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 新 歴史の真実
 混迷する世界の救世主ニッポン
前野徹・著  講談社+α文庫
 
 白人と日本人の脳の違い

  改めて十六世紀から二十世紀に至る西洋諸国の非白人地域の植民地分割の歴史をたどってみて、アジア人の一人として、私は沸々と湧いてくる怒りを禁じ得ません。
  人が人を支配する。21世紀に生きるみなさんには実感が湧かないでしょうが、これが世界の歴史の真実です。白人はごく当然のように何の罪もない非白人を征服、その富を次々と収奪し、尊い生命を奪ってきました。
  それでも白人は良心の呵責は微塵も感じなかった。彼らの心の中には根っから優勝劣敗、弱肉強食の法則が刻み込まれているからです。勝てば、負けた相手を焼いて食おうと煮て食おうと勝手。勝者はどんな卑怯な手を使っても、常に正しいと考えます。
  逆に言えば、負ければ、それがどんなに正義の戦いでも悪のレッテルが貼られます。したがって、何があっても勝たなければならない。日本のように「負けるが勝ち」「騙すより騙されろ」などという生ぬるい言葉は、国際社会では絶対に通用しません。
  食うか食われるか。人を見たら敵か盗賊と思え、という生活をしてきた白人には、もののあわれ、わび、さびといった日本人特有の美意識は逆立ちしても伝わりません。
  個人主義と言えば、言葉がきれいですが、西欧で育った個人主義の思想は端的に言えば、「人を押しのけても自分の利益を確保しろ。自分以外に信じるな」という他者不信の考え方です。究極の個人主義とは、生き延びるためには、相手に何をしてもかまわないということに他なりません。欧米流の個人主義で育った戦後生まれの日本人が、他人への迷惑を考えないエゴイストになり、思いやり、公共心、道徳心をなくしたのも、当然の帰結なのです。
  白人社会は義理人情、恩義、憐憫の情などといった日本の伝統とは対極の世界です。「相手の心情を斟酌して」などと言っていると、恩を仇で返されるのが欧米的価値観です。
  自然に恵まれ、山紫水明の国で暮らしてきた日本人と、痩せた土地で争奪を繰り返してきた欧米人とでは、脳の発達の仕方も違います。欧米人は理屈や計算を司る左脳の働きは活発でも、情感、感性を司る右脳は日本人のほうが発達しています。
  たとえば、虫の音。鈴虫、キリギリス、コオロギ……私たちはさまざまな虫の音を聞き分け、楽しみます。しかし、欧米人には虫の音はすべてガチャガチャとしか聞こえず、うるさいだけです。日本人なら情緒を感じる川のせせらぎにしても同様で、欧米の人々には街の喧噪と同じようにしか感じられません。
  日本人は非常にこまやかで情感あふれる脳を持っています。対して欧米人は計算ずく、理屈では優れています。日本が欧米に手玉にとられた原因も、そもそも脳の働きの違いにあったのかもしれません。
  唱歌「青葉の笛」にまつわる物語があります。
  源平の戦いで一の谷の合戦で敗れた平家は、海へと敗走しました。平家の若武者、平敦盛(たいらのあつもり)は船に乗り遅れ、ただ一騎、馬を泳がせ船を目指しました。そこに残党狩りを行なっていた源氏の武将、熊谷次郎直実が現れます。直実の「勝負しろ」との呼びかけに応えて、敦盛は馬を返し、波打ち際で直実に組み敷かれる。我が子ぐらいの年齢、若者と知った直実は助けてやりたいと思いますが、既に味方の軍勢が迫っていました。辱(はずかし)めを受けまいと敦盛は「早く首をはねろ」という。他の者の手にかかるよりはと、心で泣きながら、敦盛の首をはねます。
  手にかけた敦盛の腰には、錦の袋に入った名笛・青葉が。直実はその前日、戦場に響く美しい笛の音を聞き、感銘を受けていました。戦場でも情緒を忘れぬ平家の武士に。その幼き若武者の命を奪ったのだと悟って、直実は世の無常を感じ、出家してその生涯をかけて敦盛を弔いました。
  私たち日本人は、馬を返した敦盛の美学にも、直実の心情にも、心動かされる情感、感受性を持っていますが、やるかやられるかの欧米人から見ると、敦盛の行動も直実の出家も愚かな行為にしか映りません。これが優勝劣敗のトラウマが刻み込まれている白色人種と、もののあわれ、義理人情、人の心の機微、憐憫の情などを大事にする日本文化、伝統の魂を持つ私たち日本人との違いです。
 
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