[戻る] 
Browse  
 
 母と子の心霊教室
 チャールズ・パーマー・著 近藤千雄・訳
潮文社
 
 
 「死」とはなんだろう?

  精神のはたらきにはいろいろあります。物事を考えたり、覚えたり、真理を研究したり、知恵をしぼったりすることは、みな精神のはたらきです。精神がなかったら手足を動かすこともできません。
  「生きているものは変化する」といいましたが、つぎつぎと新しくなっていくのも精神のはたらきがあるからなのです。
  そうすると精神は非常にたいせつなものだということになりますね。そうです。人間がもっているものの中で、精神がいちばんたいせつなのです。
  その精神は私たちが地上にいるあいだ、つまり肉体を使って生きているあいだは脳と神経によって肉体を動かし、いろいろな生活をします。しかし、肉体はいつかは使えなくなる時がきます。そうすると精神は肉体を棄てて、こんどはエーテル体を使って生活するようになるのです。
  それでは地上にいるあいだはずっと肉体の中にいるのかというと、そうではありません。私たちがここちよい眠りにつくとエーテル体は肉体から離れます。その離れる距離は近いときもあれば遠いときもありますが、どんなに遠く離れても、かならず銀色をした「生命の糸」によってつながれております。そのふたつのからだ、すなわち肉体とエーテル体とが一体となったときに目が覚めるのです。
  肉体から離れているあいだ、エーテル体は地上の遠いところへ見物に出かけたり、エーテル界(エーテル体で生活するつぎの世界)を訪れたりしますが、そのときのことを目が覚めてからはっきり思い出すことはめったにありません。
  しかし、ある人はいつでも自分のすきなときに肉体からぬけ出て、自分の思う場所へ旅行し、しかもそのときのことをあとで肉体にもどったときにはっきりと思い出すことができます。こういう人を「霊能者」といい、そういう現象を「幽体離脱現象」といいます。
  では、もしもその生命の糸が切れてしまったらどうなるでしょう。もちろん二度と肉体にもどれなくなってしまいます。
  「死んでしまった」というのは、生命の糸が切れてしまったことなのです。ですから「死」とはエーテル体が肉体を捨てて、そのままつぎの世界で新しい生活をはじめる、その出発点ということができるのです。
  ここでもういちど、蝶の生活を思い出してください。毛虫はいよいよ蝶になる前は小さなマユの中にいますね。その毛虫をみなさんはまさか、かわいそうだとは思わないでしょう。なぜなら、なるほどマユの中はきゅうくつですが、もうすぐあの美しい蝶になって、広々とした花畑を飛びまわることができるのですから……。
  人間が死ぬということは、ちょうどこの蝶のように肉体というきゅうくつなマユからぬけ出るのと同じことなのです。別のたとえでいえば、夜に寝て翌朝別の世界に目を覚ますのと同じようなものだと思えばよいでしょう。すると死ぬのが恐ろしいという人は寝るのがこわい人ということになってしまいませんか。おかしいですね。
  そうです。死とはけっして恐ろしいものでも悲しいものでもないのです。その反対にとてもしあわせな、すばらしいものなのです。なぜなら、こんどは地上よりはるかに自由で美しい世界で生活するのですから……。
  ところで、死んだらすぐに地獄か極楽へいくと説く人がいますが、これはまちがっています。私たちはただ肉体のかわりにエーテル体を使って新しい生活をはじめるだけです。その世界は地上よりずっと明るくて、気持ちのよい世界です。が、けっして遊んでばかりいる世界でもありません。さらに新しい真理を学びながら、いちだんと心の清らかな人間になるように努力するのです。
  かりにお友だちが亡くなったとしましょう。きっと、みなさんは悲しくてならないでしょう。残念でならないでしょう。ですがけっしてそのお友だちのことをかわいそうだと思ってはいけません。なぜならば、お友だちはこの宇宙から消えてしまったのではなく、今いったように、地上よりいちだん高い世界で、新しい生活を始めながら、いつかはみなさんも同じ世界に来ることを楽しみに待っているのですから……。
  これは非常にたいせつなことなのです。

 注釈――この世でうけた生命(いのち)はたいせつに――訳者

  「浜までは海女も蓑きるしぐれかな」という俳句があります。海女というのは海にもぐって魚貝や海藻などをとる女の人のことですが、その海女さんの一人がこれから海へ向かって出かけようとしたら雨が降りはじめました。すると、どうせ海にもぐってぬれてしまうのに、浜まではきちんと蓑を着ていった、というのです。これはなんでもないことのようで、とてもたいせつなことを教えております。
  この本を読んで、死後の世界のすばらしさを知ったみなさんの中にもし、「だったら地上で苦しい思いをしないで、さっさと死んだほうがいいのではなかろうか」と考える人がいたら、それはたいへんなまちがいです。
  この本の付録で紹介するシルバーバーチという三千年も前にこの世を去った霊が、そのながい霊界生活で知ったいちばんたいせつなことは、地上生活には地上でしか学べないたいせつなことがあり、それをきちんと身につけないで死ぬと、その足らないところを埋めあわせるために、霊界でいろいろとやっかいなことが起き、人によってはもう一度地上へ生まれてこなければならないこともあると述べております。
  仏教のお経の中にも「人間としてこの世に生まれてくるのはとてもむずかしいことなのに、自分たちはいまこうして生まれてきているではないか。また、正しい真理を知ることもなかなかむずかしいことなのに、今こうして学んでいるではないか。もしもこの世でしっかりと身につけなかったら、いったいいつ身につけるのだ。いまのうちにしっかりと修養しようではないか」と説いているところがあります。
 みなさんもぜひ、そういう心がまえでたくましく生きていただきたいと思います。
 
 
[TOP]