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 あなたもケイシーになれる(下)
H・B・パーヤー・著 今村光一・訳
中央アート出版社
 
 霊魂の進歩を優先せよ!

 人間のこの世の特徴は、それを試験の時間に例えることもできる。そしてその試験の中でも大きな課題は、人が何に重要性をおくかということである。他に多くの選択や行動のチャンスがある中で、何かに重要性をおくという選択を人間は迫られる。
 ケイシーは、「霊魂の進歩を全てに優先させて考えよ」といった。しかしこれは何千年も前からわれわれが知ってきたことで、たとえばつぎのように教えられてきたものである。

 「まず神の国と神の義とを求めよ、然らば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし」
  (『マタイ伝福音書』第6章の33)

 「人、全世界をもうけても、己が生命を損すれば何の益あらん」
  (『マルコ伝福音書』第8章の36)

 しかし霊魂の進歩を生の中で第一におくことは、自分が本質において霊的存在だということを本当に深くかつ固く信じていなくてはできないことである。霊的な考慮が、それよりも現実的で感知できるもののように見えることよりもずっと重要なことなのだ、と確信していなければならない。
 霊魂の進歩という仕事は、より偉大なリアリティの存在を確証する仕事なのだともいえる。いい変えれば、そこには日常的生活の中に示されているものよりもずっと高い意図も、より長つづきする真実も存在する、ということを確証する仕事なわけだ。そこに偉大なリアリティが存在するということは、客観的、科学的な事実であり、またもっとも基本的なことであり、さらにわれわれが自分の生の中で体験によって確認していることでもある。

 
意志を持つ霊魂

 われわれはこの偉大なリアリティの存在を知っているとはいえ、その事実を認めたのに相応しい行動をしようという気持ちには欠けている。日常生活の中で、それに相応しい第一の優先順位を与えようとはしない。霊魂も肉体もともに弱いものである。だから、より高い霊的優位 なるものを没却し、日常的行動のほうが一番大切なのだと信じようとしてしまう。野球、ブリッジ、テレビ番組、新しい契約、家族との衝突などのほうが数分の静かな時間や友人に親切なことをするよりも大切なのだと思っている。
 この状況を変えるためには、決心も必要である。考えを明確にし直すことも、また何が本当には重要なものかということをより広い視野から捉え直すことも必要である。古代のイスラエルでは、僧侶が定期的に人々に生活を変えるように呼びかけていた。今日でも予言者じみた多くのご託宣が語られたりしている。しかし、それはわれわれにそのとおりだと思わせるほどのものではないので、何度も聞かされればあきてしまうだけである。しかし、われわれが自分の心の中に注意を払い、心の中の小さい声に耳を傾ける気があればその声は聞こえるはずである。「変えるべき時は来ている!」と。
 ケイシーのリーディングで例をあげてみよう。ケイシーを何度も訪ねて、もっと立派な人生を送ると約束した人がいた。この人は、リーディングではいつも叱られていた。「あなたはいい忠告をしてあげてもいつもそのように行動しない」とリーディングは指摘した。そこである時、彼は現在の自分の状況にはどんなカルマが関係しているのか、とケイシーにたずねた。これにケイシーはこう答えている。
 「あなたはカルマの意味をほとんど理解していない……カルマとは過去においてつくられたもので、それは正しいこととして知られていることとは無関係のものだ……」
 この答えを検討してみると、全ての霊魂が要求されているのは、今日、いまその人がすべきこととして知っていることをただ行なうだけだ、ということがわかるだろう。もし自分がすべきことと知っていながらそれをしないとすれば、それは正しいこととは無関係な何かをつくってしまうことになる。そしてさらに、自分をカルマ的な状況に追い込む破目になる。ここでいう「カルマ的な状況」とは、「苦しみとしての体験」という意味で、それが普通カルマと定義されているものだ。そこでもっとも必要なことは、本当にやる気になるということになる。自分がすべきだと知っていることを本当にやるというやる気である。その人はつぎのようにもケイシーにいわれた。
 「すすんで導かれるようになれ。普通の霊にではなく、神の聖霊にだ。聖霊は善で正しいものだからだ。実行しなさい、日々に。あなたが自分ですべきだと知っているように。なにか一度に大きな素晴らしいことをしようとか口先だけでなく、一歩一歩でいい。その場その場で少しずつやりなさい」

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
本日の内容で最も重要なポイントを要約しますと次のようになるでしょう──「全ての人が要求されているのは、いま自分がすべきだと知っていることをただ行なうだけだ。もしすべきだと知っていながらそれをしないとすれば、それは良くないカルマをつくってしまい、苦しい体験をする破目になる」。日月神示にも、「身魂磨きとは、(自分が)善いと感じたことを直ちに行なうことぞ」と述べられています。裏を返せば、「(自分が)善くないと感じたことは直ちにやめること」という意味でもあります。人は心の誘惑に弱いものです。魂の成長にとってよいということがわかっていても、現世的な利得に影響されて、ついつい他人の悪口を言ったり、美味しいものを食べたいという肉体の欲望に負けたりします。
 「知っていながらそれをしないということがもっとも善くない」という意味のことは、新約聖書の中にもイエスの言葉として述べられています。善いとわかっていながら実行に移さないことが善くないカルマをつくるのです。しかしながら、「何も一度に大きな素晴らしいことする必要はない」とケイシーは述べています。ですから、たとえば「早起きをすること」「一日の反省を日記に書くこと」といったことからでも始めてみたらよいと思います。大事なことは、小さなことであってもそれを習慣化し、「成し遂げた」という心の充実感を味わってみることでしょう。
 
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