人のからだは、なぜ治る? 
ホリスティック・メディスンの知恵 
大塚晃志カ・著 ダイヤモンド社 
 
 

 食が体質をつくり命を救う

「生きたもの、生命あるものを食べよ」といったのは、東大医学部教授をつとめたことのある二木謙三博士である。細菌学および免疫に関する研究で、多くの業績を残された医学者である。氏は、幼少から実に虚弱な浸透性体質(すぐじくじくしてきて、オデキやウミができてしまう体質)で、病気ばかりの生活をしていたようだが、玄米が理想的な「完全食」であることを理解し、玄米菜食の節食を実践したところ万病を克服できたという。しまいには、一日一食という玄米菜食の少食を自ら実行し、それでいながら、実に多忙な臨床医兼医学者としての業務をこなし、93歳で亡くなるまで、元気に活躍された。また、二木式腹式呼吸法をも提唱した。このような二木謙三氏のような実例には、食の威力のすばらしさを実感させられる。
 食物の大切さについては、すでに古代ギリシヤのヒポクラテスが次のように語っている。
「人間一般の自然性を知り、人間がどんなものから構成され、どういうものによって支配され、そこからどんな結果が生じるかを知らなければならない。私たちが生活の糧とするいっさいの飲食物について、それぞれ本来どんな効力があり、また人為的に加工されるとどんな効力が生じるのかを知っていなければならない。」(『ヒポクラテス全集』「食餌法について」エンタプライズ
刊)
 また、ヒポクラテスによれば、食餌法(ダイエット)で必要なことは、人間の「自然性」すなわちギリシヤ語で「フュシス」(physicos)であり、それにのっとって治療するからこそラテン語でいう自然療法者「フュシコス」(physicus)といわれ、それが、英語で医師を表わす「フィジッシャン」(physician)という言葉になったとのことである。このことは、明治薬科大学名誉教授の大槻真一郎氏によって指摘されている。
 すなわち、医者という者は、「食」というものがどのようにわれわれの生命や体に作用するのか、ということについて、本来しっかり理解していなければならないものだったわけである。この点、今日の医者は、言葉の本義に反するほど、食についてあまりにも無知であるとあらためて言わざるをえない。「食が大切」といいながら、「食のもたらす威力」については、実際、ほとんど理解していないからである。
 世界のさまざまな伝統医学を見てみても、「食生活」の健康と治癒に及ぼす影響は、はっきりと指摘されている。
 数千年の歴史をもつ中国医学においては、古くから「医食同源」といわれ、むかし皇帝の側近には「食医」という、「食の健康についての威力」をしっかり理解している医者がいた。「食医」こそ、医者の中で最高の位とされていたという。
 また、およそ五千年の歴史をもつといわれるインドのアーユルヴェーダ医学においては、食が非常に重要とされ、食物が生命の組織のすみずみまでいきわたるがゆえにこそ、生命の健康が保てるのだ、と考えられていた。さらに、体がバランスを失い健康を損ねたときでも、そのバランスを回復するおもなものは食物であり、その他の生薬等の薬物はあくまで補助的なものにすぎないと考えられていたのである。
 実は、このことは、前述の中国医学においても同じであった。
 それでは、食というものが、具体的にはいったいどのような力をもちうるのか、まず、ほとんど一部の者にしか知られていない事実から述べていこう。
 それは、食による「体質的な強さ」というものを、あらためておしえてくれる事実である。
 1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.8キロのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。
 博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。おそらく直観的に、血液の濃さを保ち、血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。
 さらに博士は、次のように職員に命令したという。
「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ。」(秋月辰一郎著『死の同心円―長崎被爆医師の記録』講談社刊・絶版)
「放射線宿酔」と呼ばれる、レントゲンを受けたあとにおこることがある全身の倦怠や頭痛等の症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。
 みそ汁は、カボチャのみそ汁であった。のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。
 すると、どうであろう。そのとき博士といっしょに患者の救助にあたったスタッフらに、いわゆる原爆症が出なかったのである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生きのびているのである。
 このことは、私にとって大きなショックであった。食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの重い価値を知り驚嘆した。ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。
 博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。
「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである。」(秋月辰一郎著『体質と食
物』クリエー出版部刊)
 博士の書いた『長崎原爆記』(弘文堂刊)は残念ながら絶版であるが、その英訳版が欧米で出まわり、チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで日本の「みそ」がとぶように売れたということはあまり知られていない。
 私は医者の友人から、「食事の影響なんて、それほどでもない」などといわれるたびに、これらの事実が示す重みを思い出し、「いや、それは、食の威力を体で本当に理解していないからだ」と反論したものである。
 私は、単なる盲目的かつ狂信的な玄米信仰者ではない。しかし、口から入るものにより、見かけからはわからない「体質的な強さ」が決定されるという事実には、素直に頭を下げざるをえな
い。
 秋月博士は、「体質医学」の大切さを主張し、次のように言っている。
「それは、人間の体質を作り変えることが医学の本然の姿であるという信念による。人間の体質を作り変えて、病気にかからなくてすむ身体、また病気にかかっても軽くて治る身体になることである。また、慢性疾患に罹患していても、体質を変えていつの間にか病気を離れる身体になる、この医学である。」(『体質と食物』)
 現代医学は、「体質」というものに全く盲目でしかない。食というものは、知らず知らずのうちにわれわれの「体質」というものをつくっている。このことは目に見えず、なかなか実感できないものである。今日、人はただグルメに走り、若者は化学物質と添加物のかたまりでしかないような人工的加工食品やジャンクフードを、日々食べてしまっている。
 私か実際この目でたしかめたショッキングな事実を、ここで挙げよう。
 20代などで、若くしてガンになる人がいる。そのような人が不幸にも亡くなり火葬すると、ほとんどの骨が砂のようになってしまい、残らない。ところが、明治生まれのお年寄りが亡くなり火葬すると、「我ここにあり」とばかり、大きく太く立派な骨がちゃんと残るのである。これは、あきらかに今日の若者の体質が悪化し、骨が弱くなってきていることを示していないだろうか。
 1959年以降、インスタントラーメン等に代表されるインスタント食品や人工的加工食品、さらには実に多種にわたる人工的な清涼飲料があらわれ、大量に体内に入るようになった。砂糖の消費量も急増した。また、現在許可されている食品添加物は348種類にもおよび、平均的都会人なら1年に1人平均およそ4キロもの化学物質を食べることになるという。
 このようなことが、とくに成長期の子どもや思春期の若者の生身の肉体に影響を与えないわけがない。砂糖の毒性を指摘した田村豊幸博士は、以前より薬理学の立場から、食生活と先天異常児との相関関係について警鐘を鳴らしている。また、同志社大学教授の西岡一博士は、やはり生化学の立場から、食品添加物の化学物質がガンの発生に大きくかかわっていることを指摘し、声を大にして警告している。
 私の知っている婦人科の医師は、「最近本当に若い女性に異常妊娠や奇形が多い」と心から憂えていた。そういう女性の食事は、朝はコーヒーだけ、昼はハンバーガーなど、夜もケーキだけですませるなどということもあるという、恐るべき食生活である。もしこんな食事がつづくなら、まともな子どもを産めるわけがないではないか。母親がとる食事と栄養が、血液をとおして胎内の赤ちゃんの栄養となり、体を形成していくのであるから、はっきりいえば、人体の建築基礎工事において材料不足となってしまうわけだ。人間は生命に対しての本能的直観を失いつつあるのではないか。
 最近は、若者や子どもの味覚異常も目立って増えている。
 食は一大盲点である。あるときテレビで、食・農・医の3つを実践されている竹熊宜孝氏と、30代、40代の医師の3人による座談会があった。そのとき、30代、40代の2人の医師は、ストレスのことばかり強調し、「酒でもなんでもいいから、とにかくストレスをうまく解消すればいいんですよ」などと、したり顔でいったところ、とたんに竹熊氏の一喝がとんだ。
「あなたたちは、まだ若いし、大病をしたこともないから実感としてわからんだけだ。いずれ年とって病気になったとき、いやというほど、食というものの大切さがわかる」
 そのようなことをはっきり言っていたことを思い出す。
 
 
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