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 もとはこちら
平井謙次・著 致知出版社
 
 もと こちら
 そのまま ぜんぶ
 あたりまえ
 ただ ありがたく
 すみません

 以上五行の言葉は「あるがまま そのまま ぜんぶ もとはこちら あるがまま そのまま ぜんぶ あたりまえ ただ ありがたく ただ すみません」の略です。
 この「もと」とは原因という意味で「こちら」とは自分という意味です。ですから「もとこちら」とは、「原因は自分にある」という意味です。すべての現象は、原因と縁によって生じ、また滅します。その生滅し、見え隠れする現象の姿のことを「結果」というのです。これは因果律をわかりやすく表したものです。すべては因縁によってのみ生じ、因縁によってのみ滅する、という意味です。
 自分の身の上、または身の周りや運命上に現れてきたこと(結果)は、自分自身が内在に持っていた原因となるものに、縁が重なって出てきたことばかりです。この摂理、すなわち因果の法則によらない結果は絶対に起こってきません。そしてどのような縁でどのような結果を出したかということで、もともと自分が内在に持っていた内容(原因)を、おぼろげながらにも垣間見ることができます。
 ところで、自分が体験したその結果は、好むことであろうが好まざることであろうが、また予測できることであろうが不測のことであろうが、そういうことには一切関係なく、因果の法則から見れば、すべては当然のことばかりのはずです。どれもがみなあたりまえのことのはずです。一つの例外もなく「そのまま全部あたりまえ」なのです。

 
受動的、他動的な事も「もとはこちら」

 自分が能動的にしたことであっても、反対に他からされた受動的なことであっても、それらも全部自分自身が招いたことです。
 受動的、他動的にされたことまで「自分がした」とは考えにくいでしょうが、これもよく考えれば「されたことをした」のであり、また「されるようなことを自分がした」と考えればおわかりいただけると思います。自分から意識して能動的にした場合は、原因者は自分であるということを納得しやすいのに比べ、無意識的、受動的なケースではなかなか納得しにくいものですが、本当はそういうものこそ、すなわち予測もできず、また無意識のうちに起きてきて体験した事ほど、その因縁の根も意味も深いと解釈せざるを得ないわけです。
 要は、意識的であろうがなかろうが、自分が体験したこと(結果)は、もともと自分の内在にあった原因となるものに縁が重なり、現れてきたことばかりです。原因は自分自身にあるのです。自分に何の原因も理由もない無関係のことの結果だけを、自分が受け取るなどということは決してありません。結果を受け取るのは必ず原因者なのです。自分が種をまき、それを自分が育て、自分が刈り取るのです。
 結局のところ、自分の人生の主人公、支配者、そして自分の人生の創造主は、他ならぬこの自分自身です。ですから、この地球上を選んだのも、「今」という時代を選んだのも、父母を両親として選んだのも、またその両親からその子供として選ばれるようなことをしたのも、わが子を選んだのも、またその子から親として選ばれたのも、兄弟姉妹や配偶者を選び選ばれたのも、また今の職業や社会的地位等、とにかく今の人生のすべてを選び選ばれたのは、この自分に他なりません。そして将来的に死ぬ時期を選び選ばれるのも、何もかもが結局は自分のすることなのです。
 そしてまた、それらの結果を招くような縁を呼んだのも、結局は自分です。それらはすべて自分の内在智の働きであり、内在智のなす技です。内在智とは、潜在的自分、または自分と直結する神仏、と広義の意味で解釈することができます。
 ともかく、もとはすべてこちらなのです。私は私の人生の主人公です。だれかのせいで、あるいは何かのせいでこうなった、ということは絶対にないのです。
 
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