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 歴史を変えた決断の瞬間
会田雄次・著  PHP文庫
 
 勝海舟 ── 「国民相喰み国を売る」を防ぐ

 もちろん海舟は、当時すでに欧米列強来襲の危機は充分承知していたものの、その対策としては、当然のことながら幕府を人材登用によって能率化し、強化すること、防備対策の中心として近代海軍の創設と船員訓練所の早急な設置しか考えていない。内争による危機と幕府の崩壊、無政府状態となった日本を、列強が征服するといった恐怖など未だ考えられもしなかったからである
 その彼を天来の声とでもいうか、列強が何故に小兵力でもってやすやすとアジアの大国を征服していったか、その秘密を啓示する言葉に出会い、それが彼の生涯と日本の運命を決定する。
 海舟は文久4年、神戸操練所の開設準備ということで長崎へ出張した。時の身分はまだ軍艦奉行並である。もっとも、この目的は表向きだけのことであった。長州が勝手に攘夷を実行、アメリカやフランス、オランダの船を砲撃している。それに対し、4国が連合艦隊を編成して長州を攻撃しようと企てている模様だ。それを談判して何とか止めさせよというのがその裏の本当の命令だったらしい。それほど権限を持った高官でもないし、勝にはずいぶん無理な仕事であった。しかし、彼はその線に沿うべく努力、長崎で何度もオランダ人に会い、意見を交換している。そのとき海舟はオランダ海将から、「アジアの中で、日本人の称すべきは、──その賞讃すべき長所とは、の意──国人相喰まざるにあり」という忠告を聞いたのだ。「此の言、正に頭上の一針」とその覚書に記している。ヨーロッパのアジア侵略の歴史をそう詳しく知っているわけではない。しかし勝は現在の知識だけの学者とちがう。国際政治というものを全身で感じ取る変革期の行動的知識人である。この言葉に出会って愕然とし、翻然として悟るところがあったのだ。まさに「出会い」である。日本を救ったともいえる幸運な瞬間であった。
 時勢は、それに急速に変わりつつある。前年イギリス海軍が鹿児島に入って砲火をまじえる薩英戦争がおこっている。天誅組の旗上げ、平野国臣の挙兵もあった。天下騒然、やがてこの年、4国連合艦隊が下関を砲撃、同地を上陸占領するし、幕府の第一次征長戦が実行されるなど大乱の相を見せる年でもある。
 日本人はインドや東南アジアの人々のように侵略者と救済者との区別もつかず侵入者に媚を売るほど「おろか」ではなかった。為政者も利のために国を売ろうとするものは出なかった。まさにオランダ海将のいうごとくである。だが、それは今までのところであるに過ぎない。もっと追いつめられたらどうなるか。
 太平と鎖国に馴れきった当時の日本人は、武士をふくめ何とも頼りない存在であった。地震、暴風雨、火事といった天災は経験している。鎖国のせいもあって外国の風物や外国人には異様なまでの好奇心を持っている。だが、武器・戦争というものをセットにした場合の白人恐怖症は、もう異常とも病的ともいい得るほどだ。
 歴史家の間ではよく孝明天皇の病的な白人恐怖症が指摘される。それが攘夷主義を推進したのだが、天皇の恐怖症の原因は女官だけに囲まれて成長した天皇が彼女らから白人恐怖症を吹きこまれたせいだという人も多い。それはまあそうだろうが、白人恐怖症は別に帝一人のものではなく、宮中の女たちだけのものでもなかった。日本人一般に共通したものだったのだ。
 極端な恐怖、嫌悪と極端な依存、憧憬の間をこれまた極端に往復する日本人、その名残は今も残っている。すべて島国、鎖国二百余年のせいだ。幕末のこのころ日本人一般の国際感覚はバランスを失い崩壊寸前だったのである。浪人たちの白人襲撃も、実はこの恐怖症を裏返しにしたヒステリックな衝動行為という側面も強く見られるのである。
 赤人、赤蝦夷(ロシア人)が来襲となったときに日本の武士から足軽、舟乗り、農民、商人すべてが見せる周章狼狽、臆病の極みといった振舞いは、同じ日本人として顔が赤らむ思いがする。しかもいったん相手がおとなしい、害意がない、とりわけ下手から出ていると知ったときのつけ上りぶりは、これまた醜態としかいいようがない。それとともに利益となるなら何でも提供し、犬が尻尾を振るような媚態を見せつつ外国人に近づこうとする。
 その一例だが米仏等の連合艦隊が下関を砲撃し、陸戦隊が上陸、その砲台を占領したときである。その軍人たちが一般住民に害意がないと知ったとき民衆は多大の興味と親近感を示して彼らに近より、商人はものを売りつけるためその周辺に群がったのである。長州藩は比較的武士と町人、農民との格差がすくなく、ために奇兵隊など一般民からも徴募する軍隊を作ることができた。その点、同じ勤王藩とはいえ薩摩や土佐とは大ちがいだといわれる。しかしそれは日本の他藩とくらべてのことである。無能で、非生産的な社会の寄生者に過ぎなくなっている武士たちの威張り方は、やはり19世紀という時代、日本の経済の充実度、文化の成熟度から考えればまことに時代錯誤もはなはだしいものであった。当然、町人、農民はこのような武土層に激しい反感とともに軽侮感を持つようになっている。長州藩とてすこしもその例外にはならない。
 このような町人、農民が、平和なときはともかく、社会が騒乱状況になったらどのような行動に出るか。彼らには未知であり、それゆえ決して圧迫者でも敵でもない外部からの異邦人侵入者が、自分たちの上に無意味にふんぞり返っている武士を倒そうとしたとき、どちらに味方するだろうか。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
江戸城無血開城によって、150万の江戸っ子を戦火から守った一方の立役者の回顧談です。後世の歴史家はいろいろと勝手な分析をしていますが、やはり敵陣の中に従者と二人だけで乗り込んでいくのですから、勝海舟にとっては命がけの中での大変な談判であったことが判ります
名著『日本人の意識構造』で知られる会田雄次氏(故人)は、歴史学者としては私が最も高く評価している人物です。会田氏の著書は多数購読していますが、著者名を信じて購入したこの本も素晴らしい内容でした。この本が取り上げているのは、@西山弥太郎、A宇垣一成、B勝海舟、C高田屋嘉兵衛、D尾形光琳、E北政所、F織田信長、G高師直・佐々木道誉、H平清盛の9人で、本日はその中から勝海舟に関する記述の一部を抜粋して紹介しました。勝海舟に関する内容は、幕末〜維新の真相を知る上で大変参考になります。私のように、この国をこよなく愛し、そしてこの国の歴史に関心を持ち、先人たちの生き方を誇りに思っている人にお勧めしたい一冊です。
 
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