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『みすゞコスモス…わが内なる宇宙』 矢崎 節夫・著 JURA出版局 |
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【著者解説】
〔おまえも雲の上をゆく、/空の鯉だよ、知らないか。〕 この一節は、よく口ずさみます。みすゞさんがくれた応援歌のようで、大好きです。 “あなたはあなたで、いいのです”といってくれているようで、うれしくなります。 〔みんなちがって、みんないい。〕ということを、もう少し考えてみます。 この世の中には、同じものはひとつもありません。人はそれぞれちがうし、鰮もそれぞれにちがいます。顔だけではなく、それぞれ全部ちがいます。だから、生まれてきたのです。 “生まれるということは、ちがうということが前提”です。 それを「お兄ちゃんはできるのに、あなたはどうして」「さっちゃんはできるのに、わたしはどうして」と比べるのは、もったいないです。 あなたはあなたで、いいのです。 駅で切符を買おうとすると、百円玉を返してくる機械があります。何度入れても返ってくるので、ちがう百円玉を入れると、受けとってくれます。 機械でも、好き嫌いがあるんだと思うと、ゆかいになります。そして、好き嫌いの激しい自分のことを思い返して、ほっとします。 好き嫌いをしてはいけない、といわれると、私のような人は困ります。好き嫌いは、人の部分を見てする行為です。その人の全体を否定する行為ではありません。 好き嫌いはあっても、まるごと認めて、傷つけない。まるごと認めるということを心に止めておけば、好き嫌いも薄まって、いつか好き嫌いなんて考えなくなるような気がします。 ちがうといえば、“時間もちがう”のです。 十分で覚える子、三十分で覚える子、一時間で覚える子、二時間で覚える子、みんな時間がちがいます。 学校は子どもの覚える時間を、一定のところで切ってしまいます。その時間をこえる子には、先生がたくさん心を飛ばし、不平等に愛してくれないと、みんなが倖せにはなりません。 また、ちがうということは、感動したり、理解したりする融点もちがうということです。 一度で感動しとける人、百度でとける人、千度でとける人、すべての人は、氷ではなく一枚のガラスです。氷は零度でとけてしまいますが、ガラスは部分部分で融点がちがいますから、どろんとするだけです。 “人はみんな心の融点がちがう”と気づいてからは、人と話すのがとてもらくになりました。 今までは、相手がわかってくれないと、がっかりすることもありましたが、今は「相手の心の融点まで、私の温度をあげられなかったんだ。もしかしたらあと一度あげれば、ぱっととけてうれしくなれたのに、よし、明日もう一度あげて話してみよう」と思えて、すごく倖せです。 |
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