空 の 鯉 

  お池の鯉よ、なぜ跳ねる。
  あの青空を泳いでる、
  大きな鯉になりたいか。

  大きな鯉は、今日ばかり、
  明日はおろして、しまわれる。

  はかない事をのぞむより、
  跳ねて、あがって、ふりかえれ。

  おまえの池の水底に、
  あれはお空のうろこ雲。

  おまえも雲の上をゆく、
  空の鯉だよ、知らないか。
 
 
 『みすゞコスモス…わが内なる宇宙』
矢崎 節夫・著  JURA出版局
【著者解説】
 〔おまえも雲の上をゆく、/空の鯉だよ、知らないか。〕
 この一節は、よく口ずさみます。みすゞさんがくれた応援歌のようで、大好きです。
 “あなたはあなたで、いいのです”といってくれているようで、うれしくなります。
 〔みんなちがって、みんないい。〕ということを、もう少し考えてみます。
 この世の中には、同じものはひとつもありません。人はそれぞれちがうし、鰮もそれぞれにちがいます。顔だけではなく、それぞれ全部ちがいます。だから、生まれてきたのです。
 “生まれるということは、ちがうということが前提”です。
 それを「お兄ちゃんはできるのに、あなたはどうして」「さっちゃんはできるのに、わたしはどうして」と比べるのは、もったいないです。
 あなたはあなたで、いいのです。

 駅で切符を買おうとすると、百円玉を返してくる機械があります。何度入れても返ってくるので、ちがう百円玉を入れると、受けとってくれます。
 機械でも、好き嫌いがあるんだと思うと、ゆかいになります。そして、好き嫌いの激しい自分のことを思い返して、ほっとします。
 好き嫌いをしてはいけない、といわれると、私のような人は困ります。好き嫌いは、人の部分を見てする行為です。その人の全体を否定する行為ではありません。
 好き嫌いはあっても、まるごと認めて、傷つけない。まるごと認めるということを心に止めておけば、好き嫌いも薄まって、いつか好き嫌いなんて考えなくなるような気がします。
 ちがうといえば、“時間もちがう”のです。
 十分で覚える子、三十分で覚える子、一時間で覚える子、二時間で覚える子、みんな時間がちがいます。
 学校は子どもの覚える時間を、一定のところで切ってしまいます。その時間をこえる子には、先生がたくさん心を飛ばし、不平等に愛してくれないと、みんなが倖せにはなりません。
 また、ちがうということは、感動したり、理解したりする融点もちがうということです。
 一度で感動しとける人、百度でとける人、千度でとける人、すべての人は、氷ではなく一枚のガラスです。氷は零度でとけてしまいますが、ガラスは部分部分で融点がちがいますから、どろんとするだけです。
 “人はみんな心の融点がちがう”と気づいてからは、人と話すのがとてもらくになりました。
 今までは、相手がわかってくれないと、がっかりすることもありましたが、今は「相手の心の融点まで、私の温度をあげられなかったんだ。もしかしたらあと一度あげれば、ぱっととけてうれしくなれたのに、よし、明日もう一度あげて話してみよう」と思えて、すごく倖せです。
 
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