[戻る] 
Browse  
 
自然に学ぶ 共創思考
石川 光男・著  日本教文社
 
 「楽」を選ぶ〈ものさし〉

 私たちは、自分で気がつかずに、さまざまな価値観やものの見方を土台として生きています。そして、多くの場合、自分の生き方を支えている価値観が何であるのかを意識していませんし、自分が無意識によりどころとしている価値観の意味を問いつめることもありません。
 たとえば、階段とエスカレーターが並んでいると、大部分の人がエスカレーターを使います。なぜでしょう。
 それはエスカレーターの方が楽だからではないでしょうか。
 つまり、「楽かどうか」という一つの〈ものさし〉をあてがい、「楽はよいことだ」という価値基準にしたがってエスカレーターを選択しているわけです。私たちが日ごろの生活で使う〈ものさし〉には、よい方向と悪い方向の色分けがしてあります。
 でも、本当に「楽はよいこと」なのでしょうか。「疲れるよりも、疲れない方がよいにきまっている」というのは、感覚的な答えで、論理的な答えではありません。つまり、無意識的に「楽」な方を選択する自分の価値観の意味は、自分でもよくわかっていないのです。
 人の体は歩くことによって健康を保てるようにできています。歩くことによって血液循環がよくなり、動脈硬化を防ぎ、血圧も低くなり、カルシウムも効率よく骨に定着します。しかも、階段を上がるのは平地を歩くのにくらべて3倍ぐらいの運動効果があるのです。
 厚生省(現在の厚生労働省)が、30歳以上の約7500人を対象に万歩計をつけて、歩く歩数と血液中のコレステロールや血圧との関係を調べたところ、よく歩く人ほど動脈硬化を防ぐ“善玉コレステロール”の値も高く、血圧も総じて低いことが判明しました。

 歩かなければカルシウムが逃げる

 また、骨がスカスカになり、骨折しやすくなる骨粗鬆症という病気が国民病として注目されています。現在日本の患者は450万人。その数は年ごとに増加しています。骨粗鬆症の予防にとって大切なのは、カルシウムの摂取と運動です。食生活の欧米化によって、肉類・油脂類がふえて、脂肪のとりすぎの傾向が強くなる一方で、カルシウムだけは大きく不足しているのが現代の日本人の一般的な傾向です。
 このように、日本人はカルシウム不足の傾向が強いのですが、とくに気をつけなければならないのは、日常生活のこまめな運動が不足すると、カルシウムはどんどん体外に排泄されてしまうということです。運動というと、テニスや水泳のようなスポーツを連想する人が多いのですが、運動というのはけっしてスポーツだけを意味するのではありません。歩くことも立つことも立派な運動なのです。
 アメリカが有人宇宙飛行にふみきったころ、宇宙飛行士たちは体内のカルシウム不足に悩まされました。どんなに摂取しても、尿などに排泄されてしまったのです。原因は日常的な動作が不足するためであることがわかりました。宇宙飛行士たちは長時間椅子にすわりっぱなしで、あまり体を動かすことができなかったのです。人間は「立つ」「歩く」といった日常的な動作で体に刺激を与えてやらないとカルシウムが体に定着しないのです。

 寝たきりではボケます

 フトンの上に横になるのはもっとも楽な姿勢ですが、この状態を2〜3日続けただけでも、筋肉をはじめとして体の諸機能の低下が起こります。この状態を長く続けると、心臓が小さくなり、酸素摂取能力が低下し、起立性調節障害がおこります。
 順天堂大学の青木純一郎教授は、これを「安静の害」と呼んでいます。安静の害は体だけの問題ではありません。寝たきりの状態が長く続くとボケ老人になる確率がきわめて高くなります。3カ月以上も寝たきりの生活をすると、およそ50パーセントの確率で老人性痴呆症を誘発するといわれています。
 このように考えてくると、「楽」はけっして無条件に肯定すべき絶対的な価値観ではないことがわかります。ときには楽をしたり休息したりすることは、もちろん大切なのですが、いつでも「楽」な方を選択するという無意識的な判断によりかかって生活することに問題があるのです。

 「楽」はタダでは得られない

 私たちが「楽」で「便利」な生活をするためには、車やエレベーターなどの機械をつくり、それを利用しなければなりません。工業製品をつくったり、機械を動かしたりするエネルギー源は石油・石炭などの化石燃料ですが、大量の化石燃料の使用によって排出されるガスによる大気汚染や地球の温暖化が大きな問題となっています。
 化石燃料の使用による環境破壊に対して大きな責任を負わなければならないのは、日本を含む先進工業国です。世界の人口の約25パーセントの先進工業国は、化石燃料や原子力発電によって、商業エネルギーの約80パーセントを消費しています。地球の温暖化ガス生産の約70パーセントは先進工業国からのものです。
 私たちが、あまりつらい思いをせずに「楽」をして生きることができ、「便利」で豊かな生活を楽しむことができるのは、貴重な天然資源を大量に消費しているためですが、一部の人間が「楽」をするために、地球全体と世界中の人々に迷惑をかけているという犠牲の上になりたっていることになります。「楽はよいことだ」という一方的な価値判断は、このような意味においてもなりたたないことになります。
 
[TOP]