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 アガシャの霊界通信
(下)
ジェイムス・クレンショー・著 
園頭広周・監修 正法出版社
 
 アガシャの言葉

 最後に、アガシャの言葉を収録した。この言葉は、単純で謙虚であり、永遠の真実を述べている。これは落穂のようなものであるが、これらの言葉が智慧の種子として、人々の心の中に植えつけられ、豊かに増殖してゆくことを私は祈るのである。

 
恐れてはならない。なぜなら、恐怖するその心はもっとも恐れているものを生み出し引き寄せるからである。常に快活で愉快であれ。あなたの生活の毎日を美しく生きるように努力せよ。即ちあなたの周囲にあるものは何事でも、楽しく受けて生活するようにせよ。自分には楽しく受けることができないと思えるようなことに対しても、あなた自身の意識の中で調和せよ。あなたはあなたがなした「善業」を受けるために生まれてきている。そしてあなたの魂が、あなたの王国に持ち込んだすべてのものから教えを受けるために生まれてきているのである。そしてあなたの「王国」はあなたが意識し想念しただけのものである。

 どのようなすばらしいことを想念したとしても、想念しすぎたと思ってはならない。
 神の王国は、あなた方がどんな想念をしてもそれでもなお想念することはできないほどすばらしく美しい世界であるからである。これまで日本仏教は、釈尊は「人生は苦なり」と教えられたといっているが、それは違う。釈尊が説かれたのは、苦から脱け出して「極楽〔心の王国〕に入る方法」であった。あなたは自分と自分の周囲を美しく想念せよ。

 もしわれわれが、
現在の環境についていつまでも不平をいいつづけるならば、われわれは霊的に退転するばかりであり、またわれわれが学ばなければならない課目を教えてくれる新しい同様の環境がつぎつぎと現われてくるのである。われわれは成長しつつあるのであり、自分の力を強め、自分を目覚めさせるにもっとも必要なものを体験しつつあるのだということを悟らなければならないのである。

 多くの人々は、こんなに苦しむのは自分一人だけではないか、とみな思っている。しかし
どんなに苦しくても、その人にとって解決できない問題は与えられないのである。ある問題を解決すると、その人の守護霊、指導霊はその人の魂と協力して、その魂がそれ以上向上するにはどういう問題を与えればよいかを考え、その問題が与えられるのである。しかしそのことはその人の現在意識は知らない。だから苦しみから逃れて安易な道を選ぼうとする。すると、ますますいろいろな問題がその人の前に出てくるのである。「これでもか、これでもか」と問題が出てくると、そのうちに人間というものは「よし、もう逃げても仕方がない、受けて立とう」と、真正面から解決にかかろうとする。このことを「七転び八起き」といい、「案ずるより生むがやすし」という。だから問題が起こってきた時は、「ああ、また悟るチャンスを与えられた」と喜ぶことである。

 
すべての体験に対して、それが魂に教訓を与えてくれるものと感謝し、これを歓迎しなければならない。「いかにその課業がむずかしくとも、私はそれを学びとり、それによって魂を成長させるのだ」と自分の魂に向かっていえ。また「私は宇宙の一部分である。私は神において完全である。神が私の魂に、人生の目的を学ばしめる機会を与え給いしことに感謝します。私は私のもとに現われてくる一切のものを祝福する。私は毎日を完全に生きるのである。『我は道なり、我は光なり』、『我はその内性において完全である』、『我が内には完全なる大生命、神の国が宿っているのである』」と自分に向かっていいなさい。
 
あなたが流す涙の一滴一滴は、もしあなたがその体験の意義を悟る時、美しき智慧の真珠となるのである。

 われわれは、心の底からの反省をし、感謝の涙を流すことによって、われわれの魂は洗い浄められ、われわれの魂は神に向かうのである。すなおに泣ける人は幸せである。
 
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