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 日本をもう一度江戸時代に戻そう!
浅井隆・著  第二海援隊
 
 明治維新は日本人の心の崩壊の序曲だった

 明治維新後、新政府は近代化を早急に押し進め、日本の最重要課題として軍事力と経済力の高揚を掲げた。明治4年には、岩倉具視を団長とする欧州視察団が日本を旅立ち、欧米の文化や制度を六百数十日かけて視察している。大久保利通、伊藤博文、木戸孝允ら、政府の最高首脳らが揃って海外に出かけ、欧米の方式を目の当たりにした。このままだと、小さな島国の日本は西洋のエネルギーに呑み込まれてしまうのではないか。視察に出かけた首脳らは、行く先々で危機感を覚えた。結果的に、政府は富国強兵の導入を決断する。欧米列強に敗れない国家を作るには、西洋科学文明を早急に取り入れるべき、と判断したわけだ。
 西洋の文明を取り入れるとなれば、まず洋学=実学を学ぶ必要がある。そこで、これまで親しんできた蘭学の代わりに、イギリス、ドイツ、フランスの洋学を取り入れることにした。江戸時代の日本人の精神形成に深く関わっていた儒学(朱子学)も捨て去った。また、江戸中期から盛んになっていた日本独自の国学も遠ざけてしまった。
 ただし、いちばん大きな壁は、西洋文明の背後にあるキリスト教の存在だった。蘭学、儒学、国学を捨てることはできても、キリスト教文化をそのまま導入するのは容易ではない。そこで、明治政府が行なったのは、キリスト教文化の代わりに「万継一世の天皇制」を思想文化に充てることだった。具体的には、神仏習合の結びつきをといて「神」と「仏」をバラバラに分離し、“神社の統廃合”を行なった。聖徳太子の手による神と仏の習合は、ここでついにエンドとなる。
 これに伴い、各地にあった多くの神社が壊され、大きな神社などに統合されていった。しかし、生活のごく身近にあった神社が姿を消すとなると、住人にとっては一大事である。それまで神社は地域のコミュニティーとして機能しており、村の文化の拠点となっていた。村人たちは何かというとそこで寄り合い、子供が生まれれば神主さんに頼んで子供の命名もしてもらえた。つまり、近くにあるだけで安心を得られる「心のより所」が地域の神社だったのだ。その場所が突然なくなってしまえばどうなるか? 精神的支柱がいきなりそがれてしまうわけで、その喪失感は計り知れない。
 喪失したのはそれだけではない。神社は村の水田にとって“鎮守の森”としての役割を果たし、災害から守ってくれる神様として存在していた。その森が壊されれば、“生態系破壊”という悪循環が起こってしまう。森の木々を伐採することで自然のリズムが乱されてしまったわけだ。
 神社の統廃合は、単に神社という形がなくなるだけではなく、「人心破壊」と「生態系破壊」という、多大な損害をもたらした。心と環境の破壊が同時に行なわれたのだ。博物学、生物学者として知られる南方熊楠は、いち早く鎮守の森を破壊することの危険性を指摘したが、当時の官僚にはエコロジーなどという概念はなく、聞き入れられなかったという。
 小さなコミュニティーの崩壊、さらには「廃藩置県」による藩という最大のコミュニティーの破壊は、人々の心に大打撃を与えたはずである。しかも……。神仏分離の結果、神道はその後“政治的祭祀”として用いられるようになり、仏教は“葬式仏教”となり、徐々に形骸化していく。神仏がバラバラになり、日本人の心から離れていった。
 さらに、家庭の弱体化が追い討ちをかける。神仏が心から離れ、儒教という世俗的道徳が消え、神社や藩というコミュニティーが消え、頼みの綱の家庭という居場所まで壊れていけばどうなるか。
 明治維新の功罪を考えたとき、決して肯定も否定もできないが、精神性の堕落の根本的な原因はやはりここにある。富国強兵策が精神性の退化のスピードを早めてしまったことは確かなのである。

 
極めつけとなった太平洋戦争の敗北

  日本人の心の変遷をたどっていくと、ここに至るまでには「明治維新」に加えてもう一つ重大な転期があったことがわかる。それこそが、「太平洋戦争の敗北」である。この戦争は日本の都市、人、財産を破壊し尽くし、精神性の荒廃のスピードを早める決定打となってしまった。
  敗戦直後の日本は、物資を使い果たして世界の最貧国に近いほど経済的に落ち込んでいた。とにかく食べ物がないし、着るものさえままならない。そこに戦地から生還した兵士が次々戻ってきて、食糧不足、モノ不足に拍車がかかった。これまでに体験したことのない赤貧状態の中、それでも日本人は希望を捨てず、経済復興を目指して驚異的ながんばりをみせた。生き残った人々を路頭に迷わせてはならないと歯を食いしばり、世界的にみても奇跡的な復興を成し遂げた。
  本来、勤勉、真面目、学習熱心というのが日本人の資質である。その優れた資質が存分に発揮されて今日のような経済大国になり得たのだが、心の成長はままならなかった。モノを豊かにすることに目を奪われているうち、精神も“物質化”が進み、日本人の中味ががらっと変わってしまったのだ。
  明治維新が精神性の荒廃の序曲であったことは確かだが、募末・維新の名残があった頃はまだ良かった。日本全体が貧しかった頃は、心の中に豊かさの貯金が残っていたのだろう。しかし、戦後の復興の中で、その貯金は一気に吹き飛んだ。
  さらなる大打撃は、戦勝国によって強制的に与えられた「民主主義」が精神を混乱させたことだろう。物質的な混乱と精神の混乱。ついに、貯金は底を突いた。
  心の豊かさの貯金も、なければ次世代に引き継ぐことはできない。だからといって、大人たちはモノを享受することに精一杯で「精神面の教育をどうするか?」を考えるほどの余裕はなかった。そのため、戦後生まれの子供たちは、物質至上主義を当たり前に見て育ち、当たり前のように経済活動の中に組み込まれることになったわけだ。

★なわ・ふみひとのコメント★
  “凜”とした国日本の破壊を目的として、世界を支配する勢力が仕掛けた「幕末〜維新」と「太平洋戦争」という2つの巧妙な“罠”によって、ついに日本人の心は崩壊してしまうことになったのです。いまその“罠”の存在に気づく人が少しずつ増えつつありますが、主要なマスコミが世界支配層の管理下にある中では、大半の日本国民が目を覚ますことはないでしょう。ここまで来てしまっては、残された日本再生(地球再生)の方法としては、やはり大本神諭や日月神示に述べられているように“神一厘”の仕組みしかないと言えそうです。その仕組みが発動するためには、気づきを得た日本人がわずかであっても、まず自ら“日本人魂”を取り戻し、日々の“身魂磨き”に精を出すことが大切だと思っています。
 
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