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 ブルーアイランド
エステル・ステッド・著 近藤千雄・訳
ハート出版
 
 思念の力

 生前から親密な間柄だった者のことを強く念じると、その念は生き生きとして活力のあるエネルギーとなり、電波とまったく同じように宙を飛び、間違いなくその霊に届きます。たとえば地上のAという人物がBという人物のことを念じたとします。するとBは瞬時にその念を感じ取ります。こちらへ来ると、感覚が地上時代よりもはるかに鋭敏になっておりますから、そちらから送られた思念は電流ならぬ思念流となって、直接的に感知され、そこに親密な連絡関係ができあがります。
 こちらの事情に慣れてくると、BはAにその回答のようなものを印象づけることができるようになります。AはそれをBからのものとは思わないでしょう。たぶん自分の考えか、一種の妄想くらいにしか思わないでしょう。が、そういう形で届けられている情報は、実際は大変な量にのぼっています。霊の実在を信じている人だけに限りません。誰でも、どこにいても、意念を集中して地上時代に親交のあった人のことを念じると、必ずその霊に通じて、その場へやってきてくれます。人間のほうは気づかないかもしれませんが、ちゃんと側に来てくれております。
 この事実から地上の皆さんにご忠告申しあげたいのは、そういう具合に人間が心で念じたことはすべて相手に通じておりますから、想念の持ち方に気をつけてほしいということです。想念にもいろいろあります。そのすべてがこちらへ届き、善きにつけ悪しきにつけ影響を及ぼします。霊の方はそのすべての影響をもろに受けるわけではありません。意図的に逃れることはできますが、できない者がいます。それは、ほかでもない、その想念を発した地上の本人です。想念は必ず本人に戻ってくるものだからです。
 今、すべての想念が届くと申しましたが、これには但し書きが必要です。心をよぎった思いのすべてが届くわけではありません。とくに強く念じた思い、片時も頭から離れないもの、という意味です。影響力という点からいえば、たとえば怨みに思うことがあったとしても、それが抑えがたい大きなものに増幅しないかぎり、大して重大な影響は及ぼしません。
 が、そういう前提があるにしても、心に宿した想念が何らかの形で影響を及ぼし、最終的には自分に戻ってくるという話は、容易に信じがたいことでしょう。しかし、事実なのです。
 実は皆さんは、同じ影響を人間同士でも受け合っているのです。たとえば、相手がひどく落ち込んでいる場合とか、逆にうれしいことがあって興奮気味である場合には、あなたも同じ気分に引き込まれるはずです。それは、言うまでもなく精神的波動のせいであり、沈んだ波動と高揚した波動がその人から出ているわけです。
 強烈な想念の作用も同じと思ってください。それを向けられた当事者は、そうとは意識しないかも知れません。が、無意識のうちに、大なり小なり、その影響を受けているばかりでなく、大切なのは、想念そのものは、それを発した人の精神に強く印象づけられていて、表面上の意識では忘れていても、末永く残って影響を及ぼしていることです。
 死んでこのブルーアイランドに来ると、その全記録を点検させられます。ガウンを着た裁判官がするのではありません。自分自身の霊的自我が行なうのです。霊的自我はそうした思念的体験を細大漏らさず鮮明に思い出すものです。そして、その思念の質に応じて、無念に思ったり、うれしく思ったり、絶望的になったり、満足したりするのです。
 私が皆さんに、地上生活において精神を整え、悪感情を抑制するようにとご忠告申しあげるのはそのためです。地上生活ではそれが一番肝要であり、意義ある人生を送るための最高の叡智なのです。厄介なことに、人間は地上にいる間はそのことを悟ってくれません。
 皆さん一人ひとりが発電所であると思ってください。他人にかける迷惑、善意の行為、死後の後悔のタネとなる行ない‥‥どれもこれも自分自身から出ています。そうした行為と想念のすべてが総合されて、死後に置かれる環境をこしらえつつあるのです。寸分の誤差もありません。高等な思念(良心)に忠実に従ったか、低級な悪想念に流されたか、肉体的欲望に負けたか、そうしたものが総合されて、自然の摂理が判決を下すのです。
 
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