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 黄昏綺譚
 高橋克彦・著 毎日新聞社
 
 
 背後霊には深入リしないようにしていたが

 小説の中ではごく当たり前のこととして霊能力を持つ人物を登場させ、前世を言い当てさせたり、心を透視させているのだが、実を言うと1年前まで霊能力について半信半疑の状態だった。幽霊に関しては自分の経験があるので存在を認めるしかない。
 しかし、守護霊とか背後霊となると別物だ。もっとも、弟にぴたりと寄り添っていたF君の幽霊を、弟の背後霊と見倣せば確かに存在することになる。だが、霊能力者たちは幽霊と背後霊をまったく別物と考えているらしく、そこの区別が私にはよく分からなかった。背後霊があなたを守ってくれていますよ、と言われてもピンとこない。どんなに目を凝らしても私には見えないのだ。
 見えるものだけが真実とは限らないと常に力説している私だが、こと背後霊の問題についてはあまり深人りしないようにしていた。と言って完全にその能力を否定していたのでもない。たとえば我が家の2匹の猫はときどき妙な行動を取る。ぐっすりと眠っていたはずなのに、突然目を覚まして私の背後の天井の片隅をじっと睨んで尻尾を膨らませたりする。一匹なら気にならないが、2匹ともおなじところを睨むので薄気味悪い。なにか怪しい物が居るのではないかと怖々振り返る。もちろんなにもない。それでも猫たちは唸りを発している。これなど、人間には見えないものを明らかに見ているとしか思えない。
 あるいはレントゲンである。科学で説明できるから不思議とも思わないが、我々の肉眼では決して見ることのできない体の中をレントゲンははっきりと示す。もし、猫の目やレントゲンの目を持つ人間が存在したら、私たちの見ている世界とはまったく異なるものを見れる理屈になろう。自分にその能力が備わっていないからという理由だけで否定はできないのである。半信半疑というのはそういうことだ。
 が、1年前に私は、その能力の存在を信じざるを得ない経験をした。小説の取材で一人の霊能力者を訪れたときのことである。私は意地悪く、背後霊に関しての質問ばかりを続けた。彼女はたじろぎもせず、私には亡くなった祖父の霊がいつも付き添っていると答えた。
 祖父の思い出など私はほとんど書いたことがない。私とは無縁な彼女が事前に調査することは絶対に不可能だ。ここがポイントと思って私は祖父についての質問を逆に浴びせた。苛(いじ)めるつもりはなく、純粋に背後霊の真実性を確かめたかったのである。明治生まれにしては背が高く、お洒落な人だと言う。祖父は東北大学の医学部出身で、いかにもハイカラな人だった。が、この程度なら出鱈目を口にしても半々の確率で当たる。
 「あなたのように文章を書くことが好きで、書斎に籠もっている人でした。庭の池が見える書斎で……変に細長い……そう、まるで縁側のような部屋に思えます」
 そう言われたとき、全身に鳥肌が立った。晩年の祖父は庭に面した縁側を改築して書斎を拵えたのである。そこの椅子に腰掛けて池を眺めながら午後になると毎日随筆を書いていた。随筆好きの老人は世に数え切れないほど居るに違いないが、縁側を改造した書斎というのは珍しいであろう。それを彼女はぴたりと言い当てたのだ。
 祖父がそう教えたのですか、と訊ねたら、「あなたを見ていると頭の中にその人の姿が浮かんでくるのです。ちょうど私が自分の父親のことを思い出すみたいに、顔や着ている服や住んでいた部屋の記憶がぼんやりと。目に見えているのではありませんよ。イメージされるんです」
 明瞭な答えであった。私も祖父のことを頭に思い浮かべることができる。それとおなじことらしい。私は頷くしかなかった。信じられないことだが、やはりそういう能力を持つ人は現実に存在するのである。
 
 
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