人生の原則
曾野綾子・著  河出書房新社
2013年刊
 

 現実の重さ
   ――実人生の手応えは重く、決して人を甘やかさない

  衛星放送というものを見るようになってから、私は夜遅く、もう読書をしようにも眼が疲れて困るというような時に、今まで見なかったおもしろいテレビ番組を見る習慣ができた。
  その中でも好きなのは、動物の習性を見せてくれる番組である。アフリカの肉食獣はその本性として、他の動物を追いかけて捕まえ、首に噛みついて窒息死させてから食べるようになっているものが多いという。
  最近のテレビの撮影技術は、まるで私が実際に象やライオンの二、三メートル近くにいるような錯覚を与えてくれる。事実、チータなどの中には、撮影用の四駆の屋根の上にまで平気で上がるほど人馴れした(文明馴れした)ものもいるらしく、私はあまりにも人間が野生の中に踏み込み過ぎて、彼らの自然な聖域を侵しているのではないか、と考えることもある。
  しかし爬虫類でも、昆虫でも、人間に教えるところは実に多い。それは彼らの生き方が自足している、という実態である。
 「自足」とは、自分が必要とするものを、自分で取ってくることであり、やたらに欲しがらないことでもある。
  ライオンは、お腹が空けば、自分で狩りをするほかはない。ライオンは牝が狩りをする。シマウマやレイヨウなどに風下から近づいて、一気に襲って相手を仕留めるには牝の細い体型が有利なのである。牡の大きなたてがみは、草の中に身を沈めても目立ってしまうから狩りには不向きで、牝が獲物を仕留めると、後から牡が出て行って真っ先にご馳走を食べるというのが習性らしい。
  こういう仕組みは、別に心がけの問題ではない。心優しいライオンは、レイヨウを食べずに草を食べるというわけではないのである。自然は、このように残酷な姿を原型として留めながら流転している。
  人間も動物である。生きるためには、さまざまなものを奪わなければならない。動物の命を奪わないために、インドにはたくさんの菜食主義者がいる。豆のスープとかオクラのカレーのようなものだけを食べ、ミルクは飲むけれど卵も食べない、という人たちである。菜食主義者は、ヒンドゥの身分制度で、最高の僧族に属する人が多い。
  ミルクを飲むのは、つまり彼らにとって残酷なこととは思われないからなのだろう。しかしそれも感覚の問題で、エジプトの昔の壁画の彫刻には、人間に乳を飲まれて泣いている母牛の図があった。牛は多分涙を流して泣きはしないから、古代エジプト人は、人間の心で、乳を子牛から奪って飲むのはむごいと感じて、それを表現したのである。
  生きるためには、みんな死に物狂いだ。命を的に戦い、或いは厳しい労働をし、奪い、他人の痛みなどものともせず、自分を守るほかはない。私はそれを見習えというのではない。人の命を奪わなくても自分が生きられる制度を作ったのが人間の文明である。しかしその動物的本能の存在まで否定することは、虚偽的である。
  最近の若者たちは、国際派と国内派に分かれるという。昔の若者たちは、ほとんどが外国に行きたがった。これが国際派である。外国には日本にないものがたくさんあったから、それを見に行きたかったのである。しかし今多くの若者たちは、この心地よく暮らせる日本を離れて、外国になど行きたくないと言う。これが国内派である。
  昔、多くの若者たちが、外国へ行って『何でも見てやろう』とか『地球の歩き方』を覚えようとしたのは、なかなか外国に行かれなかったから、行きたかったのかもしれない。今に比べると日本は貧乏で、外貨の準備高も少なかった。終戦後長い年月、一ドルは三百六十円もして、しかも日本人はまだ、自動車も冷房機も、買えない状態だったから、そんな高い外貨を持ってアメリカなどに行ける人は数えるほどしかいなかった。
  しかし今の青年たちは、何もアメリカへ行くことはない。アメリカにあるものは、ハンバーガーでもピッツァでも、スポーツカーでもゲーム機でも、何でも同じように日本にある、と思っている。
  ほんとうはそうではないのだ。世界は広くて、日本人には想像もできないような歪んだ現実がある。外国の富は、日本人の金持ちしか見たことのない我々の想像外である。今でも、奴隷売買も、強制労働も、誘拐した幼児から臓器を奪う商売も、世界の流れの中では、決してなくなっていないという。一見開けて秩序あるヨーロッパなどの文明国家の中にも、厳しい人種・階級差別が歴然として残っている。それを、日本人は知らず感じないだけのことなのである。
  そういう現実を知ってか知らずか、日本人は穏やかな日本を離れて、わざわざ苦労して、犯罪も多く言葉も通じない外国に行く必要はない、と考える。ぬるま湯の中に浸かっているような穏やかな生活の中で、日本人は自分は貧困だと言い、人権や人道をうたうのである。
  日本人にとって、すべての不幸はガラス越しなのだ。「かわいそうねぇ」と同情する方は、何の痛みも、寒さも、空腹も感じない。
  私は幼稚園からキリスト教の学校に入れられたので、クリスマスというのは、半日、断食をするという厳しい行事をする日だった。
  日本の子供たちは、クリスマスにはサンタクロースや両親から何かをもらうものだと思っているが、私たちは、クリスマスには、自分の身辺の貧しい家族に何かを贈る日だと、外国人の修道女に教わった。それも自分の家に有り余っている何かをあげるのではなく、その日だけは、温かいスープを自分の家で飲むのは止めて、その中身を鍋ごと、近所の貧しい家庭に届ける。或いは昔のことだから、家には暖炉があって、普段の日にはそこに赤々と薪を燃やしているのだが、クリスマスの日だけはそれを止めて、自分たちは寒い思いをし、その日焚く分の薪を、普段は凍えている家族に届けるのが、ほんとうのクリスマスだと習ったのである。
  日本では、そんな相手もなく、しかも突然スープや薪など持ち込まれたら、相手の自尊心を傷つけるかもしれないから、何もしないのだが、少なくとも私たちは、金で買えるケーキをぶら下げて家に帰ったり、お酒を飲んでドンチャン騒ぎをするのがクリスマスなのではなく、むしろその日はずっと静かに禁欲的に、得られるはずの贅沢や幸福を人と分け合う日だと習ったのである。
  たった一食、ほとんどご飯を食べないだけでも、クリスマス・イブの私はずいぶん緊張していた。今は、二日や三日食べないでも大したことはない、と思える。二〇一〇年のハイチの大地震では、少なくとも十日以上生き埋めになっても生きていた人が数人はいたのである。
  テレビゲームでは、人間は何でも可能である。スパイや、泥棒や、大統領や、赤ん坊や、妖精になること、すべてができる。したがって空を飛ぶことも、ビルからビルへ飛び移ることも、ジェット機に追いつくことも、エベレストに登ることも、地底に潜ることも、ワニのお腹の中を旅行することも、何でもできるのである。しかも何をやっても命の危険はなく、暑くも寒くもなく、空腹も喉の渇きを覚えることもなく、背中に背負った食料や必需品の重さで肩が痛むこともなく、ちょっとした疲労さえない。食事の時間になれば、自分のうちの食卓に向かうことができるのだし、夜になれば、寝馴れた布団の中に潜り込むこともできる。
  国内派というのは、つまり現実回避派、ヴァーチャル・リアリティー派ということだ。現実がないというより、現実を避けている。だからいくらでも人道主義的理想に燃えることができる。現代の日本で、それが最も卑怯な若者たちの姿なのではないかと思う。一時代前から、ニートとかフリーターとか呼ばれる人たちが生まれたのも、そうした空気を感じたからである。彼らはつまりヴァーチャル・リアリティーとリアリティーの中間点を見つけようとしたのかもしれない。つまり好きな時に、好きなだけ働くことができれば、それは先進国では、きちんとした勤労者と認められるはずだ、ということだったのだろう。ところがほんとうの労働の成果は、自分のしたくない時でも、嫌な思いに耐えつつ、継続して働くうちに、そこに到達するものなのだ。
  若者が、ヴァーチャル・リアリティーのお手軽な呪縛から逃れて、現実の苦い人生を味わう勇気を果たして持つか。実人生の手応えは重い。それは決して人を甘やかさない。ただその分、達成した時の豊かな味わいは、ヴァーチャルな世界では味わえない重厚さと密度を持つ。そこに気がついてくれることを願うばかりだ。

 災害の中に慈悲を見つける
 ――自分の身に起きたことには意味がある


  東日本大震災後、時間が経つにつれ、貴重な手記がマスコミにも載るようになったが、その中で私の心に残ったのは、約三週間もの長い避難所生活をした後、どうやら家族だけで暮らせるようになった時、生活の態度が変わった奥さんを発見した六十代半ばの男性の投書だった。奥さんは元は暑さ寒さにも不平を言いがちであったが、今は何も言わない。食事の前にも感謝して手を合わせている。
  こんな体験をすれば人間は変わって当然だろう。お風呂に入れるだけでもありかたい。
1メートルと離れていない所に他人が寝ていていつも気兼ねする生活から救われたのもありがたい。私流に言うと、心置きなくいびきをかき、おならができるようになったのだ。
  普通の生活では、私たちは自分の好きな食事を食べられて当然と考える。しかし避難所では、食事の好みも口にできない。一国の政府が被災者に、全く火を使わなくてもすぐに食べられるパンやお握りなどを、清潔な状態で(つまり袋入りやラップに包んだ状態で)配れるということは、実は並々ならない国力のあらわれなのだが、避難所で毎日毎日パンばかり、お握りだけを配られていると、見ただけで食欲がなくなって来る、と感じるようになっても当然である。
  私は料理が好きなので、残り物の処理はかなりうまいつもりだ。前日の残りのお冷やご飯などがあると、塩鮭の切れ端、なめこの味噌汁の残りなどを使って、おいしい雑炊を作る。我が家は塀の傍でミツバも作っているし、卵を一つ落とせば残り物の雑炊もちょっと豪華な見かけになる。人間は食べたい時に食べたいものを作って食べられる、ということが最高の贅沢なのである。
  私たちは普段得ているものを少しも正当に評価していない場合が多い。
  まず第一に健康で食欲があることのありがたさである。今世間の関心はスリムになるダイエットの話ばかりだが、医師に言わせると、中年以後は、万が一消化器系のガンになる場合も予想して、常に痩せすぎでない適切な体重を保つことも大切なのだそうだ。ガンの手術をすると、通常十キロから十二、三キロは痩せる。十キロ以上痩せても、どうやら「人間をやっていられる」体重を、健康な時から保持していなくてはならない。もともと四十五キロしかない人が三十五キロかそれ以下の体重になったら、ガンが治っても健康を保つのに危険区域に入る。やや高齢者だったら、痩せて皺だらけにもなる。
  健全な食欲に恵まれているということは、健康の基本だろう。そしてさらに、その食欲に合わせて食べたいものを食べられる社会的、経済的余裕を持っていることは、人間としてほとんど最高の贅沢だと考えていいのである。これが私たちが得ているのに気がついていない第二の幸福の証拠である。
  私は子供の時に大東亜戦争を体験した。三百万人が死に、国民は家を焼かれ、国中からあらゆる物資が消えた。ガソリンやボトル入りの水やカップヌードルがスーパーの店頭になくなったなどという物資不足の比ではない。お米も砂糖も油もわずかな量を配給されるだけだ。衣類など、スフ(ステープル・ファイバー=植物性人工繊維)と呼ばれるぺらぺらの生地が、色の趣味もなく割り当てで少し買えるだけである。今私たちが使っているすべてのものがなかったのだ。燃料もないからお風呂もろくろく入れない。お菓子も全く売っていない。そんな状態がいつ終わるという当てもなく続いていたのだ。
  今回の地震では東日本が災害を受けたが、幸いなことに神奈川県と新潟県を結ぶラインから西は無傷で生産能力を保っていたから、援助物資もいつかは送られて来る。戦争中は、日本中が瀕死の状態で、ものは何も作られていない。私たちの世代は、そういう時代を知っているから、今回の地震にもほとんど心理的なショックを受けなかった。いざとなれば何もない暮らしに対処できる気力と知恵を持っている、と感じていたからだ。
  その上に私は、五十歳を過ぎてから、毎年のようにアフリカに行くようになっていた。途上国の中でも、最貧国と言われている国々の、しかも奥地に入って働いている日本人のシスターたちを訪ねていたので、土地の人々の現実の暮らしを、私はよく知っていた。首都の外国人向けのホテルに泊まるだけでは、見られない生活である。
  そうした人々の暮らしは、戦争中の日本人よりも更に貧しかった。多くの国が内戦を経験していたが、もともと電気も水道もない土地なのである。電気はなくてもいいとしても、水道がないのは悲惨な生活である。人々はポリタンクに汲んだ水を数百メートル、時には数キロも歩いて自分の家に運ぶ。一度に持てる水は、せいぜいで二十リットル、つまり二十キロである。炊事とちょっとした生活用水の必要量は一人一日四リットルだから、五人がやっと生きるだけの水である。それだけでは洗濯や体を洗う余裕はない。しかも共用の蛇口からいつでも汲めるというわけではなく、政府の役人が鍵を持って水道を開けに来る時だけしか汲めない。女たちは列を作って、時には険悪な表情で喧嘩しながら順番を待つのだ。
  時々私は雨の日に、家で「ありがたいなあ」と呟く癖があった。昔は家族が「何がありがたいの?」と聞いていたが、今は耳にタコができたらしく、誰も尋ねない。つまり私は、雨の漏らない家にいられることがありがたくて仕方がないのである。
  動物は、ライオンもシマウマも雨に濡れている。しかし人間はそうでないものだ、と私は思い込んでいた。今回の被災者も、地震の当日からどこかの避難所に入って、とにかく雨や雪には濡れなくて済んだ。ありがたいことに、日本の学校や公共の建物は今回の地震でも倒壊していない。しかし二〇〇八年の中国の四川省の大地震では、多くの学校が手抜き工事のために壊れ、児童が犠牲になった。
  アフリカではなんら災害がなくても、人々の中にはまだ動物のように雨に濡れて寝ている人がいる。或る年、私が働いているNGOはマダガスカルの田舎の産院に未熟児用の保育器を送った。町の人々は保育器を盛大に迎えてくれた。司教さまが来て感謝のミサを捧げ、お母さんたちが踊りの輪で喜びを表した。
  産院には一人の、子持ちの未亡人が働いていたが、助産師の日本人のシスターに、あの保育器が入っていたダンボールの箱はどうするのかとしきりに聞くのだという。欲しいならあげますよ、と約束しておいて、シスターはお祭り騒ぎに紛れてすっかりそのことを忘れていた。数日後、催促されて初めてシスターは「箱は何に使うの?」と聞いてみた。すると彼らの住んでいる小屋の屋根は破れていて、雨が降る日には子供が滝の中に寝ているようになる。だからこの厚手のダンボールを拡げて、せめて子供の寝ている上にかけてやりたい、というのが答えだったのだ。
  そうだったのか。雨に濡れないで寝るということは、人間の暮らしとしてまだ一種の贅沢だったのか、と私は悟ったのである。
  僻地で暮らす日本人のシスターたちは、一年中お湯のお風呂などには入れない。第一浴槽がないし、お湯を沸かす設備もない。シャワーなるものは、水のホースの先に缶詰の空き缶に錐で穴を開けた手製のヘッドを取りつけただけ。アフリカという土地を日本人は勘違いしていて、どこも暑い場所だと思っているが、実は季節や高度によっては、寒さに苦しむことも多いのである。そういう土地で水だけのシャワーを浴びるのはかなり辛い。
  日本の生活は、天国に近い、と私は地震の前から言い続けていた。しかしたとえば社民党党首は「日本は格差社会」だと言い続けて来た。日本は格差社会どころではない。どんな貧しい人でも、水道と電気の恩恵にだけは浴している。テレビを見られない人も、お金がないから救急車に乗れない人もいないのだ。どうしてこれが格差社会なのだろう。
  地震をいいと言うのではない。しかし地震で断水や停電を知ったおかげで、日本人は水と電気のありがたみを知った。すばらしい発見だ。昔から私はすべて自分の身に起きてしまったことは、意味があるものとして受容することにしている。そのようにして、願わしいものからも、避けなければならないことからも、私たちは学び自分を育てて行くことが健やかな生き方なのだと思っている。その姿勢を保てれば、今度の震災はむしろ慈愛に富んだ運命の贈り物ということさえできる。

 お子さま風が大繁盛
 ――誰もが苦しみに耐えて、希望に到達する


  私は年を取って来たので、最近は日本の将来を憂う気持ちが次第になくなって来た。努力をしなかった当人が困るより仕方がないではないか、と突き放した見方をするようになったのである。
  よく戦争を語り継がねばならない、などと言う人がいるが、体験というものは、当人さえ年々歳々記憶が薄れる。ましてや他人の体験した恐ろしい話など、初めから別人の意識に移し植えられるものではないのである。うっかり語り部をくり返したりしていると、昔の講釈師のようになる。ここぞと思うところに軽薄な定型の語り口調ができて、聞いている人にはほとんど感動を与えられないどころか、ぞっとするような気分にさせる。
  恐怖にしても悪にしても、それを描写する時には個性と意外性が要るものだ。たとえば自分の生命を奪うかもしれない敵の爆撃機の編隊が翼を銀色に光らせながら堂々と東京の上空に侵入して来る時、一瞬にせよ、「あ、きれい!」と思ったり、消火のための水をバケツで運びながら、自分の好きな歌を歌うのをやめられなくなったりする。語り部の話には、そういう部分が欠落するから私は信じないのである。なぜ欠落するのかと言えば、こと戦争に関する限り、少しでも明るかった、おもしろかった、自分の心の成長にプラスになった、と言えば、それはまず不道徳なことと非難され、次いで嘘だと言われかねないからである。
  最近の日本には、実人生の現実の部分がますます稀薄になって来ている。実人生というものは、必ず雑多な要素を帯びている。昔の人はそれを「楽あれば苦あり」とも言ったのだ。その逆もあって、英語の諺には「すべての雲は輝く内面を持っている」というのがある。悪いばかりじゃないよ、ということだ。
  現実の生活には、「今はこうです」という状態と、「こうあってほしいです」という希望的方面とが、ないまぜになっている。現実の自分はあまり美人とは言いがたい、と不満を持っている人は多分多いだろう。だからこそ美容整形が流行るのだ。女性なら美しくあらねばならない、と思っている人がいるから、希望も目標も生まれる。しかし現在の日本人は次第にこの不足、不満だらけの現実の生活を、政治の貧困だの、成功者や富裕階級だのの横暴のせいだとして許さなくなって来た。
  もう何十年も前に、夫は、亡くなったソニー会長の盛田昭夫さんと知り合いになった。うんと親しいというわけではないが、一つの会合から次の会合へ行く時、たまたまその二つが同じだったので、盛田さんの自動車に乗せてもらうことになった。そして夫は帰って来ると、盛田さんの車の中には、自動車電話が掛ける専用と秘書が受ける専用の少なくとも二本以上あって、会合の席から会合の席へ移動する間が盛田さんの一つの厳しい執務時間なのだと言う。
  夫が言ったのは、つまりあれほど厳しい暮らしをするのだから、お金持ちになって当然だということであった。それに比べて自分は怠け者だから、とてもああいう暮らしはできない。
 「盛田氏はゴルフだって、自動車電話に電波が入る所でしかしないそうだ」
  と夫は言った。当時はまだ自動車電話の電波外区域というのがけっこうあったのである。
  つまり世も羨むような成功に到達した人というのは、もちろん幸運もあるだろうが、私の夫だったら真平というような努力を続け、犠牲を払っているのである。盛田氏ほどの世界的大成功ではなくても、昔は皆、それなりに耐えて自分を伸ばさねばならないと知っていた。耐えることは、人生の一部だったのである。
  誰もが苦しみに耐えて、希望に到達する。努力に耐え、失敗に耐え、屈辱に耐えてこそ、目標に到達できるのだ、と教えられた。誰も苦しみになど耐えたくない。順調に日々を送りたい。しかし人生というものは、決してそうはいかないものなのだ。さらに皮肉なことに、人生で避けたい苦しみの中にこそ、その人間を育てる要素もある。人を創るのは幸福でもあるが、不幸でもあるのだ。
  しかし現代は不幸の価値は認めない。だから苦しみが必要な仕事は避け、努力が要るものは学ばなくなった。少なくとも昔に比べると、プロの比率が減り、アマばかりになった。「昔はいた」という仕事師が、皆無ではないにしても、ぐんと減ったのである。
  日本という国家に未来はあるか、と一部の人はほんとうに心配している。「世界国家」を実現すれば、日本国など開放してもいい、という夢みる大人が日本にもかなりいる。しかし「世界国家」どころか、アメリカとヨーロッパの先進国、そして日本以外の多くの国々は、まだ統一国家としての意識を持つどころか、部族(家門)の抗争に明け暮れている。全アフリカ、全中南米、全中近東、ほとんどのアジアの国々は、まだ国家全体の繁栄を考えるどころか、自分が属する家族一門の利益しか頭にない。
  日本は地下資源もない。国土も広くない。人口の規模もまあまあ中級で目下減りつつある。すると日本が生きて行く道は技術を売り物にするほかはない。言葉を換えて言えば、木工からコンピューターまで、技術が定着していれば日本国と日本人の生きる道はある。石油がなくても、ウラニウムを産しなくても、日本と日本人は世界から必要とされるのである。
  それなのに何年も修業して木工職人になるという地道な生き方を選ぶ若者は多くない。植木屋、大工などという職業が要らなくなる社会はない。いわば安定した職業である。農業もそうだ。しかしそうした地道な職業に就いて、何年が学び続けるという意欲を持つ人は少ないらしい。その人がやめたら代わりの人がいない、という技術を持っていてこそ、或る程度の仕事の安全につながるのである。
  世界の国々の生きる道は三つしかない、と私はかねがね書いている。圧倒的な政治力か、経済力か、それとも技術力である。いずれにせよ力である。力を悪いものと考える人がいるが、それは現実を見ていない人である。喧嘩の強いのも、長い道のりを歩けるのも、自分の命を他人のために投げだすのも、すべて力の結果である。人のために死ねるのは徳の力なのである。
  いずれにせよ、それらの力は一朝一夕に身につくものではない。長い年月そのことに没頭し、寝ても覚めてもそのことを考えているという境地を経ないと、誰もその地点に到達できない。つまりその道のプロになれないのである。プロは食えないということはない。何年も何十年もそのために研鑚を積んで来たのだから、それくらい報われて当然だろう。不景気になっても職を失わずに済む安全を得たかったら、余人を以て換え難い存在になるほかはないのだ。
 しかし今の大たちはそうではない。遊びながらこの世を生きて行こうと考える。
  先日五十代で働いている一人の女性に、職場ではヒマな時に、どんなことを喋っているのです か? と尋ねた。ファッションですか? 旅行のことですか? と言うと、食べ物の話だという。どこへ何を食べに行ったとか、どこそこのおいしいものの「お取り寄せ」をしよう、というような話らしい。確かに食べ物の話なら思想がないから、相手とぶつかることもなくて和やかな空気を保てるのだろう。テレビでも朝から食べ物の話題である。世界中にまともに物を食べていない人間が、恐らく数億人もいるというのに、日本人の関心は征服欲でもなく、金儲けでもなく、性欲でもなく、食欲なのである。これは平和的とも言えるが、原始的生活に戻っているような感じもする。
  確かに今の日本人は、恐ろしく幼児化している。精神も幼稚になりつつある。私は年末の一時期をシンガポールのホテルにいて、日本からのテレビはNHKだけで、あとはインドやマレーシア系のテレビを含めて、イギリスのBBC、アメリカのCNNなど外国で製作された番組を見るほかはなく過ごした。すると否応なく、比べてみるという機能が働くのである。
  その結果明らかな特徴が出てくる。日本のNHK番組は、奇抜な衣装、画面の色の氾濫、着ぐるみの流行、ジェスチャーの多発、女性アナウンサーの甲高い声、可もなく不可もない万人向きの文句のつけようのない平凡なコメント、子供番組でもないのに必ずキャラクターが登場する、などという点において際立っている。
  他国の局はもう少し大人だ。ニュースは、熟達したアナウンサーが一人で事実のみを伝え「早く平和になってほしいですね」式の当たり前すぎる感想を口にする人はいない。こんなコメントは、むしろ人生に対する冒涜だからだ。「早く平和になってくれ」とは、今日買い物や水汲みに行くにも危険が伴い、息子や孫の命が道端で消えることを恐れ続ける母や祖母だけがほんとうに口にできる呟きだということを知っていれば、第三者が軽々に言うのは無礼に当たるのである。
  日本人の多くは、もはや個性を持たなくなった。すべて人の言う通りの型通りの価値観にしがみつき、同じ時間のつぶし方をする。哲学もなく、気概もなく、本を読んで人生を考える努力もしない。与えることは一切考えず、「弱者に優しい世界」を要求する。子供がお菓子や玩具を買ってもらえないと、地団太を踏んで泣き喚くのと同じだ。
  この日本社会の幼児化に、私は少し飽きて逃げ出そうという気になっている。日本のテレビはほとんど見ず、小説もガルシア=マルケスを読むとほっとする。実生活がないと、小説は必ず空想の世界に逃げ込む。それは鉄則なのだ。しかし身近に実生活の厳しさの実感のない暮らしというものも、日本人のおかれた環境が、どこか過保護で歪んでいるところから出て来ているように私には思えるのである。
 
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