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 彼らはあまりにも知りすぎた
 
濱田政彦・著  三五館
 
 
 1963年11月22日、ケネディが暗殺された時、彼の死体には当局の定説、すなわちオズワルドの単独犯行を否定する傷があることがダラスのパークランド病院の検死で確認された。
 ケネディは明らかに前方から撃たれた傷を負っており、その事実は後方からケネディを狙撃したとするオズワルド犯人説が誤りであることを示していた。
  二度の検死はベネスタの海軍病院で行なわれた。だが病院の発表はダラスの病院の前方狙撃説を完全に否定した。ケネディの傷は、いつの間にか後ろから撃たれた傷へと改造されていたのである‥‥(死人に口なし)。
 ケネディ暗殺事件の陰謀を追う研究家たちは一様に、このようなあこぎな真似ができる連中は、政府すらも自由に動かせる力を持つ者たちであると考えざるを得ないと考えている。
 映画『J・F・K』には、ケネディ暗殺の陰謀を追う主人公のギャリソン判事の前に、「X大佐」と名乗る人物が現れ、ギャリソン判事にケネディ暗殺の真相の一部を話す場面があるが、このX大佐は実在する人物であった。
 X大佐ことフレッチャー・プラウティは、元空軍大佐で国防総省内のスペシャル・オペレーションズ部局長だった。スペシャル・オペレーションズとは、CIA(アレン・ダレス長官)の秘密工作を後方支援するための極秘組織で、あらゆる非合法活動を行なっており、プラウティはこの部局の責任者であった。
 プラウティによれば、第2次世界大戦当時OSS(戦略事務局局員)だったダレスは、大戦末期にナチス諜報機関トップのラインハルト・ゲーレンと水面下で接触、ゲーレンらを戦犯追及をしないかわりに、ナチスの情報部員やゲシュタポ(秘密警察)の人員を、そっくりそのままアメリカが引き取って、CIAの組織編成に協力させるという取引を行なった。

 さてプラウティは、ケネディ暗殺は大統領よりもはるかに上に君臨する“だれか”の指示によって行なわれた組織的犯罪であるという。
 プラウティはスペシャル・オペレーションズ部局長として、アイゼンハワー大統領下のホワイトハウスに出入りしていたが、そこで彼は奇妙な光景に遭遇した。
 ホワイトハウスは合衆国大統領が支配するものであり、大統領がすべての政策の頂点に立つとてっきり思い込んでいたプラウティは、アイゼンハワー大統領以下、すべてのスタッフが“だれか”の指示によって動いているに過ぎないことに気づき、あ然とした。
 しかもアイゼンハワーはダレス兄弟(兄・国務長官、弟・CIA長官)よりも実質的に下の存在で、二人のいいなりになっている単なる腹話術人形だったのである!

 東西冷戦の最中、この“だれか”は米ソ両国政府をも自由に動かす力を持っていたとプラウティは語る。彼に言わせればアメリカもソ連も“だれか”の言いなりであり、国としての主体性など持ってはいないのだ。要するにケネディは主体性がありすぎたということだ‥‥。
 
プラウティは太平洋戦争が終わった時、激戦地だった沖縄にいた。ある日、彼は不思議な光景を目にした。戦争はもう終わったにもかかわらず、大量の兵器が次々にアメリカ本土から沖縄に運ばれてきたのだ。
 いぶかるプラウティを尻目に、兵器は半分が朝鮮半島へ、そして残り半分が仏領インドシナ(ベトナム)へと運ばれていった。なぜ紛争もない地域へそんな大量の兵器を送る必要があるのか? まだ若かったプラウティにはまったく理解できなかった。だが後年、朝鮮戦争とベトナム戦争が起きた時に、彼はすべてを理解したという。ああ、これは仕組まれた戦争だ! と。

 ホワイトハウスでの奇妙な光景を目にしたプラウティは、朝鮮・ベトナム戦争の謎に奇妙にもシンクロする光景をそこに見たのだった。
 “だれか”の存在をはっきりと感じられるだけの地位に自分はいたのだが、それが一体“だれ”なのかを知ることができるほどの地位にはいなかった、と彼は語る。
 “だれか”とはいったい「だれ」なのか? プラウティにはおよその見当はついていたのかもしれない。だが、裏稼業に携わる者の掟、「知りすぎた者がたどる末路」を知る彼は、「だれ」については語ろうとしない。この“沈黙”が彼にとっての最後の生命線なのだろう‥‥。

 
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