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 アガシャの霊界通信
(上)
ジェイムス・クレンショー・著
園頭広周・監修 正法出版社
 
 光の天使たちと私たち

 私たちが霊界の人々と接触することは有害であったり危険であったりするものなのであろうか。そんなことはない。それはちょうどこの地上にいるわれわれが、隣人や友人、親戚と交際するのと同じである。
 もちろん、霊界の低い世界、地獄界には地縛霊のように有害で不健全な霊もおり、地上の人々に悪影響を及ぼす者もいる。しかし、それは破壊的な想念を持っている地上人とだけ波長が合うから、類は類をもって集まるの法則によって、そういう人のところにだけ出てくるのである。理性的な良識のある、心の明るい当たり前の人々は、常に守護霊を持っているために、何一つ恐ろしいものはないのである。
 (中略)
 先祖供養をしたら運がよくなったという人がいる。それは先祖の中で徳の高い人がその人の守護霊になって導いてくれたからであるという。だから「先祖供養しなさい」という。しかし、そうではないのである。人間として先祖に感謝しなければならないのは当然であって、その人が最初から先祖に感謝していたら、その人はそういう不幸になり苦しむ必要はなかったのである。たまたまそういうことが起こったことによって、その人は、今までのような心のあり方ではいけないと思い、はじめて反省をした。先祖に感謝しなければいけないと思って感謝をはじめただけである。
 そのために、生まれた時から憑いていた守護霊や指導霊の守りをスムーズに受けられるようになって、運命がよくなったのである。
 アガシャが教えているように、天上界にいる光の天使たちは、常にその人に調和の念を送って守ろうとしていたのであるが、その人が何ごとにも感謝しない不調和な心を持っていたために、天上界から絶えず送られてきている調和の念とは波長が合わずに、それを受け入れることができなかっただけであって、天上界から守られていなかったのではないのである。ところが今度は、先祖にも感謝できる心になったから、これまでも絶えず送られてきていた調和の念を受けることができるようになったので、運がよくなり問題が解決したのである。そのために先祖の霊が守ってくれたといっているのであるが、もちろん先祖の霊は子孫のわれわれを見守っていてはくれるけれども、われわれは生まれる時に、すでにわれわれを守ってくれる守護霊は決まっているのである。この守護霊は一生その人を天上界から守って指導する。この他に指導霊というのがある。これはその人がなにかの研究をしようとする、例えば医者になろうとすると、かつて医者であって医学にくわしい霊がその人の指導霊になって導くのである。あるいは芸術家になろうとすると、芸術家であって人を救うことを使命としている霊がその人の指導霊となるということになる。
 注意しなければならないことは、先祖供養すればよくなるといわれて一所懸命に先祖供養したが一向によくならないという人がいることである。すると指導者は必ず、「それはまだ信仰が足りないからだ、もっと熱心に供養しなさい」という。それでなお一所懸命にやってもよくならないという人がいる。するとまたいわれるからまたやる。それでもよくならない、という悪循環に陥ってしまっている人がいる。こういう人は形だけで先祖供養をしてお経をあげたりしているだけで、心から感謝するという心になっていなかったからである。「この世は浮世だという人がありますが、わたしは『受け世』だと思うのです」といった人があったが、全くその通りである。自分がどういう心になるか、それによって受け方が違ってくるのである。自分の心の通りにしか受けられないのである。
 キリストは、「汝らの籠にゆすり入れ、押し込むほどにして神の恵みは与えられているのである」といわれた。大きい籠〔心〕の人は大きく、小さい籠〔心〕の人はそれにふさわしく、われわれが心を広く大きく深くした程度に従って神の恵みは与えられるのであり、神の恵みを与えられるのが先ではなくて、まずわれわれの心を大きく広く深くするのが先である。ところが多くの信仰をしている人を見ていると、神に求めるのを先にして自分の心は小さくしたままで祈っている人が多い。
 
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