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 どうすれば最高の生き方ができるか
ノーマン・V・ピール・著 謝世輝・訳
三笠書房
 
 
 「ルルドの水の奇跡」のナゾ

 この宇宙で一番大きい力とはなんだろうか。ハリケーンや竜巻のエネルギーか。潮の満干か。火山の爆発力か。それらも自然の大きないとなみのあらわれであることはまちがいない。けれど、もっと大きな力を持ったものがある。
 それは人間が、夜空に無数の星をちりばめた天地創造の主との間につくったトンネルを流れるエネルギーだと私は思っている。このエネルギーは人間のプラス・ファクターの中にしまわれている。そしてそれを解き放つのが、いわゆる「祈り」であると思うのだ。
 祈りといってもあなたが想像されるようなものではない。あなたが想像したのは、宗教と密接に結びついている祈りではないだろうか。でなければ書物に出てくるおごそかな文章、牧師の口から出るうつろな言葉、せっぱつまったときに口をついて出てくる嘆願――それらは祈りの表面的な部分をとらえたものにすぎない
 祈りで何が大切かというと、それはまず「信じること」である。信じることはむずかしい。疑うのは簡単だ。誰にだってできる。頭をつかう必要もないし、習練が必要なわけでもない。でも疑いを捨てて信じるには、強い意志と気力が必要だ。それができたとき、祈りは通じる。
 いつだったか、同僚かつ旧友である精神科医、スマイリー・ブラントン博士と、南フランスのルルドのマリア聖堂で起こっている奇跡について話をしたことがあった。
 博士は私がめぐりあった研究者の中でも、とりわけ実行的な、頭のキレる人物だったが、それと同時に信仰もあつかった。博士はテネシーの信仰のあつい家に生まれ育ったせいか、ものごとを精神面からとらえることに興味を持っていた。
 ルルドという小さな町で、奇跡的に病気が治った人がいるという話を伝え聞いたブラントン博士は、客観的、科学的、医学的な見地から厳密な調査を行なってみたいと考えた。そこでルルドにおもむき、そこに数週間滞在して、地元の医師や病気を治しにきている人々の話――実際に治った人も治らなかった人もふくめて――を聞いた。
 まずはじめにわかったのは、認定された治癒例――医学専門家やカトリック教会に「治癒した」と認められた症例は数えるほどしかないということだった。けれどもそういう例では、確実に治癒していることがわかった。
 たとえば進行した肺結核や他の機能的な疾患など、ごくかぎられた患者のレントゲン写真や診断書には、ルルドを訪れる前とあとでは大きなちがいが見られ、瞬間的に治癒したことを示唆していたという。ルルドの水を飲んだり、水につかった瞬間治癒したという人もいたし、自分や他の人が祈り続けたこと以外には何もしていないという人もいた。
 ブラントン博士は言った。
 「まるで病気が治癒していく時間が極度に加速されたような感じなんだ。ふつうだったら何カ月、あるいは何年もかかる医学的な治癒プロセスが、いっきょに一秒か、それ以下に短縮している。今にも死にそうな人や病気にかかっている人の内側で、ものすごいエネルギーが発散されたというか、凝縮されたというか……」
 ブラントン博士が知りたかったのは、奇跡の治癒例に共通するものは何かということだった。それが博士の追い求めていたものだった。「それで、答えは出たの?」と私は尋ねた。博士は少し考えてから、話をはじめた。
 「もし、そういうものがあるとしたら、それはこういうことではないかと思うんだ。治った人に共通しているのは、みな精神的にも医学的にも行きつくところまでいった人たちだということなんだ。ありとあらゆる医学的な試みを経験し、精神的な救いを求めてきたが、どれも無駄だった、そういう人たちなんだ。彼らは『もう充分です。あきらめました。もう何も望みません』というところまで達している。病気が治るお膳だてができたように見えるのは、この、自分を無にした状態なんだな。まるで、それまでの努力や苦しみが治癒力を妨げていたような感じなんだよ」
 
 
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