サタンが降りた
桑原啓善・著 でくのぼう出版 1993年刊 

  目隠しを発見した心霊研究

 1848年、唯物主義で破滅に向かう人類を救うために、近代心霊研究が欧米から発生しました。それは実験室で学者が科学的な方法で霊魂の存在を証明しようというものでした。実は、その本当のねらいは「人は神」であることを人類に思い出させて、終末に向かう人類を救うためのものだったのです。
 心霊研究は大事な発見をしました。それは人間の構造を解明したのです。それまで人間は肉体だけだと思っていたのに、そうでない三重の構造になっていることを解明したのです。「人は神」である真実と、目隠しの存在が明らかになったのです。

 人間の三重構造   [TOP]

 心霊研究によると、人間は3つのものから構成されています。
 1.肉体
 2.媒体(@幽体、A霊体、B本体)
 3.霊(神の分身)

 私たちは今まで目に見える肉体だけが人間だと思っていました。とんでもない! 肉体のほかに、肉体に浸透して幽体があります。幽体は肉体とそっくりの形をして、肉体と重なり、肉体に浸透していますが、目には見えません。
 見えなくてもあるのです。なぜかというと、テレビの電波と同じで、空間に電波はあるのに見えません。しかし、チャンネルを合わせるとすぐに映像と声が出てきます。これと同じで、幽体は目に見えない電波(波動)として肉体と重なっていつも存在しているのです。
 同じように、幽体に浸透してもっと波動の細かい霊体が、さらに霊体に浸透して、もっともっと波動の細かい本体が存在します。このように人間の身体は、目に見える肉体のほかに目に見えない三種の身体(媒体と呼びます)があるのです。

 本当に肉体のほかに霊や媒体があるのか   [TOP]

 十数年前から、アメリカのキュプラ・ロス博士の『死の瞬間』の研究以来、全世界にわたり臨死体験の研究が盛んになりました。つまり、事故や病気で心臓が停止し、意識不明になった、いわば死んだ状態になった人についての研究です。
 この死んだと思われる状態のもとで、本人たちは意外に生き生きと意識活動をした記憶を持つのです。この研究は急速に進んで、現在では国際的な研究団体が生まれ、心霊学者・医学者・脳生理学者・文化人類学者などが集まって国際会議を開いています。

 研究によると、臨死体験者はおおむね次のような意識のコースをたどります。
 自分の肉体から抜け出した感じがして、暗いトンネルのような所を通る。パッと光り輝く所に出る。美しいお花畑や田園がある。川があったり柵があったり、輝く門があったりする。その向こうに故人となった親族や友人や、時には輝く神の姿を見る。
 嬉しくなってそこに行こうとすると、その親族が「来るな」と手を振る。神のような人が「来るのはまだ早い」と阻止する。急に肉体に引き戻される感じがする。気がつくともとの肉体の自分になっている。
 これはいったいどういうことでしょうか。単なる夢にしては、臨死体験者はなぜ同じようなコースをたどるのでしょうか。
 臨死体験後は、多くの人の人生観が変わるのです。死を恐れなくなる。死後の世界を信じるようになる。それで人生を生き生きと奉仕などに生きるようになる。臨死体験で、死が生命の終わりでないと知ったこと、死後の世界を垣間見たこと、そのためではないでしょうか。

 以上は臨死体験で息を吹き返した人の体験です。たしかに人は霊で、媒体もあると言えそうです。しかし、死んであちらに行ってしまったわけではないので、本当に死んでも生きているのか、死後の世界は本当にあるのか、まして死後の人間の生活はどんなものか、などについては答えられないのです。
 せっかく人が霊だとわかっても、霊が永遠の生命であることがわからなければ、「人は神」であるとは言えません。肝心かなめのことは臨死体験ではわからないのです。ここから先はどうしても近代心霊研究に聞かねばなりません。心霊研究は私たちに偉大な2つのことをハッキリ教えてくれます。
 1.人は死んでも生きている永遠の生命である。
 2.あの世では人は神のように生きはじめる。

 本当にそうでしょうか。

 人は想念で人生と世界をつくる神   [TOP]

 ここに2冊の本があります。1冊はW・T・ステッド著『ジュリアの音信』。これはジュリアという女性からの霊界通信です。もう1冊はアーサー・フィンドーレ著『人間の生き方』。こちらは、スローンという有名な霊媒がいるだけで、空中から死者の生の声が聞こえてくる、その声を20年間にわたり収録した、あの世からの死者たちの声です。
 この2冊によって、「人は霊」であり永遠の生命であること、「人は神」としてあの世で生きることを検証してみましょう。
 まず、人は死後も生きていること。

 ジュリア「死がこんなにも心地よい眠りからの目覚めとは思いませんでした」「死の時は何の苦痛もなく、何のショックもなく、ただぐっすり眠ったあとで目が覚めるような感じでした。死がこんなにも簡単で自然なものですから、みんな自分が死んだとはほとんど気がつかないのです」。
 
人間の生き方「死は終わりでなく、出発点にすぎません」。

 そうです、死は人間の生き方が神のようにさえなる始まりです。しかし、いくら生きているといっても、煙のようにふわふわした頼りないものでは何にもなりません。

 人間の生き方「私には地上の肉体に生き写しの身体があります。手も足もそっくり同じで、あなた方と同じように動きます」。

 それに世界があるのです。生活があるのです。

 ジュリア「ジーン、きれいなんだよ。私はね、とても素敵な庭がある小さな家に住んでいるんだ。そんなきれいな庭なんてまだ見たことがなかったね」。

 そうです。そこには生活があります。山と川と海と町があり、人々がいて、この世の生活があの世で継続されるのです。ただ、飲食の必要がないので、そのための労働がありません。霊は永遠不滅で増やす必要がないため、セックスのいとなみはありません。それに代わって素敵な生活があるのです。なんと病気もなく、身体の不足不自由はなく、死はなく、永遠の青春があるのです。

 人間の生き方「もう私は足を引きずっていませんよ。そして疲れることもありません」
 
ジュリア「ここには誰も老人に見える人はいません。みんな若いのです。これこそ永遠の青春なんですね」

 なんと、人の姿形がここでは変えられるのです。誰もかれも、青春の花盛り、男盛りの姿に戻ります。そうです。個々では夢がかなうのです。それだけでなく、もしあなたに可能なら、神の神々しい姿にさえなれます。もちろん、その住む世界は神の国、永遠不壊の創造を絶した黄金の世界です。
 それはあなたが作るのです。あなたは神のようにあなたの姿とあなたの住む世界をつくるのです。あなたは世界を自在に創造する神ご自身です。
 ただ、作れる人と作れない人がいます。いや、すべての人が作れるのですが、その人の好みによって作るものが違うだけです。心貧しい人は、うす汚い姿と、陰惨な地獄を作ります。それがその人の好みであり、その人の創造力です。死後の世界では、その人の想念どおりに、自分の姿と自分の世界を作って住むのです。心すなわち想念が創造力です。(中略)
 これは霊の世界だけのことでしょうか。もしそうなら、人生は絵物語にすぎません。死んであの世に行って夢を見ているようなものです。
 しかし、真実があります。私たちはこの世に生きている間も神なのです。自分の想念によって自分の運命と環境を作り出している神なのです。

 因果律がこの世を支配している   [TOP]

 あなたの現在の状態は、あなたが過去において投げたボールが、白いボールであったか黒いボールであったかの結果です。白いボールは「愛と奉仕」であり、黒いボールとは「自己中心主義」です。この世には因果律があり、白いボールを投げると白いボール(幸福)が、黒いボールを投げると黒いボール(不幸)が返ってくると、心霊研究は教えます。これは正確無比で寸分の狂いもないそうです。人が因果律という壁に向かってボールを投げている姿が人生だと教えます。
 人はこうして、人生とは因果律が支配しており、自分の現在は自分が過去に投げたボールの結果だということを知るのです。ですから、現在の自分の状態を変えたかったら、今日あなたが投げるボールを変えればいいのです。あなたはいつも自分の未来を創造する「現在」に立っています。  (中略)
 だから、現世(物質界)においても、人は想念で人生と住む世界を作る神である。ただ、あの世とこの世の相違点は、あの世では思ったことがすぐ実現するが、この世では実現に時間がかかるという点です。
 しかし、現在が自分の過去に投げたボールの結果である点は、あの世でもこの世でも何の違いもありません。また、このことは輪廻転生、つまりいくつもの生まれ変わりの人生の中でも、寸分の狂いもなく実現されています。あなたはあの世でもこの世でも神なのです。想念で世界を創る神と同じ仕事をするからです。
 ただ、一点で天の神とは違っています。天の神は良い想念(愛)で神の国を創るだけですが私たち地上を歩く神は、良い想念で天国をつくることもあれば、悪い想念(エゴイズム)で地獄を作るドジも踏むということです。

 なぜ因果律が働くのか   [TOP]

 世に因果律がなければ、気ままでいいでしょうね。したい放題をして、結果はどこ吹く風でいいのですから。しかし、天地が割れても因果律が消えることはありません。なぜならあなたは神だからです。あなたが因果律を作った張本人、神ご自身だからです。
 もしあなたが他者から百円を奪えば、あなたは百円を失います。逆にあなたが他者に百万円を与えれば、百万円を得ます。なぜか? 他者はあなた自身だからです。つまり、あなたも他者も神の分身です。これが「人は神」ということです。因果律とは、神であるあなたが自分から奪ったり、自分に与えたりしていることなのです。
 この事実に気づき、納得するまで、人は何百回、何千回、何億回でも、試行錯誤をくり返しながら、因果律を復習しなおし、最後に「人は神」を悟る仕掛けになっています。(中略)
 このように「愛」があなたを生かしており、「エゴイズム」があなたを滅ぼしています。ですから、愛を知るためには、「人は神」である事実を知ることが大切です。すなわち「他者は神(自分)」「万物は神(自分)」の真理を悟ることです。

 「人は神」を忘れた地球の大騒ぎ   [TOP]

 地球人が「人は神」を忘れたツケが今きています。異常気象、環境汚染、噴火、人心の凶悪化、奇病。これから先、もっと偽預言者と戦争が加わります。果ては地殻変動、地軸移動にまで及びます。すべて悪想念の末路です。悪想念は「人は肉体」の低位次元から出ています。(中略)
 もう少しと思っていると、大艱難が来ます。その艱難は、私たちの経験したことのないものとなりましょう。それは今までの悪想念による大破壊と、それに加えて、今回宇宙変化に伴う地球の周期変動による地軸移動が、悪想念とからみあって大惨事を引き起こすからです。でも、いま想念と生き方を一挙に切り替えると、地上天国への転換が起こります。それは私たちが思ったこともないなり方による大転位が起こるからです。
 でも、「愛と奉仕など、皆さんからお先にどうぞ」とか、「どうせ艱難が起こるなら仕方がない。どんな大艱難だって皆で一緒に渡れば怖くない」と思っていたら、あなたは地球に置いてきぼりにされます。

 今はその時   [TOP]

 今がどういう時かは、次のシルバー・バーチの言葉で知ってください。

 
現代はみなさんがお気づきのように、地上世界は破滅の危機に瀕している。他方では、地上天国の到来を告げる新秩序の暁鐘も聞こえてくる。しかし、それにはなお多大の苦しみ、災禍、涙がある。しかし結局において、神は皆さんの中に戻ってくるのである。人は誰でも、この新天地の実現に力をそえることができる。人は神の分身であり、神の御業を助けることができるものであるから。

 今が「終末」であるとシルバー・バーチははっきり説いています。「現代は皆さんがお気づきのように、地上世界は破滅の危機に瀕している」そうです。ところが、一向にそれに気づかないノホホンが多いのです。特に日本人はノホホンです。いつまでも明日があると思っているのです。今日ご飯を食べ、仕事をして、適当に楽しみももてた。それなら明日も無限に今日が来ると錯覚しているのです。
 これが欧米人なら、素直に「今は終末」とバーチの教えを受け入れます。なぜか? かれらはエゴイズムの現代を罪と感じているからです。それは旧約聖書にちゃんと書いてあるのです。サタンの蛇にだまされて、人間の始祖アダムとイブは禁断の実を食べ、神に背いた。それから神に背く生活(自分勝手なエゴイズム・ライフスタイル)が始まった。これが原罪です。だから人類の歴史には終末(その罪の裁きの日)がある。今がそれだと納得するのです。これは欧米人だけでなく、同じ旧約聖書を認める中近東のイスラム教徒や、ユダヤ人たちもそうです。
 東や東南のアジア人だけに終末感がうすいのです。特に日本人には終末感が欠落しているのです。なぜかというと、日本人は楽天的で現世肯定主義者です。自然は豊かさに満ち、「お天道さまと米の飯はついてまわる」という感覚があります。

 かりに自分たちの生活が身勝手で狂っていても、本質的にそれすらも悪とは感じないですましてしまう気の安さ、人の好さ、あほらしさがあるのです。
 では、日本人と西欧人のどっちが間違えているのか? ‥‥どっちも間違えて、どっちも合っているのです。使命の違いです。

 
聖書の民と日本人   [TOP]

 西欧人はエゴイズムを罪と認める素直さがあります。それが原罪を終末と知る素直さになるのです。これは西欧人の正しさです。しかし、彼らがエゴイズムの原罪を罪とするのは、その「原罪」観によるものです。原罪とは人間の手で消すことのできない罪です。そこからメシア(救世主)信仰が出てきます。自分の手でなく、神の身代わり人である救世主に頼まねば自分たちの罪は消えない。これは西欧人の大きな間違いです。
 人を救うものは人です。「人は神」ですから。このことを血の中で知っている日本人は、それは西欧人にはない正しさです。しかし、日本人は人がエゴイズムに堕ちて、いま堕落している現実をはっきり感じることができません。人は神であるこの現実の世界が間違っているとは感じられないのです。「人は神」であることを疑えないからです。この日本人の楽天主義は間違いです。

 こうして、地球は今、西欧人も日本人も「人は神」の記憶を取り出さずにいるので、本当に地球は危機です。ただし、この絶対の危機が地上天国をつくり出す条件なのです。

 
地上天国の実現   [TOP]

 ここでもう一度、バーチの言葉を思い出してください。大変重大なことを言っています。

 
他方では、地上天国の到来を告げる新秩序の暁鐘が聞こえてくる。

 何と、今回の終末は地上天国の実現です。地球の破滅ではないのです。こんな終末が今まであったでしょうか。アトランティスは破壊の終末でした。ノアの方舟の時も洪水で地球は覆われ、人類は死にました。どちらも選ばれた少数だけがUFOで救われたり、方舟で助かったりして、地球破壊の後、また第一歩から始めました。
 もし今回の終末がアトランティスと同じなら、百匹の羊の中、迷える九十九匹が大地に沈んで、一匹だけが空中携挙か何かで救われるという段取りになります。バーチはそうではないと断言しているのです。
 今回は地上天国の実現である。地上天国とはわずか1%で作れるものではありません。それならアトランティスの後も、ノアの洪水の後にもそれができたはずです。地上天国とは地球そのものの次元アップ――波動アップ、それとともに地球人類の次元アップ――魂の波動アップです。それは全地球、全人類に起こるのです。
 それだからバーチは「地上天国の到来を告げる新秩序の暁鐘」と言ったのです。
 でも、迷える九十九匹まで、どうやって新しい波動の人類になれるのだろう? イエスが既に霊的に再臨して、サタン改悛をした(人類カルマの根を切った)から、迷える九十九匹も真理に気づきやすくされているのです。
 それならなぜ、彼らはいますぐ気づかないのか? それは、気づきは自分自身で気づくのです。何事にも法があります。その法とは?

 
しかし、そこにはなお多大の苦しみ、災禍、涙がある。

 これが法です。バーチは別の箇所でもこう教えています。「この世では代価を払わないで何一つ手に入れることはできない」と。だから、迷える地球の九十九匹はこれからその代価を払うことになるのです。どんな代価を? これもバーチの言葉で次のようにお伝えします。

 
神のものであるものは、犠牲なしでは、何事も成就しない。人は涙をもって、建設をあがないとらねばならない。大きな物質的不幸が来て、初めて人は霊的なものへ心を向け始める。あらゆる物質的なものが倒れて後、初めて人は一本の藁(わら)を求める。

 
極限の艱難(かんなん)   [TOP]

 それでもなお疑問を持つ方がおいでになるかもしれませんね。イエスが人類のカルマの根を切ったのなら、なぜ苦難をなめねばならないのか? それをしないでいいようにカルマの根を切ったのではないのかと。
 ここではっきり申します。イエスは法を犯すためにカルマの根切りをしたのではありません。もし苦難さえ受ければ、いつでも誰でも目覚めるのなら、アトランティス大陥没の時、全人が目覚めたはずです。あのときはカルマの根切りがなかったのです。まだ、神界計画で地球の次元アップの時に来ていなかったからです。
 今回は違います。バーチの教えるように、地球は地上天国実現の時にきています。それで前もってイエスの根切りが行なわれたのです。それで迷える九十九匹も含めて、全人類が目覚めやすい状態になっています。もし、苦難の法を受けさえすれば。
 では、いったいどれほどの苦難を受けるのでしょうか。
 それは、目覚めに値するだけの量の苦難です。というと? バーチが教えるように、終わりの日に地球人全部が、永遠の生命に目覚めるためには、「大きな物質的不幸」が必要だということです。(中略)
 それはいったいどういうことか? 経済的破たん、飢餓、核の冬、地殻変動、はては地軸移動などが考えられます。
 悪く悪く考えることはよくないことかもしれませんね。しかし、全人類が目覚めるに値する苦難の量をへなければ、めでたい地上天国にならないのが法ですから、この法に目をつぶることはできません。(中略)それは人類極限の苦難です。
 そうして、この極限まで味わうのは迷っている九十九匹の羊です。迷っていない一匹はこれほどの苦難を必要としないので、何らかの形で避けられます。

 今回の終末とは、バーチのいう地上天国の建設です。そのために、まず神々が霊の世界に新地球の原型を作りました。これは神々のお仕事です。次に、全人類が目覚めやすいように、イエスが霊界でサタン改悛をしました。最後が生身の人間の仕事です。大艱難を受ければ、もう目覚めるだけですが、そんな目覚めに必要な極限の苦難を、何人の人が耐えられるでしょうか。あなたは誰にでも耐えさせようとしますか。「どうせ万人が受けるのだから」とうそぶく人は最初に音を上げる人です。それほどの艱難を見て見ぬふりをするのは愛ではありません。

 愛で苦しみを少なくしてあげて、本人の目覚めの手伝いをすることです。人間にできることは、人の目覚めの手伝いです。これが愛です。人類全体の目覚めの手伝いが「サタン改悛」です。
 それをするために地上にいるのだと、シルバー・バーチは一番最初に記したその言葉の中で教えています。

 
人類史は神々とサタン(善と悪)の闘い   [TOP]

 1848年は人類史の中で、サタンと神々が地球をサタンの国にするか神の国にするかの闘争の元年です。その争いのポイントになっているのが「人間は肉体」か「人間は霊」かということで、ここが天下分け目の関ヶ原です。
 「人間は肉体」なら、人間の生き方はエゴイズムになって、必ず闘争の世になり、末は地球と人類の破壊という終末に至ります。これこそサタンの最も望むところで、神に対するサタンの勝利です。すなわちサタンが支配する破壊された地球、サタン代理人が支配する動物王国になります。
 これに対抗するには「人間は霊」であることを、人間自身が根元のところで知ることです。人が霊であり、80年ほどで滅びる生命ではなく、永遠の生命体ということです。人は肉体と霊を持っているが、不滅の霊が本当の自分で、肉体はやがて消えるもの、つまり「霊肉二元」であるが「霊主肉従の一元」が人間の本当の姿です。
 それならば、肉体がなくなる80年の間にあくせくと幸福をむさぼらなくてもよいわけです。つまり、消える物質より不滅の霊(その働きとしての心)の方がもっと大切だということがわかるから、もっと長い目で人生を見て生きることができ、「愛と奉仕」の生き方が本当の幸福だということが自然にわかってきます。

 
個人も人類も善悪闘争で進化   [TOP]

 このように私たちは1848年以来、神々とサタンとの闘いの衝撃的な時代に生きています。しかし、神々とサタンとの闘いは、なにも1848年から始まったわけではありません。地球の人類史の始まりから、神々とサタンとの闘いが行なわれて、ついに最後の決戦の日が1848年から始まったというわけです。
 実は、人間というものは誰しも善と悪との闘いを通じて、初めてその魂が進化します。これは法則です。ですから、人類史は善と悪との闘いという形で進化します。
 人の心の中には常に善と悪との闘いがあると言ったのはゲーテです。人は一度や二度は悪の誘惑に負けて罪を犯し、失敗をし、苦い思いをしながらそこから立ち上がり、一段レベルアップした人生に入ります。
 ゲーテはこのことを、「涙を流してパンを食べたことのない人には、本当の人生はわからない」と言っています。
 ゲーテは今から200年近く前のドイツの文豪です。文豪というより世界最高の文人の一人とされています。その最高傑作は『ファウスト』です。『ファウスト』は世界最高の文学作品の一つとされています。なぜかというと、この中に人間の本質が見事に描かれているからです。人が善と悪の闘いを通して進化していく歩みが見事に結晶されているのです。
 第一部と第二部に分かれていますが、第一部のあらすじはこうです。
 ファウストというのは16世紀に実在した人物で、この人がモデルです。ファウストはこの世のあらゆる学問をマスターしましたが、それでも満ち足りないものがありました。そこで学問の及ばない天地の神秘が知りたくなったのです。
 そこへメフィスト(サタン)が現れて誘惑します。「私がそれを発見させてあげよう」「私があなたの奴隷となって、あなたの望むことをすべて叶えてあげるから、そうすればその秘密が手に入る」と。
 それからメフィストは天に昇り、神に言います。「ファウストを誘惑してよろしいか」。神はそれを許します。なぜ許したかというと、神はご存知だったのです。「人が努力して真剣に生きようとすれば迷いにおちる。しかし、末は必ず善を知って正しい道に向かう」ということを。
 しかし、メフィストにとってはこれは神への挑戦だったのです。必ずファウストを籠絡して、自分の奴隷にし、神に勝ってみせると。
 それからメフィストはファウストの所に戻って来て賭けをします。「私はあなたの奴隷になって、この世の喜びをすべて味あわせてあげる。しかし、あなたが瞬間に向かって、『それはあまりにも美しい、しばし止まれ』と言ったら、あなたの魂を私にくださいと。
 この世の享楽にファウストが溺れて、それが幸福だと信じたら、その時メフィストは神に対して勝利する、つまりサタンの人間支配の完成だということです。
 それからファウストはメフィストの術で若返らされます。青春のまっただ中に立ったファウストは純潔無垢の少女マルガレートと恋に落ちます。いろいろなからみやいきさつがあって、その恋ゆえにマルガレートは母と兄を死に至らせ、自分の子供を自分の手で殺す羽目に陥ります。狂気となったマルガレートは獄に入れられ死を待ちます。
 元はと言えば自分の恋のなせる業と思ったファウストは忍んで牢獄に至り、マルガレートを救おうとします。マルガレートはそれを拒否します。自分の罪によりむしろ死を選んだのです。そうしてマルガレートは死にます。そのときメフィストは「裁かれた(俺の勝ちだ)」と叫びます。しかし、天より声があって「救われた!」と響きます。
 マルガレートは人間の目で見れば悲劇の中で死んだわけです。しかし、神の目からご覧になれば、その魂は救われ、天に入ったのです。魂こそが人間自身であり、失敗や苦を通して洗われ、浄化されたのです。メフィストの勝ちはここではお預けです。
 第二部は、前非を悔いたファウストが、今度は現実の社会で自分にやれる仕事を通じて何か貢献したいと歩き始めます。ここからもいろいろ波乱があって、人生は一筋縄でいきません。神へのメフィストの挑戦は続くのですが、最後はやはり神の勝利です。つまり、人間はサタンの誘惑で罪を犯し、苦しみ、苦しみから善を発見し、魂をレベルアップさせる。これが生命の方程式として厳然と宇宙にあるということです。

 
神典は教えの書、預言の書   [TOP]

 古来の神典には、この生命の方程式が書かれ、人類が目覚めるようにされています。また方程式どおりに人類が歩いていくとき、結果はどうなるかが具体的に預言されています。だから聖典なのです。
 たとえば、一番古いゾロアスター教の『アベスタ』には、この世は善の神(アフラ・マズダ)と悪神(アーリマン)の戦いだと記されています。また、それに味方する善人と悪人との戦いでもあると書かれています。やがて終末が来て最後の審判が行なわれ、悪は一切滅ぼされて消えてなくなり、善人ばかりの地上天国が来るとなっています。
 次に、ユダヤの『旧約聖書』では(これはユダヤ教だけでなくキリスト教、イスラム教の聖典でもありますから、人類の3分の2以上が信奉しているわけです)、ここにもまったく同じ筋書きが記されています。
 ご存知のように、人類の祖アダムとイブは、サタンに誘惑されて禁断の木の実を食べ、神に背いた罪によってエデンの園から地上に追放され、苦しい生活が始まります。つまり、サタンの誘惑で罪人となった人類は、それから神に背いた悪の生き方(エゴイズムの道)をとることになったというわけです。ですから、その罪により終末が必ず来ます。それで審判が行なわれるわけです。
『旧約聖書』の中の『イザヤ書』には、神の裁きによる大艱難があり、善人のみが残り、神との饗宴(地上天国)に入るとなっています。また同じ『旧約聖書』の『ダニエル書』(これは『旧約聖書』の中でも最高の預言の書とも言われます)には、終末の様子が預言で示されています。
 “終わりの日”は7年間であること。この時、人類の最終戦争が行なわれ、天変地異もあって、これまでにない大艱難が降りかかると。この一番苦しい日は1290日(3年半)の間続くと。しかし、ミカエル(救世主)の力も加わり、苦しみによる人々の目覚めが起こる。
 「多く者が塵の中の眠りから目覚める。目覚めた人々は大空の光のように輝き」「多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く」と。
 つまり、「堕罪→大艱難→目覚め→地上天国」という生命方程式が預言となって記されています。ダニエルの地上天国は今までの地球と違う異質の(天空の光のように輝き、とこしえの星と輝く人ばかりの)次元アップした地球であることが特徴です。
 しかし、これはこれまでにない1290日の艱難によってそうなるのですから、預言を伝えた神人は「ダニエルよ、終わりの日が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう」と釘をさしています。

 しかし、『新約聖書』の中の一つ『ヨハネの黙示録』では、この終末に的をしぼって極めて克明にその状況を預言で記しています。これは刑死して復活したイエス・キリストが、聖ヨハネの口を通して人類へ伝えた終末の展開図です。
 始祖アダムとイブの堕罪で罪人となった人類の上には、当然のこととしてエゴイズムの総決算が来ます。これまでになく激しく、死者をうらやましく思うほどの罪が次々と来ます。天災地変、戦争、悪疫、火の雨、得体の知れぬものの侵入。その度に多く人が死にます。それに獣(サタンの代理人――反キリスト)が出現して、人々の右手か額に666の獣印を押し、この印のない者は売買も生活もできなくして世界を支配します。
 そこへ子羊(メシヤ)が出現します。そうして善悪の最後の決戦「ハルマゲドンの戦い」です。最後は獣は敗れ、子羊の勝利です。3分の2の人が死に、残った善人たちによる地上天国が来ます。
 この通りに展開するのだとヨハネは警告しました。この通りに進むと信じ込んでいる聖書の民の人々がいます。現実を見ているとそうなりそうな予感もします。必ずそうなる。闇の時代、それから光の時代へ。これがすべての聖典の一致して記すところです。それなら地上天国が来る前に、私たちは悪こくの一時(大艱難)を覚悟せねばなりません。

 日本の神典『古事記』にもまったく同じコースが記されています。ただ、ユダヤの聖典が終末の破壊にポイントを絞ったのに対し、『古事記』は終末の夜明けに焦点を当てています。つまり、地上天国の作り方を伝えたのが『古事記』です。

 たしかに『古事記』は天皇が神の系譜にあること、日本人が天孫族であること、日本の国土が世界の中心であることを伝えています。このことは終末が進むと、ベールを剥がすように人の目に見えてくることです。
 そのことよりも、『古事記』は終末を予言した世界に類のない預言の書です。
 『ダニエル書』も『ヨハネ黙示録』も物質界の終末のことを預言したものです。これに対して『古事記』は神界の終末を記録したものです。ご承知のように、神界に起こったことが、やがて霊界・幽界をへて地上界に出現します。つまり神界の出来事は地上界の原図です。だから、神界の終末を記録した『古事記』は、間もなく地上界に起こる終末の写し絵です。しかも、終末の夜明けの部分が書いてあるのですから、『古事記』は地上天国の作り方を教えた預言です。
 『古事記』の「神代の巻」は神界の出来事です。その中に「天の岩戸開き」の一節があります。イザナギとイザナミ二神の子、姉・天照大神(太陽主宰神)に対して、弟・スサノオの命(地球主宰神)が乱暴狼藉を働きます。これは神界での善悪の戦いです。(もっとも神界の善悪は地上のものと次元が違います。比喩で地上的な形でとにかく神界に善悪の戦いがあったことを記しています)
 その結果、天照大神は岩戸に隠れ、天地は真っ暗になります。そこで神々が集まって会議を開き、天の岩戸開きをすることになります。ただ、『古事記』では闇の最後の時代の艱難には触れません。それは古い地球の幕降ろし役であるユダヤ人の聖典に委ねます。新地球の幕開け役である日本人の『古事記』は幕の開け方にポイントを当てます。
 これからが天の岩戸開きです。岩戸の前に神々が集まり、アメノウズメノ命がおもしろおかしく踊ります。われを忘れたので、胸乳を出し、裳の紐がとけるのも気づきませんでした。これは神懸かりした舞いです。それで神々が大爆笑したので、天照大神が何事かと岩戸を少し開けたところ、すかさず手力男の命が岩戸を開いて大神を導き出し、ここに岩戸開けて天地は光明さんぜんたる世界になりました。


 地球変動は必ず起こる   [TOP]

 今回の終末は、単に人類が心得違いをしたから、その罪で破壊が起こる、それだけのものではありません。宇宙周期の変動の中での、地球の周期的変化です。ですから、人間の罪のあるなしにかかわらず、地球大変動(地軸移動や地殻変動)は起こるのです。
 ただし、人間の生き方が愛と奉仕で、新しい地球の波動に調和すれば、人畜被害なしで移行するのです。つまり、新生地球の波動レベルまで人間の生き方をアップさせるための強引な洗濯現象にそれがなるのです。ですから、今回終末の大変動は必ず起こります。それが災厄となるか無事であるかは人間次第です。

 全人の、全カルマ解消   [TOP]

 なぜ地球の周期的変化が起こるのか? それは宇宙周期大変動の一環として起こるのです。宇宙はいわば輪廻転生をして進化しています。その1つの転生は7つの周期に分かれています。今は第7周期です。その1つの宇宙周期を地球は7つの周期に分けてたどります。(中略)
 地球はここで新しい地球へ次元アップします。波動が高次元化するから、山も川も水も草も空気までも光り輝くようになります。人間の肉体も魂もここで次元アップし美しいものに変わります。だから、古い垢を出し切って洗濯して、つまり大浄化が今回の終末です。
 ですから、全人の全カルマ解消が今回の終末で行なわれます。全人の全カルマ解消とは大変なことです。今までもっていた自分のカルマが、ここでキレイサッパリだいたいゼロになるということです。例外は一人もないということです。そうでないと、次元アップしたキレイな地球に住めないからです。誰一人逃れられません。徹底してカルマ解消が断行されます。

 カルマ解消は法(因果の法)によって行なわれます。つまり、人間が罪を犯す(エゴイズムの生き方をする)と、それは天地の法と不調和を起こすから、その不調和が現実生活の苦難(病気・争い・災厄など)となって現れ、その苦を越えようと悩み、さいわいに自分の過ち(エゴイズム)に気づいて、そこで愛と奉仕の生き方で対処すれば、その原因が消えるから苦難は消えます。
 このとき反省や生き方転換をせずに逃げれば、それがカルマ(業=ごう)となってつきまとい、死んでまた生まれ変わってくれば、そのカルマから苦難が生じます。逃げればカルマは雪だるまのように大きくなってつきまとい、本人が反省して愛と奉仕で対処するまで決して消えません。
 ですから、今回の終末が全人の全カルマ解消だということは、すべての人が持っている過去の全カルマを、ここで苦難の形で吐き出して、七転八倒の苦しみで反省して消すということです。ですから今回の終末は大艱難なのです。

 中には「赤信号も皆で渡れば恐くない」と思う人もいるかもしれません。しかし、全人の全カルマ解消ということは、各人がもっているカルマを各人が自分で消すということですから、ボヤボヤ怠けている人ほどカルマは大きいから、終わりの日のそのカルマを消す苦難は大きいのです。
 「死ねばいいんだろう」と言う人もいるかもしれません。死んでも魂は生きているのです。今回の終末は霊の世界も大洗濯です。地獄が消されるのです。ですから、カルマが大きい罪ある霊ほど苦しみます。次元アップした地球のすさまじい光で照射され、暗い魂はまるで太陽で直に照射されたように焼かれます。これが浄化です。
 今回の終末は、誰一人逃れられず、誰一人もえこひいきを受けません。「全人救済」ですから、全人が地上でも霊界でも逃げる所はありません。もし例外的にどうしても浄化されない魂があったら、地球よりも次元の低い半永久の地獄的惑星に移されるでしょう。ほんの一握りが魂ごと消されるでしょう。

 神は鬼か、邪か   [TOP]

 いくら次元アップとはいえ、魂の浄化とはいえ、地球の周期変動のために人間をこれほど苦しめるとは、あまりではありませんか。神とは鬼か邪か?
 いいえ、神は愛です。それというのは、神は私たち人類をその始めから、愛の法をもって導いてこられました。つまり、因果の法は愛なのです。この因果の法の中で生活するように私たちの人生は織り込まれています。
 私たちが人間本来の愛の生き方に反してエゴイズムで生きるとき、不調和を起こし、それがカルマとなり、カルマが苦難となって生活に現れ、「生き方が間違っていますよ」という信号となり、この信号で気づいて本来の愛の生き方になるとき、苦難は消えます。こうして、人は因果の法によって一段一段と本来の自分である神の姿を現していく、そういうふうになっているのです。

 このように、神は愛ではないですか。それだけでなく、神はまだ手を打っておられます。人は死ぬと死の関門で、全人生を走馬燈のように映像や音声で見ます。そうして、「世のため、人のため」にしたことだけが評価され、「自分のため」にしたことはどんな大事業も何の価値もないことを知ります。こうして、死ぬたびに、何百何千の再生のたびに、この教訓を学ばされるのです。(中略)
 でも、人間は可哀想なのです。サタン(邪神)に狙われているのです。

 人は「神憑依」か「サタン憑依」かの二者択一   [TOP]

 霊のことを知らなければ、人生は何一つわかりません。人は独りではありません。私たちのまわりには死者の霊、神々、サタンの眷族の霊などがウヨウヨしています。私たちはたえずこれらの影響を受けながら暮らしています。宮沢賢治はたいへん偉い方で、私たちがスピリチュアリズムで学んだことを、いとも簡単に直覚でこう言っています。

 私という現象は
 ‥‥‥‥‥‥
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)


 それでも、私たちはまわりの霊の操り人形ではありません。自分の中に選択スイッチを持っています。これはスピリチュアリズムを学んだ人ならすぐ分かります。
 私たちがもし愛(親切や思いやり)を持つなら、すぐ守護霊に通じ、それはその上の守護霊、さらにその上の守護霊の連鎖を通って神に直結します。そうして神のエネルギー、光、波動を受けて、愛の思いを深めます。
 反対に、エゴ(悪意や欲など自己中心の思い)を持つと、すぐ周りの低級霊に通じ、それはその裏の邪霊の連鎖を通ってサタン(邪神)に直結します。そうしてそのササヤキを受けてエゴの思いを深めます。
 なぜこれを憑依と呼ぶかというと、私たちは守護霊なり邪霊のささやきを受けると、それを自分の意志、感情、思想と思ってしまいます。そうしてこれ(自分の心)を絶対正しいと思いこむのです。だから憑依です。つまり、神かサタンかのどちらかの袋に入って外が見えなくなるのです。だから、愛かエゴか、つまり魂の清らかさいかんは大事な選択スイッチなのです。
 サタンはそのことをしっているから、人類を誘惑します。

 蛇の誘惑   [TOP]

 このことは旧約聖書にうまく描かれています。エデンの園で、イブのところに蛇(サタン)が来て誘惑します。「神のように賢くなる」禁断の実を食べよと。イブとアダムはそれを食べて神に背きます。これがサタンの人類憑依の始めです。
 欲があるとサタンの誘惑にひっかかるのです。

 知恵の実を食べたアダムとイブはどうなったでしょう。すぐにイチジクの葉で前を隠しました。これは「人は他者」に見えたのです。それまで、アダムとイブは「私はあなた、あなたは私」だったのですが。このように「差別する心」が知恵の特色です。ですから、「神も他者」となります。
 つまり人類はこうして『人は神』(あなたは私、私はあなた、万物はもう一人の自分)を喪失したのです。
 さらに、物と心は別々に見えるようになったから、物のほうを選びました。そのほうが手っ取り早く地上天国ができると思えたからです。このように「計算上手」がもう一つの知恵の特色です。この計算で、心や神より物のほうを先に選ぶので唯物主義になります。同じく、人より先に自分を選ぶので自己中心になります。この唯物主義と自己中心、つまり、エゴイズム(利己主義)が知恵文明・サタン文明の特色です。

 世界の文明はサタン文明   [TOP]

 ごらんなさい。それからというものサタン憑依が進んで、地球の全文明はサタン文明になってしまいました。その証拠に、「自己中心が幸福の道」と地球人は思いこんでいるではありませんか。これはサタンのエゴイズムです。それが学問・宗教にも行き渡っているではありませんか。これは魂を浄めて「神憑依」になるハート文明とは逆の、魂はそっちのけの差別と計算で、人間の浅知恵で割り出したエゴイズム、つまり「サタン憑依」になる知恵文明の生き方です。
 その証拠に、学問の代表である科学は、戦争と金儲けと享楽の奴隷です。つまり、人殺しのための武器づくりと、便利で豊かな物を大量生産して金を儲け、大量消費して享楽に明け暮れるための手段です。
 また、宗教は現世利益の太鼓もちだし、人や地球はそっちに置いて自分の進歩や能力発揮をせっせと教える自己中心主義だし。また神を教団の中に閉じこめて、ここの神こそ効能があり効験があると、教団の人集め、金集めの道具ではありませんか。
 だから宮沢賢治は言いました。

 宗教は疲れて近代科学に置換され、科学は冷たく暗い。

 何とサタン文明ズバリではありませんか。
 芸術はいくらかマシだが、やはり大方は金儲けと名声の手段になり下がっています。
 政治・経済に至ってはひどいものです。資本主義や社会主義の名で、神のものである土地も海も人間が横取りし、自由経済の名でエゴを野放しにしています。また、民主主義という麗々しい名を使って、自由平等とは、親も子供も、教師も生徒も、男も女も横一列に並べ、強い者(知恵と金と暴力のある者)が勝手に振る舞ってよいというやり方ではありませんか。
 どこに魂を大切にする(愛と奉仕で神につながる)生き方がありますか。これはエゴイズム文明、知恵文明、サタン文明です。これなら滅びます。エゴイズムは不幸と破壊の原理ですから。終末とはエゴイズムの清算です。サタン文明を一挙に破壊する大浄化です。いいえ、これこそがサタンが仕組んだ地球破壊の陰謀です。

 サタンはもっと凄い   [TOP]

 地球破壊だけがサタンの狙いではありません。壊す楽しみのほかに、人類を自分の支配下におき、永久に地球ごと支配しようと企んでいます。これでこそ神に対する勝利です。 それで1996年頃から現実に支配の手が打たれます。その証拠は、その謀略の意図がアメリカの1ドル紙幣に刻印されています。あの裏面には合衆国の国璽(国の表象の印)が印刷されています。ピラミッドの形をしていますが、冠石にあたる上部の三角形が少し離れていて、未完成のピラミッドです。これはフリーメーソンの神の象徴だそうです。
 そうして、この冠石に気味の悪い一つ目が印されています。これはフリーメーソンの「すべてを見通す目」と言われています。フリーメーソンは得体のしれぬ秘密結社ですが、アメリカ合衆国はフリーメーソンが作った国とも言われます。初代大統領ワシントン、独立宣言書の起草者ジェファーソンは共にフリーメーソンでした。
 フリーメーソンの目は、イブをだました蛇の目です。それは神と同じくらい「すべてを見通す目」です。(中略)

 ピラミッドの冠石に光る目は、愛を欠いた蛇の知恵の目です。フリーメーソンはこの目で何をしようというのでしょう。冠石の上にラテン語でこう書いてあります。「神は約束を果たす」と。約束とは何の?
 神はユダヤ人に約束しました。選民であるユダヤの民に地上天国をもたらすと。また、世界はユダヤ人によって平和を得るのであると。これは選民支配によるユダヤ選民のための地上天国ではありませんか。差別とエゴイズムのサタン式地上天国です。まさにフリーメーソンの知恵の目が狙っているのは、このようにして作られる世界政府です。
 その証拠に、あのシオンの議定書(サタンの代理者の世界支配の計画書ともいわれる)どおりに世界は進められてきました。この地球の裏側に大きな知恵の目があって、すべてを見通すように事が運ばれてきました。
 人間の動物化がいろいろな方法で着々と進みました。酒と享楽とセックスが自由と幸福の名でふんだんに与えられ、人々はそれなしでは生きられなくなりました。テレビなど映像文化が進められ、子供たちは思考する脳細胞を失いました。科学の名で、人間は動物であること、神はないことが教え込まれ、それが人類の信仰になりました。
 自由・平等の美名でエゴイズムと強い者が威張って支配してよい社会が作られました。こうしてすべては、人間から高尚な魂を奪い取り、人間は動物であることを信じ込まされ、酒と享楽とセックスという宝を買う大事なものとしてのお金なしでは生きられない動物としました。

 地球の次元アップの時に起こること   [TOP]

 今、地球人のライフスタイル(生き方)は「自己中心主義」です。すなわち、幸福になるにはまず自分のことを考え、自分のためにはどうしたらよいかと努力をすること。これが幸福になる方法だと思っています。また、一人一人が幸福になったら、その集まりで世界は平和になると信じています。これが自己中心主義です。つまり、自分を先にし他人や地球を後にするやり方です。これは間違いです。
 これは唯物主義だとそうなります。つまり物やお金があれば幸福になる、心のことよりも肉体の快楽のほうが先だ、この世には物質しかない、肉体しかないと思っていれば、必ずそうなります。
 その反対に、人を先にして自分を後にする、地球のことを考えて後で自分のことを考える、これが「愛と奉仕」です。

 今、地球は急激な変化をしつつあります。気象異変、環境破壊と生物の種の絶滅、エイズその他の不可解な病気の流行、人心の急激な悪化等々。これは一時的な、人為的な、また歴史の変わり目の変化ではありません。
 これは地球そのものの変革です。私に言わせると30億年目に訪れた地球の変化です。つまり宇宙規模の地球変化です。ですから、かならず起こります。いわゆる大異常変化があります。
 それから、この地球変化は地球の次元アップなのです。つまり、地球が三次元的な現在の物質地球から、四次元レベルの物質地球への変革なのです。四次元というとわかりにくいのですが、物質組成の粒子がより精妙な波動の粒子に変化することによって、物質全体がレベルアップして光り輝く状態になることです。
 ですから、海も大地も空気も光り始め、私たちの肉体そのものも霊体のように光を発します。これが地上天国です。このように次元のワンランクアップの変化が起こるのが、このたびの終末です。だから大浄化というのです。
 ここで銘記すべきは、地軸の移動が起こり、地殻変動があるということです。地球がレベルアップするということは、地球全体の波動が変わるということです。それは北極と南極を貫く自転軸の位置が変わるということです。だから、大気象異変が起こります。それに伴う飢餓の怖れもあります。また地軸が移転することに伴って、土地の陥没や隆起があります。つまり、古い汚染された陸地が沈み、代わって海水で浄化された新しい陸地が隆起します。だから、地震や洪水がありましょう。これが今回の次元アップということです。

 大事なことに気づくことが必要   [TOP]

 それなら大変ではないか。しかし、人畜に被害なしに、大浄化をして地上天国に入ることが可能なのです。逆に、大浄化に失敗して地球が壊滅するとか、浄化したが惨たんたる被害を受けたということもあるのです。このどちらの道をとるかは、すべて人間の考え方にかかっています。
 人間が大事な一つのことに気づけば何でもないことなのです。
 地球の波動が変わると言いましたが、地球は大地(物質)の塊のようですが、地球自身が波動なのです。現代物理学でも「物質は波動」と言っていますから、誰にも分かることでしょう。この地球が、今までの三次元波動から四次元波動に変わるのです。私たちの肉体(物質)組成も四次元波動に変わります。それで調和がとれるわけです。
 さて、現代の私たちが知らない大事な一つのこととは、私たちの想念も波動であるということです。宮沢賢治のような先覚者は、「物質といい思想といいエネルギーならざらんや」といって、想念がエネルギー(波動)であることを直観していました。
 さて、私たちの想念は波動です。そうして私たちが気づくべき大事な一つのこととは、地球はこの私たちの想念波動を引きつけるということです。もっと正確に言うと、鉱物質(大地や水)は想念の受信器であり発信器なのです。つまり、私たちの発信した想念はそっくり地球に受信されて、そこに滞留しています。そして、そこからさらに発信されています。
 ですから、今まで私たちが発信してきた「自己中心」の生き方が地球にうずたかく滞留しているということです。敏感な人が見たら地球を取り巻くエゴイズムの暗い想念の層を感知できるでしょう。私たちはスモッグのようなエゴイズムの層の中で暮らしているわけです。
 これでは地球は生まれ変われません。人間のつくった想念の層が足かせとなって地球の新生を阻止しています。だから地球はどうしてもこの想念の袋を破って誕生しなくてはならないのです。
 誕生は間近です。この誕生は宇宙的周期の中で決まっています。それならこの誕生は難産です。ここに人間の大事な気づきの一つがあるのです。
 私たちが自己中心主義の三次元的な生き方をさらりと捨てて、四次元的な愛と奉仕の生き方に変わるなら、地球を取り巻く想念の層がみるみる清らかなものに変わるため、地球の新生は安らかなものになります。
 つまり、地軸移動や地殻変動があっても、調和あるあり方をとるのです。避難できる時間と場所が用意されつつ、また必要なインスピレーションがアイデアとして現れ、人々は愛と奉仕で協同しつつ、事は整然と運びます。
 噴火・地震も人畜被害のない場所で起こります。これが理想的な大浄化です。

 もしこの気づきが地球人に起こらなければ、難産になります。地軸移動と地殻変動の時に、地球を取り巻くエゴイズムの想念波動の殻をぶち破るために、余計な破壊を伴います。
 つまり、悪気を吐き出すための噴火・地震、汚れた大地を海に突き落とす異常陥没、新生地球との想念波動の違いからくる大気象異変、そのための洪水と飢餓、悪気が生み出す疫病や精神異常や凶悪な犯罪、そして最も恐るべきは第三次世界大戦、これは核の冬を生み、場合によっては地球ごと壊滅します。このようにして滅びた惑星を、私たちはこの銀河系宇宙の中にいくつか持っています。
 これらはすべて私たち地球人の無知から起こります。すなわち、地球がいま次元アップの周期に来ていること、地球そのものが波動であること、それを取り巻く人間の想念の層があること、そして異常破壊は地球と想念の波動との不調和から起こるということを知らないために起こるのです。これが分かれば、近未来に私たちがどんな大浄化をとげるか、自分で決定できるでしょう。

 14万4000人が次元アップをリードする   [TOP]

 あなたが決断されたので、地球が変わります。あなたの全人生が新しく生まれるだけでなく、地球が新しく生まれます。何事も一人からしか始まりません。神の分身である一人が決断することは偉大なことです。地球がそこから変わります。
 でも、一人では地球は変わりません。全人が「愛と奉仕」のライフスタイルに変わったとき、地球を囲む暗い想念の層が四次元の想念の層に変わり、その時、サタンが抵抗できなくなって改悛し、それで地球が次元アップするのです。
 ですから、宇宙の事は一人から始まりますが、一人では変えられません。最初に気づいたあなたは、あなたの気づきを全人に伝えなければなりません。その時地球が変わるのです。(中略)
 あなたが決死の気持ちになれば、打てば響くように目覚めることになっている14万4000人が地球にばらまかれています。これらの人は終末に目覚めて次元アップの仕事をするように使命を受け、自分でもそう決意をして生まれてきている人々です。残念ですけど、深い暗い地球を囲むエゴイズムの想念波動の層のために眠りに入ったままです。目覚めさす方法は、先に気づいた人がカツを入れることです。彼らは決意をした人々なので、その決意を不意に思い出します。そうして、これら14万4000人は尖兵として誰よりも大きな力が出せるように準備された器の人々です。気づきは彼らから莫大な光が放射されます。この光の放射で全地球が目覚めるのです。

● 著者略歴 

 桑原啓善(くわはら・ひろよし)
 心霊研究家。詩人。不可知論者であった学生時代、心霊研究の迷信を打破しようとして心霊研究に入り、逆にその正しさを知りスピリチュアリストとなる。現在、ニューエージ団体「生命の樹」を主宰。月刊誌『生命の樹』を発行。でくのぼう革命を主唱して活動している。著書『心霊入門』『神の発見』『今ハルマゲドン』『でくのぼう革命』『終末について』『地球よ愛の星に変われ』訳書『シルバーバーチ霊言集』『ホワイトイーグル霊言集』『霊の書』その他多数。
(2013年7月に他界されました――なわ・ふみひと註)
 
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