人生は霊的巡礼の旅
スピリチュアリズムの死生観

 まえがき

 “人間”とはいったい何なのだろうか。今こうして意識している“自分”とは何なのだろうか。これは、誰もが一度は抱く疑問であろう。
 私も、一人前に、高校生のころからそうした疑問を抱きはじめた。が、それが心の片隅でちらつきながらも、身体的には溢れんばかりのエネルギーに駆られてスポーツに熱中し、精神的には旺盛な向学心に駆られて、受験勉強に明け暮れていた。
 その疑問への回答のようなものが、高校三年生の時に、一人の霊的指導者との出会いによって、一つの手掛かりを得ることになる。十九世紀半ばから英米で注目を集めはじめた“スピリチュアリズム”と呼ばれる霊的生命思想に関する著作を読んだことがきっかけである。むろん翻訳書である。が、教科の中でも英語が抜きんでて得意で好きでもあった私は、その訳文の流暢さに感服し、ぜひともこれらの原書を独力で読破してみたいと思うようになった。
 思想の内容もさることながら、それを英文で読み通したいという願望の方が強かったわけで、言ってみれば“語学的ロマンティシズム”のようなものにすぎなかったが、それが私の人生に大きな意味をもつことになる。
 その願望が大学進学へ拍車をかけ、一年後には首尾よく英文学科へ入学できた。そして奇遇というべきか、その大学における一年次の「英書講読」の担任の教授が熱心なクリスチャンでありながらスピリチュアリズムにも関心をもっておられて、ある経緯で私はその教授のご自宅に招かれた。そして、そのご自宅の書棚にあったスピリチュアリズム関係の原書をお借りして帰って下宿で読んだのが、原書との最初の出会いとなった。
 さらに三年次に、「エリザベス朝文学」の講座でシェークスピアの講義を聴いて、翻訳の極意のようなものを垣間見る思いがして、四年次には迷わず「翻訳論」を専攻した。かくして、スピリチュアリズムの翻訳・紹介という私の人生コースが、その時点で方向づけられたようなものだった。
 以来、今日までの三十年余りの間に私が訳出したスピリチュアリズムの著作は、五十冊近くになる。その一冊一冊が、私にとっての“求道の旅”の一里塚であったといってよいであろう。
 本書で私は、その旅で得た知識を総合的にまとめて、スピリチュアリズムと呼ばれる生命思想がいかなるものであるかを紹介してみた。読者は、これまでの思想的遍歴いかんによって様々な受け止め方をなさるであろう。が、とまれかくまれ、その思想が各界の世界的な学者による調査・研究によって裏付けされたものであることだけは、私が確信をもって断言しておきたい。
 
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