死後の世界と魂の成長

ジョージ・W・ミーク著 宗教心理出版 1983年刊
★ なわ・ふみひとのコメント ★ 
 死後の世界についての書籍は、当サイトでもずいぶんたくさん紹介していますが、この本はその中でも特に学問的なアプローチがなされた本として取り上げてみました。
  「エーテル体」「アストラル体」「メンタル体」といった言葉は説明がむずかしく、そのまま覚えていただくしかありません。日本語では「幽体」「霊体」「本体」などと訳されていますが、いずれにしてもイメージしにくい言葉ですので、文章を何度も読んで理解していただきたいと思います。
 
 超感覚的に知覚する

 私たちが自分の周囲の事物について知っていることのほとんどは、人間の五感――つまり触れる、味わう、嗅ぐ、見る、聞く、という五つの感覚によって得られたものです。世界と宇宙について、私たちが知っていると思っていることのすべては、この五感のうちのどれかを通じて伝えられたものです。私たちは、これらの感覚器官によって、われわれをつつみこんでいる宇宙について、正確に、確実に、また厳密にとらえることができる、と信じこんでいます。しかしこれは、誤った確信なのです。
 たとえば、視覚について考えてみましょう。私たちの目は、自分のまわりに起こっていることのほんの一部分しか見ることはできません。私たちの目は、可視スペクトルとよばれる非常に狭い範囲の波長の光を反射する物体しか知覚することができません。科学的な実験では、私たちの限られた感覚器官では探知できない波長で、私たちのまわりに多くの現象がたえず起こっていることが示されております。

 私たちが「現実」と呼んでいるものについて、人間の耳が伝えてくれる情報の場合も、同じようなことが言えます。人間は、成人で最も敏感な聴覚をもっている人でも、1秒間に20サイクルから1万6千サイクルまでの範囲の音波しか聞くことができません。人間より犬の方が、広い範囲の聴覚をもっています。ご存じの通り、猟犬を呼ぶ「犬笛」は、人間の聴覚では聞こえない音を出します。

 今日、世界各国に、「正気」の人には聞こえない声を聞いたために、精神病院に閉じこめられている人たちがいます。彼らは、そういう(声を聞くという)罪を犯したために、監禁されているというわけです。事実、そういう「声」は存在しないのだから、それを聞いた人は気が狂っている、ということになるのでしょう。
 ところが、そういう声は実在するのです。ただ、ふつうの人には聞こえない、というだけなのです。あなたの声は、お母さんが「ちょっと手伝って‥‥」と呼ぶ声を聞き取ることができます。ところが、あなたがいるその部屋はその時、テレビやラジオの放送局からきた電波でいっぱいなのに、その声は聞こえないのです。この部屋はまた、かつてあなたと同じように身体をもって生きていた霊的存在の声でいっぱいなのに、あなたにはそれも聞こえません。そういう「声」の周波数は、人間の耳に聞こえないラジオやテレビの電波より、もっともっと高いのです。
 この世界、そしてこの宇宙の中にあるすべてものは、エネルギーから生まれたものです。このエネルギーは、一定の周波数をもった振動として現れています。
 私たちがしゃべっているとき、空気の分子に加えられる音のエネルギーは、1秒間に数千サイクルの、非常に低い周波数をもっています。ラジオですと、1秒間に何十万サイクルもの周波数の波動をとらえることができます。電話になりますと、国々を越え、海を渡り、宇宙飛行士とも会話できるくらいになりますが、これには何百万サイクルという周波数に達するエネルギーが使われています。可視光線の周波数は、だいたい12兆サイクルです。さらに、X線、ガンマ線などになりますと、もっと高い周波数をもっています。

 空間でいっぱいの身体  [TOP]

 私たち人間の身体という物体は、実は空疎なのです。というのは、物質の本性について今日明らかにされているところに従って考えてみると、身体が占めている容積の99パーセント以上は何もないすき間であるということになるのです。(空間にはエーテルその他の物質が存在するという可能性は除きます)
 イギリスの科学者であり司祭でもあった故アンドルー・グラゼウスキーは、このことを次のように説明しています。

 1つのたとえを用いて説明しよう。いま仮に、手から1つの原子を取りだしたとしてみる。そして、原子の核の部分がリンゴくらいの大きさをしているものとする。では、となりの原子はどのあたりにあるかというと、実に2000キロから3000キロくらい離れているのだ。
 このスケールでわれわれの肉体というものを考えてみると、そこには何百万兆という原子が何十億もの銀河系を構成している1つの広大な宇宙を見ることになるであろう。核はエネルギーの中枢であるから、もしこれらの原子の核が光り輝いているとすれば、私たちの前に現れてくるのは、想像もつかないほど広大で、無数の星がきらめいているような空間であろう。
 われわれの肉体は、ほんとうは原子という形をした小さなエネルギーの中枢が、広い間隔をおいて拡散している広大な「空間」なのである。たった1つの細胞の中にさえ、原子からなる何百万もの銀河系が含まれているのである。


 憑依(ひょうい)と霊  [TOP]

 憑依――悪魔や霊が人間にのりうつったり、外部からその人間に働きかけて、一定の行為をさせること。
 霊の支配――何ものかに支配されている状態(たとえば、自分以外の人間、悪魔、情熱、観念など)。ある人間のふだんの人格が他の人格と取り替えられた状態。

 人間の心や魂は、何らかの原因で死を迎えたとき、ごく自然になめらかにその肉体から離れますので、その人自身も何が起こったのか全く気づかない、という場合がよくあるのです。死んだとき、多くの人びと(とくに霊的な事柄について知識のない人)は、自分が別な存在の次元に移ったということに全く気がつかないのです。
 彼らは実際は、ある一つの領域にいるのです。今日ではその領域をアストラル界と呼んでいます。この領域は、さらにいくつかの層(レベル)に分かれています。私たちは肉体を脱ぎ捨てたあと、たいていは3日以内ぐらいで、「自分はアストラル界の中の一つの層にいる」ということに気がつきます。この場合、アストラル界の中のどの高さの層に住むようになるかは、地上で生活していたとき、その人間がどういう行為をしたかによって決まります。
 何層にも分かれたアストラル界の最下層は、この地上の世界に浸透していて、私たちの住んでいる世界と重なり合っています。私たちは、私たちの感覚器官でとらえられたこの世界が、いかにも堅固で、物体が充ち満ちているように思っていますが、それは私たちの感覚器官の能力が不完全なためにそう思われるだけだということを、現代の科学は示しました。私たちの肉体も99.99999パーセント以上は何もない空間であることがわかっています。ですから、肉体を離れた霊が私たちと同じ空間に住んでいられるはずがないという考え方を捨ててみてください。生きている1人の人間の肉体に、何人もの死んだ人間の霊が入り込むことだってできるのです。
 新約聖書には、ある1人の男にとりついたたくさんの「悪霊たち」を、イエスがその男の肉体から追い出して、豚の群れに乗り移らせたという有名な話(マルコによる福音書)があります。

 死によって罪人が聖人に変わったり、愚者が賢者になったりすることはありません。人はだれでも、生前の信念、習慣、欲望、まちがって教え込まれたこと、宗教的信条などをそのまま死後の世界まで持ち込んでゆきます。「死後の世界などない」と信じている人びとは、自分たちが出会うものに対して全く何の準備もできていません。
 肉体を離れてアストラル界の最下層にやってきた魂は、自分の肉体がなくなっていることに気づき、まわりには暗闇が広がっているように感じてあわてます。少数の魂は、意識的あるいは無意識的に、肉体をもっている生者から発散されている磁気的オーラの光にひきつけられ、その人間にとりつくことによって自分を表現しようとします。
 そういう場合、とりつかれた人たちは、その霊の持っている考えや感情から影響を受けてしまい、自分自身の意志の力が弱くなってしまいます。こういう霊の支配が非常に強いと、それにとりつかれた人は霊の意のままに操られてしまい、心の混乱や苦しみに悩まされるような状態になる場合もあります。
 これは、現代の精神医学では、まったくといっていいくらい認識されていない事実です。

 多くの住居をめぐる旅  [TOP]

 私たちは、次にあげることには、はっきりした根拠があることを知りました。
 私たちは単なる肉体以上の存在です。
 私たちの精神と霊魂は、非物質的なものです。
 この非物質的部分には、私たちの記憶、霊魂、および私たち自身のきわめて個人的な人格特性が含まれています。

 これらの記憶、霊魂、および人格特性は、肉体の死後も存続できるし、現に存続しています。肉体が死んだ直後でも、生き生きと働いています。その様子は、親と先祖から与えられた肉体を一時的にまとっていた地上の生の場合と全く同じことです。
  ※ただし、死の直後しばらくの間は、休息したり、眠っているかもしれない。
 次に、私たちは、人間は肉体の死後も生き続けるという信仰を裏づけるために、過去何世紀にもわたる研究を振り返ってみました。その結果、死後の生の存続を示す強力な状況証拠がある、という結論に導かれました。
 しかし、まだいくつかの疑問が残ります。私たちが仮の住居であるこの肉体を捨てる日が来たとき、現実にどんなことが起こるのか、という問題は説明されていません。ですから、みなさんは、こうおたずねになることでしょう。「その時には何が起こるのでしょうか」「私はどこに行くのでしょうか」と。
 私たちは、あのナザレのイエスが語った「天なる私の父のもとにある多くの住居」のありかをつきとめ、確かめるのに役に立つ青写真や図表を必要としています。
 以下に示す基本的な情報の大部分は、信頼度の高い霊媒を通して、その「天上のいくつかの住居」に現在住んでいる存在たちによって、確証していただいたものです。

(1) 地上すなわち物理的次元

 あなたは現在、この地球の表面で、自分の肉体(物理的身体)をまとって生きていますが、同時に、この物理的身体の中に浸透しているエーテル的身体や、アストラル的身体の中でも生きているのです。エーテルとアストラルの体は非物質的で、複数の振動するエネルギー場を含んだ、より微細なかたちの一種の物質です。
 これらの非物質的な身体と物理的な身体は、今この瞬間も、ちょうど何百ものラジオやテレビの電波が同じ空間に浸透し合っているのと同じように、お互いに浸透し合っているのです。
 あなたの霊魂、人格特性、記憶などはすべてあなたのアストラル体の組織の中に含まれています。あなたの物理的身体とエーテル的身体が死ぬとき、「ほんとうのあなた」はあなたのアストラル体の中で、なお完全に生きています。
 あなたは、あなたの死後、数分から数日以内に、地上で生きていたときのあなたの生活の質にしたがって割り当てられるアストラル界の諸次元のどれかにいる自分を見出します。

(2) 最も低いアストラル次元

 ここは、聖書が「泣き叫び、悲しみ、歯がみしている外なる暗闇‥‥」と述べている世界です。暗く、陰惨で、危険に満ちた、ギョッとする世界には、どん欲や、自己中心的衝動、愛のない冷たい心、恨み、などにとらえられた人びとが住んでいます。彼らは、しばしば激しい肉体的欲求や欲望をもっています。ここにはまた、麻薬中毒者、性的倒錯者、アルコール中毒者、殺人者、自殺者などがいます。
 この領域には、人間の進化とはちがった進化の系列に属する、好ましからぬ「被造物」も住んでいます。この領域は、昔から、地獄、冥府、煉獄などと呼ばれてきたところです。地上で生きている人たちから発せられる磁気的オーラやアストラル体にとりつくのは、この次元にいる人間および非人間的存在のアストラル体なのです(いわゆる憑依)。憑依された人間は、異常な行動をとったり、狂人と診断されて精神病院に入れられたり、自殺したりすることがあります。

(3) 中間的なアストラル次元

 人は、物理的身体を離れてから数分、数日、ないし数週間たつと、この領域に「目が覚め」ます。(もっとも低いアストラル次元に行ってしまった場合には、目が覚めるのに数カ月、数年、時には数世紀もかかります)
 この次元は、まず病院とそのスタッフ、教育施設と教師をそなえた「休息とリハビリテーション」の領域です。病んだ霊魂には助けの手が差し伸べられます。心に傷を受けた人、突然死んだ人、頑固で誤った知的確信や感情的信念、信仰をもった人たちがその対象です。
 ここでは、体はまだ「物質的」ですが、肉体よりは高い振動数をもった、より微細な物質からできています。その状態は、各人の個人的好みに適応していて、ふつうはその人が地上の生涯で達した最盛期の姿をとっています。
 この世界では、お互いのコミュニケーションは思念と話し言葉の両方で行なわれます。各人は、霊的に成長を続けるように励まされます。人はこのような成長によって、より高いアストラル次元やメンタル体の次元へと向上してゆくか、そうでない場合は、地上の生活に戻ってさらに努力と個人的成長をとげるために、この領域からふたたび地上の肉体に宿る決心をします。

(4) 最も高いアストラル次元

 このすばらしい存在の領域は、クリスチャンがふつう「天国」と呼んでいるところに当たります。「常夏の国」とでも呼んだ方が適切かもしれません。そこには、苦しみや悩みは全くありません。愛による結びつきを感じて集まった人たちの幸福な集団や、似通った心をもつ人たちのグループがあります。それぞれの魂は、知的および霊的な意識において更に成長をとげるように、無限の機会が与えられ、励ましを受けます。地上の世界の活動に対する関心は減少します。天使たちと出会うのもここです。(天使は、人間とはちがった進化の系統に属し、人間を助けてくれる美しい存在です)
 ここには、広々とした展望、偉大な光景、壮麗なパノラマがあります。しかしながら、この世界に住む霊魂は、いつかは更に多くの経験を積むために地上の次元に戻るか、それとも「第二の死」を受け入れるか、ということを決めなくてはなりません。後の場合には、心と霊魂は、そのアストラル体を脱ぎ捨てて、新しい資格を与えられ、より高いメンタル体の次元に生まれ変わります。

(5) メンタル体の次元

 この領域では、個人の心と霊魂のより高い成長のために、無限の広がりが与えられます。ここでは、地球ばかりでなく、私たちの太陽系のほかの場所でも長い間かかって積み重ねられてきたすぐれた知恵をすべて得ることができます。
 ここには、嫉妬も、批判も、利己性なども全くありません。そこには完全な同胞愛があります。人間の発明、科学的進歩、詩歌、霊感に満ちた文章、美術、音楽などは、大部分はここで生まれ、そこから(私たちが直観と呼んでいるはたらきを通して)それを受け取る地上の心へと伝えられるのです。従って、この次元に住む存在たちは、より低い次元に住んでいる人たちの美しく善い活動を生み出す「原因」になります。
 この領域は、ふたたび地上でより多くの生活経験を積み、成長をとげるため、地上の世界へ再生するかどうかを選択する最後の機会になります。もし全ての条件が整えば、次の「天上の諸次元」に向かって最後の生まれ変わりをすることになります。

(6) 天上の諸次元

 これらの次元にある意識の状態は、現在地上に生きている人びとの理解をはるかにこえたものです。天上の諸次元は、キリスト教の神、仏陀、地上に生まれたその他の偉大な宗教的信仰の対象になっている神々たちの存在する場所です。聖書では「第三の天」と呼ばれています。

  ※ここでは霊の世界の低い層から高い層までを、いくつかの次元に分けて説明したが、例えばアストラル界と呼んだ3つの層は、それぞれの中に多くの(7から49?にも及ぶ)異なった波動のレベルを含んでいる。もっと高い層についても同じことが言える。

 これらの次元では、普遍的な神性そのものに接するための準備がなされます。また、太陽系をつくっている一般的な生命やエネルギーのさまざまなシステムについて知ることができます。あのナザレ人イエスは、このようなレベルにある意識を引き出すことによって、彼の「奇蹟」を生み出したのです。この道は、私たち自身にも開かれています。「私がするこれらのことを、あなた方は、これらよりもっと偉大なことも行なうであろう」とイエスが語ったとき、彼が言おうとしていたのはこのことだったのです。

 ところで、私たちは次のようにたずねます。「これらの次元とか、レベルとか、住居というものは、実際はどこにあるのですか。それらは宇宙のどこか遠く離れたところにあるのですか」と。
 とても不思議で信じられないかもしれませんが、ナザレ人イエスが語った次の言葉は、真理なのです。

 天国はあなた方の中にある。

 彼は、たとえ話をしていたわけではありません。問題は、過去2000年の間、人類とその科学が、彼の教えを理解できるほど、人間自身の存在の性質と、いわゆる物質的世界の性質について知ることができなかったということです。
 そうです、これらの住居、次元、レベル、休息の場所といったものが、遠く離れた空の上や、どこかの惑星や地球のかなたの宇宙空間の中にあるかのように想像する必要はありません。これらの諸次元は、大部分、今も私たちを取り囲み、互いに浸透し合っているのです。 
 
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