100%実話!
自然霊との対話

上丘 哲・著  コスモトゥーワン
2009年刊

 プロローグ ―― 人生の中心テーマは「魂の品格」を高めること

 結婚してみたら「奥様は超霊媒者」だった

  みなさんは『奥様は魔女』というテレビ番組をご存じですか?
  奥様のサマンサが口元をキュッキュッと動かすと魔法がかかる、というこのドラマは、1960年代後半から70年代にかけて放映された人気ドラマで、私の好きな番組の一つでした。その後、映画化されたりテレビのCMにも登場したりしましたし、ドラマは再放送もされたので、ご存じの方も多いでしょう。
  軽いタッチのこのコメディーは毎回、
  「奥様の名前はサマンサ、そして旦那様の名前はダーリン。ごく普通の二人はごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。でも、たった一つ違っていたのは、奥様は魔女だったのです」
  というナレーションで始まります。私と妻ユウコの不思議な結婚生活が、このナレーションのままだったといったら驚かれるでしょうか。
  もっとも私たちの場合は、「奥様の名前はユウコ、そして旦那様の名前は哲(あきら)。ごく普通の二人はごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。でも、たった一つ違っていたのは、奥様は超霊媒者だったのです」ということなのですが……。
  同じ大学へ通う学生だったころ知り合った私とユウコは、ナレーションどおり、ごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。少なくとも私たちはそう思っていたのです。ところが、結婚して間もなく、妻には霊能があること、それもかなり風変わりな霊能の持ち主であるとわかったのです。
  霊能者とは、霊(スピリット)に対して特別な能力をもった人のことです。もう少し堅くいえば、「日常の世界と心霊の世界とを結びつける資質をもった宗教的職能者で、預言者・シャーマン・霊媒など」(広辞苑)ということになります。
  これまで私たちは特定の宗教、宗派に属したことはありませんが、ユウコの能力はこの定義にしたがえば「霊媒」にあたります。しかも、ユウコの身体の中には一般の人よりもはるかに超高感度の、霊に対する送・受信機が備わっているようなのです。
  霊能を使うとき、たいていは意識を集中して目を閉じた状態で霊を呼び込み、その言葉を伝えます。ところがユウコの場合は、特別なことは何もしなくても、目を開けたままで霊を呼び込んでしまいます。その能力のすごさに、ある霊能者から
  「普通は一生懸命精神統一をしないと霊が降りてこないのに、あなたには一瞬で降りてくる」
  といわれたこともあるほどです。
  いまは、妻がこのような霊媒者であることを冷静に理解していますが、当初は戸惑いと不安の真っ直中に放り込まれました。
  大学を卒業後、私はビジネスマンとして働き、ユウコは二度のイギリス留学を経て大学の教員になりましたが、そんな私たち二人にとって霊の世界との交流は、天地がひっくり返るほどの出来事だったのです。
  もし、あなたの妻、あるいは成人した兄弟姉妹が突然、子どものようなしぐさや態度を見せたら、あるいは、まったく別人のように行動し始めたら、どうしますか?
  おそらく、驚き、唖然とするばかりではないでしょうか。

 次々と霊がユウコを訪ねてくる

  ユウコに「普通ではない何か」が起こり始めたころ、精神科へ行って相談すべきかどうか不安で悩む日が続きました。そんなとき、義母の知人の紹介で霊能者・寺坂多枝子氏のもとへ相談に伺うことになったのです。
  寺坂氏とお話ししていると突然“まさよさん”という霊がユウコを訪れました。本人の話によれば、武家に嫁いだが、胸を患い座敷牢のような所に閉じ込められたまま亡くなったといいます。詳しくは本文でお話ししますが、自己の死を認識していて、成仏したいのでお経を上げてほしいと訴えてきました。
  それまでの人生で初めて目の当たりにする場面に、私はただただ驚くばかりでした。
  その後、「お父ちゃんがいない」と言って泣き止まない子どもの霊も来ました。まさよさんにしても子どもの霊にしてもきっと私たちの先祖やその身近な者たちと、過去に何か縁があった霊だったのだと思います。
  いずれにしても、まさよさんの供養が終わると、しばらくユウコに霊は来なくなったのです。これでユウコに起こった“普通でないこと”は解決したと思うと心が軽くなりました。しかし、それは私の早合点だったのです。
  それから間もなく、私は社命を受けてシカゴで研修を受けることになり、ユウコと二人で訪米しました。その滞米中に、今度は、黒い髪のネイティブ・アメリカンの男の霊がユウコに訪れたのです。
  その日の研修を終えて宿舎のアパートに帰った私が目撃したのは、ユウコがナイフで私の背広のベストを突き刺している光景でした。私たちとまったく縁のない霊でもユウコに訪れるという事実を突きつけられて、私の頭は完全に混乱しました。
  帰国後、まったく新しい環境で二人いっしょに過ごすのがいちばんよいと考え、思いきって会社を辞め、イギリスの大学院に二人で留学することにしました。ところが、そこでもユウコに霊が訪れたのです。電気トレインに乗りたがる子どもの霊や、中世のイタリアの学者風の老人の霊が訪れるのを見て、もはやユウコには人種や国に関係なく霊が訪れることを知らされました。
  イギリスから帰国した後は、とくに子どもたちの霊が怒濤のごとく押し寄せてきました。その数は私が記憶しているだけで200柱を超えています。それらの霊には死の自覚がなく、その多くは自分の姓名をはっきりとは言えませんでした。
  ましてやこの世にいたときの様子まで伝えてくれた霊はごく少数ですが、たとえば「イソノタロウ」と名乗った霊は神戸市に住んでいたと言いました。「スドウタロウ」と名乗った霊は戸塚小学校の六年生たったようです。「ツヤマユキハル」と名乗った霊は、父親は造船所で働き、母親は看護婦だったと述べました。
  全体に昭和30年代くらいに亡くなった子どもたちの霊が多いようでしたが、驚いたことには“生まれていない子供たちの霊”いわゆる水子の霊までやってきたのです。そのなかの200年前くらいに亡くなったという霊は、みんな裸なので着物を作る布が欲しいと言ってきました。
  じつは、ユウコに訪れた霊は人間の霊だけではありません。次々と人霊が訪れた後、続けてやってきたのは龍神や狐霊、河童といった自然霊だったのです。そして、最後に訪れた狐霊は、ユウコにすでに22年以上“常駐”しています。

 自然霊『十三丸』との不思議な同居生活

  ある年の夏、それまで交流のあった五郎兵衛さんという高級霊から、小さな狐霊を預けられました。その日が8月13日だったので、私はその狐霊に。“十三丸”と名付けました。それ以来、十三丸は私たち夫婦の子どものような存在として、いっしょに暮らしています。
  狐霊は時に応じていろいろな姿を人に見せるといいますが、ふだんはいわゆる狐のような姿で、まさに俗説のとおりです。ユウコに見える十三丸も、白毛の愛らしい姿です。
  そんな十三丸がユウコの肉体に“同居”しているのです。
  あるいは、ユウコの体内には「霊が存在できる部屋」が二つあって、ユウコ白身と十三丸の二つの霊魂がそれぞれの部屋を使っているといったほうがわかりやすいかもしれません。二つの部屋のどちらのドアが開いているかで、もちろん肉体はユウコですが、人格はユウコであったり十三丸であったりするのです。その変化は一瞬にして起こります。
  十三丸であるときは顔の表情が明るく、少年のような雰囲気になりますが、ユウコに替わると明らかに中年女性の落ち着いた顔つきに戻って、声質も低くなります。ときには、二人がミックスしているように見えることもあります。
  私たち夫婦は、時とともに成長していく十三丸が可愛くて、人間の子どもにそうするように、この世の“物質”を十三丸に与えたりして親ばかぶりを発揮しながら育ててきたように思います。
  私には残念ながら見えないのですが、ユウコによれば、わが家に来たばかりのころは“縫いぐるみ”のように小さかったのが、いまでは幼稚園児くらいの大きさになっています。
  私たちを呼ぶときは、私を「お兄さん」、ユウコを「お姉さん」、そしていっしょに同居しているユウコの母を「おばさん」と呼んでいます。
  他人からに見れば、私からは子どものない普通の夫婦であり、義母も加えた三人家族です。しかし、日常の会話や生活はむしろ十三丸を中心とした四人家族であると心から感じています。

 人生は魂の品格を高めるためにある

  私とユウコが過ごしてきたほぼ30年は、とりわけ十三丸と過ごしてきた22年近くは、まさしく霊の世界に身を置いているような毎日でした。
  ユウコは現在、ある大学の社会学の教授です。プロの霊能者ではありません。霊媒体質で苦しんだ過去を思えば、よく教授になれたなあと私には思えます。
  一方、私自身のこれまでの人生は、大学卒業後に就職した銀行が倒産し、次に入社した老舗の証券会社がこれまた会社を清算するという結果になり、その後作った投資会社も友人の背任行為に合って立ち往生する、という波乱の連続でした。
  『奥様は魔女』のドラマのように「サマンサの魔法でダーリンの人生は順風満帆」というようなストーリーはまったくたどっておりません。
  それでも幸い、私たちがなんとか夫婦としていっしょに生きてくることができたのは、ごく普通に日常生活を営みながら、空気を吸うように霊の世界と関わってきたからだと思っています。
  もちろん、私たち夫婦だけ特殊なのかと思ったこともあります。しかし、霊の世界にふれるほど、じつは誰の人生においても、その世界を理解し、意識し、前向きに関わっていくことが大切なのだという思いを深めてきました。
  とくに霊の世界から見れば、私たち人間の生涯に与えられたもっとも重要なテーマは、“魂の品格を高めることにある”とわかってきたのです。
  十三丸がよくこんなふうに言います。
  「お兄さんが僕を見捨てたら(私が少しでも堕落しそうになったら)、僕はすぐ、おじいさん(五郎兵衛さん 十三丸を指導している高級霊)のところへ帰るからね」
  いつも霊の世界にいる十三丸が私たち人間を見るときに、いちばん注目しているのは、私たちがどれだけ自分の魂の品格を高める生き方をしているかということなのです。
  そのことをみなさんに知っていただくために、私はユウコとともに経験したことを自分たちだけの経験に留めず、本書という形で著すことにしたのです。

ユウコからのメッセージ

 ☆人間は魂を磨くために生まれてきた
  みなさんもご存じのように、ここ十年くらい心霊ブームが続いています。
  でも、それがジャーナリズムのなかで本当に真実を伝えているかといったら、「伝えていないなあ……」と私は感じています。
  たとえば、心霊との関わりは、「浄霊しました。さあ今日からあなたはハッピーライフですよ」とか、「お墓を建て替えたからもう大丈夫」とか、そういう安易なものではないと思うのです。
  何よりスピリチュアルな世界で大事なのは「魂の品格を高める」ということです。それが、最終的に自分や周囲の人々を幸せにする……。ですから、もっともっと魂を磨くような生き方をしなければならない。それが、私たち夫婦の特異な体験を通していちばんお伝えしたいことです。
  夫は、お会いする霊能者の方々から例外なく、「上丘さん、(奥さんではなく)あなたがまず、自分の生き方をよく考えていかなければ、奥さんの魂も磨かれていきませんよ」と言われてきました。
  とくにはじめのころ(霊媒体質である)私のところに次々と訪れた霊のほとんどは、夫のほうの縁によるものでした。その状況を変えるためには、夫が自分自身の魂を磨いていくことが何より必要だったのだと思います。
  最近は、魂を磨くことを浄化という言葉で表現するようですが、それには三通りの意味があります。
・一つ目は「死んだ人間の霊の浄化」です。つまり浄霊です。死後、いまだ現界(幽界)にさまよっている霊を次の修練環境である霊界に送ることです。
・二つ目は「人間の穢したものの浄化」です。川や湖、土地の浄化、そして自然霊の浄化などです。
・三つ目が「この世に生きる人間自らの浄化」。つまり、魂磨きです。これは「魂をより高いレベルにもっていくこと」です。
  これら三つのなかで、とくに関心をもっていただきたいのは三つ目の“魂磨き”です。人間が生まれたもっとも大きな理由は、自分の魂の品格を高めるためだからです。
  そう理解すると、人生におけるさまざまな困難にも真摯に向き合うことができるのではないかと思います。
  私の父のことをお話しします。父は、三歳で両親を亡くし、年の離れた姉に育てられました。家庭に恵まれない幼少期を過ごしたのです。きっとそのことによる苦労も人知れずあったのだろうと思います。そんな父が病床で亡くなる前、十三丸が父に向かってこんなことを語りかけました。
  「おじさん、もうすぐ自由になるよ。今度は50年後に生まれてくるけれど、そのときには肉親に恵まれた家庭に生まれてくるよ」と。
  人は生まれ変わりをくり返しながら、今生では魂のこの部分をキレイにしましょう、次に生まれ変わったときは他の部分をキレイにしましょう、とテーマを与えられて生まれてきます。父もきっと今生でのテーマに取り組んでその生涯をつつがなく終えたので、十三丸はそのように言ったのでしょう。
  そんなふうに、霊の世界におけるルールは、じつはとてもシンプルなものだと思います。


 「浄める」がいま世界的テーマに

  自然霊である十三丸は浄めの活動をしています。それによって、霊的存在である十三丸も人間と同様に魂磨きをして成長しているのです。
  いま私が滞在しているイギリスは「幽霊大国」ともいえます。ロンドン塔やハンプトンコートのような観光名所では、幽霊を観光資源とさえ考えており、「ここがキャサリンの幽霊が出る廊下です」という具合に、当該箇所には案内板が出ているほどです。
  幽霊とは、生前の念がまだこの世に残り、さまよっていて、その存在が人間の五感(視覚や聴覚など)で確認できた霊魂をさすものです。幽霊が出るとわかれば、日本ならばすみやかに供養して鎮魂・成仏を願うところでしょう。
  ところが、「この世はあくまでも人間中心」をモットーにしているイギリス人は、幽霊との共存をものともしません。
  そもそも、イギリス人にというより、彼らの多くが信じているキリスト教そのものに、「霊魂を浄める」、「自然を浄める」というアイディアがなかったようなのです。天使たちが、「浄める」という行為を初めて見て強い関心を示している、と十三丸が教えてくれたこともあります。
  「大和の眷属も世界に目を向けて活躍しなければ」
  というのは、十三丸が「おじいさん」と呼ぶ高級霊の五郎兵衛さんからのメッセージです。
  そしてここ数年、十三丸と私には、「海外の自然や街を浄めるように」という指示が届いています。

 なぜ肉体をもって生まれてきたのか?

  私は、人間本来の姿は魂なのだと思っています。ですから、人生とは、圧倒的に長い“魂生”すなわち、前生、現世、来世と肉体の生死を超えて続く魂の生の途上における、平均わずか80年前後の時間のことなのです。
  あるいは、人生とは、魂だけの存在から変化して、肉体をまとって生きなければならない特別な期間であるとも表現できます。
  「人間はなぜ生まれてきたのか」というこの普遍的な問いに対する答えは、じつは決まっていて、すでにユウコがお話ししたように「魂を浄めるため」、「魂を磨くため」なのです。そのための研磨剤の役割がこの世のお金やモノ(物質)にあると考えられます。したがって、それらとどんな関係をもつかが私たちの人生においてとても重要な意味をもってきます。
  「魂を磨く」というと特殊な行為と思われる方がいるかもしれません。しかし、私たちが日常的に行なうさまざまな行為はすべて、霊の世界への確かな認識さえもてば魂を磨くことにつながっていくのです。
  「地球人にとって魂を磨くことが本来的に生きることの意味なむやけむどね(なんだけどね、の意)。さふ(そう)すれば、魂だけになったとき、すうっと“魂生”を生きられるむよ」 これは十三丸がイギリスにいる私に送ってきたEメールからの抜粋です。
  みなさんも、この本を通して、人生の真実の意味を考えてみませんか? それこそ、私たち“地球人”にとって必要なことだと確信しています。

なわ・ふみひとコメント
 最近の心霊関係の本にはいかがわしいものを見かけますが、この本は自信を持って紹介できます。人生の目的が「魂を磨くこと」であるのはシルバーバーチやホワイト・イーグルなどの高級神霊、および「大本神諭」や「日月神示」の神様も伝えてきています。
 
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