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 食の堕落
小泉武夫 『エコノミスト』(毎日新聞社)
 
 驕りが生んだ食の危機

 遺伝子組み換え穀物も、一部の学者は「絶対に安心」というが、事実は異なる。海外の研究では既存の種子に野生型のDNAを組み込むことで病害虫に強い穀物を作ったが、収穫後の大豆や小麦を食べた虫が死んだことで注目された。虫が死んだのは毒性たんぱく質が原因だろう。遺伝子を組み換えるとたんぱく質の構造が変わり、アミノ酸の配列が変われば、毒にも薬にもなる。安全が確かめられていないのに、「遺伝子組み換え食物は大丈夫だ」というところに人間の驕りを強く感じる。
 BSEにしても、肉骨粉を飼料とすることで牛に共食いをさせたことに問題の発端がある。「肉骨粉を食べさせればいい肉ができる。牛乳がいっぱいとれる」という、自然の摂理を無視した人間の打算的な行動がBSEの問題を生んだ。鳥インフルエンザについても、人間の都合でブロイラーのような狭くて苦しい環境で鶏を飼えば、病気にかかりやすくなるのは当たり前だ。
 ここ数年、輸入食品から日本の基準を超える残留農薬や抗生物質、ホルモンなどが検出され、問題になっている。これは自分たちで安全な食べ物を作ろうとせず、外国に食料を頼っている民族の弱さだ。
 日本の食料自給率は40%(2001年)にまで落ちている。アメリカは122%、フランスは121%、カナダは142%、オーストラリアは265%だ。それでもアメリカは「日本はもっと農産物を輸入すべきだ。関税も引き下げ、自動車や家電をアメリカに売ることで得たドルで農産物を買って還元せよ」という。このまま何の対策も打たなければ、十数年で日本の自給率は20%に下がるだろう。
 おいしくて、安全な食品を食べるには、地域で生産されたものを地域で消費する「地産地消」を進めていくしかない。最近、地産地消やスローフードとしきりに言われるが、これは決して新しいことではなく、戦前の日本がそうだった。
 私がもし総理大臣だったら、「食の非常事態宣言」をして、自給率を上げるために食糧増産を図る。地方も国の言うことなど聞かずに地産地消を進めればいい。学校給食も地産地消とし、各県に推進協議会を作り、県にあるすべての団体、流通も生産も一体になって県単位で地産地消運動を進める。人口約3,800人の大分県大山町で始まった地産地消運動では、組合員640人のJA大山町(農協)の2003年の売り上げが約30億円に達した。農家は1軒当たりの平均収入が2,000万円を超すところが大半となり、町の自給率も100%近くに達した。やればできるわけだ。
 日本の農業もやり方次第では豊かな産業、すばらしい職業だということを実践すれば、若者も農家に帰ってくるし、後継者も生まれる。「食育」(食の教育)の問題でも、子供たちに食べさせるばかりでなく、「食の前に土ありき、農ありき」を教えることも重要だ。農業なくして食料は簡単に手に入らないという感謝の気持ちを持たせ、農に対する魅力を感じさせることが、未来を背負って立つ子供たちにとって大切なことで、それが将来の食の安心・安全の問題を解決することにつながる。
 自給率低下と並ぶもう1つの問題は、戦後日本の食生活の激変ぶりだ。
 1960年と98年で比較すると、肉の消費量は約8倍、油の消費量は約10倍だ。かつて日本人は質素で低たんぱく、低カロリー、低脂肪の食生活を送っていた。しかし、この30年間でまったく逆のカロリーやたんぱく質摂取至上主義のアメリカナイズされた食生活になってしまった。いかなる世界の民族も、これほど急激な食の変化を経験したことはない。
 実際、日本人が山のように焼き肉を食べてもそう力にはならない。逆にコレステロール濃度も中性脂肪も高くなる。プロ野球・西鉄ライオンズの稲尾和久さんは1961年には年間78試合に登板し、42勝もした。その力の原動力は、別府のお父さんから送ってもらった魚とご飯を食べていたからだ、という伝説さえ残っている。今のプロ野球選手は焼き肉が好きだと言ってたくさん食べているが、1回登板するとひじや肩を壊すといって5日間は投げない。
 1945年に東京が焼け野原になったが、5年後には世界で5番目の都市に復興した。肉など食べられない状況の中で、みんな日の丸弁当、握り飯、漬物、納豆、魚の干物などで頑張った。日本人の食の激変は、草食性動物が肉食性動物に変わったほどのものであり、民族としての驚くべき一大変換だ。
 
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