現化したもの」と考えられています。微弱な電磁波エネルギーともいわれ、何層かになっており、その色や輝き方、広がり具合は、発する人や動植物によって千差万別です。
 このとき、畑の野菜からは、かげろうのように光り輝くオーラが出ていました。もっとも、そのときの私は、自分が見ているのがオーラだとは、まだ気づいていませんでした。
 けれども、野菜の周りに何かきれいなもの、イキイキとした生命力を感じさせる何かがあるのはよくわかりました。「きれいだなあ、イキイキしているなあ」「野菜も生きている。世の中には命がいっぱいあって、いっしょに生きているんだなあ」と感じたのです。
 何か世の中全体が輝いているようで、ただ「いいなあ」と思えたのです。
 その野菜を摘んできて、青泥や青汁にしてとるわけです。すると、自然に「葉っぱの生命力をいただく」という気持ちになります。命を生かすために、ほかの命を「移す」とか「入れる」というような感覚です。
  そんなふうに、「食事」を「ほかの命を移す営み」ととらえるようになると、今まで使っていた「おいしい」とか「楽しい」という形容詞が、自分の中でそぐわなくなってきました。食事は本来おいしいもの、楽しいものだと思っていると、「まずかったら嫌だ、つらい」となりますが、そういう回路があまり働かなくなってきたのです。
 もちろん、食事をおいしく味わい、楽しむことも、人に与えられた大切な喜びだと思います。それを否定するつもりはまったくないのですが、私には、なぜかこういう感覚の変化が訪れました。これをきっかけに、少しずつ、生菜食を自然に受け容れられるようになった気がします。

 
断食中に「オーラ」が見え始める

 高校3年生の最後の期末試験が終わると、卒業式までは実質上の休みとなりました。その期間を利用して、私は甲田医院で5日間の本断食を行ないました。とくに気になる病気や症状はありませんでしたが、短大に進学する前にもう一度断食を体験したかったのです。このころはまだ、準備期間や回復食の期間が長く必要でしたから、1ヵ月ちょっとの入院となりました。
 甲田医院の朝は、先生のお話を聞く朝礼から始まります。私にとっては、大好きな甲田先生のお話が聞ける至福のときです。
 ある朝、朝礼でお話ししておられる甲田先生の周りが、妙にまぶしく感じました。「おかしいなあ」と思ったのですが、もともと目が悪いので、何か目の不調で光が見えているのだろうと思いました。
 毎朝、気をつけていると、甲田先生の周りの光は、大きい日と小さい日がありました。そして、ほかの人の周りにも、人によって見え方が違うけれども、光が見えるようになってきました。
 これが、第2章でもお話しした「オーラ」でした。このときの入院で、断食中に甲田先生の周りに光りが見えたのが、私のオーラの見え始めだったのです。
 その後も長いこと、私はこれが「目の不調」のせいだと思っていました。オーラだとわかったのは、発病後、甲田医院に長期入院し、ようやく持ち直して退院したあとです。
 そのころ、私は養護学校に臨時教員として勤めていました。そして、学校で、障害をもつ子どもたちを見ていたら、中にとりわけきれいな光に包まれている子がいたのです。
 自分の目がおかしいのだろうと思いつつも、そのきれいさに感動していると、頭の中に「菩薩行」という言葉が、声なのかインスピレーションなのかわかりませんが、突然に響きました。その声(インスピレーション)は、「この子はこの子の周りの人のために、身をやつして障害をもって生まれてきて、周りの人を成長させているんだよ」と続きました。
 「そうなのか。障害をもっていても、すごいんだなあ」と思いました。
 次に甲田医院に行ったとき、「生徒さんを見ていたら、きれいな光に包まれている子がいる。甲田先生も朝礼のとき光に包まれていて、光が大きくなったり小さくなったりする」と、初めて甲田先生に話しました。
 すると先生は、「ああ、お前、オーラ見えるな」といわれました。
 「えっ、私、オーラ見えているんですか」と、このときようやくわかったのでした。

 
甲田療法や西式健康法でオーラが変わる

 オーラは、ふわーっとしたかげろうのような感じです。多くの場合は、見ようとしなければ、それほど気にならない程度の光が、ひらひらとまとわりつくように、その人の周りに見えます。
 色や光の強さ、大きさ、方向は、その人、そのときによって違います。おもしろいのは、光が後ろから前に出ている人と、前から後ろに出ている人がいることです。いろいろな人を観察した結果では、どうもいばっている人は後ろに、謙虚な人は前に出ているようです。
 「この人のオーラはどこから出ているのかな」と、周りをぐるっと回ってみて、前から後ろに出ているのがわかると、「あ、この人はいばりんぼだ」とわかっておかしくなったりします。
 甲田先生の療法や西式健康法をやっていると、たいていオーラがきれいになってきます。断食をしている人が、ある時期を境に、パーツときれいなオーラになるのも、何度か経験しました。
 心身に余計なものや老廃物が多いと、オーラはきれいになりにくいのかもしれません。甲田療法や西武健康法をやっていると、そうした老廃物がなくなっていくから、オーラがきれいになるのではないでしょうか。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
人に限らず植物でもオーラを発していて、この著者のようにそのオーラを見ることができる人もいるのです。人のオーラはその人の心の状態に応じて常に変化していると言われますが、心の持ち方に一定の癖ができてしまいますと、オーラの形や色もその人の個性が出てくるようになるのでしょう。
  断食をすると体の老廃物が出てしまいますので、霊的パワーが高まるものと思われます。「断食中に、朝起きると周りの景色が輝いて見えた」という体験談を別の本でも読んだことがあります。難病の治療などに断食が有効であることは知られていますが、食べるということは、体によくない物質をたくさん取り込んでしまうということになるからです。そういう意味では、この本の著者のように食べるのをやめてしまうことは普通の人には難しいとしても、野菜中心の食事にしてできるだけ少食を心がける必要はあると思っています。ちなみに私は、完全菜食とまではいきませんが(肉類は一切食べません)、約30年にわたって1日2食(昼食抜き)ですので、食事の量は普通の人よりも少ないと思います。
 
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