poem

使  徒 
梅田 智江 
 

終末の日は来る
それも遠くない未来に
そうわかったとていまさら
わたしになにができる
そう わたしはあなたたちのように白い人々ではないから
使徒などということばから遠いのだ
あなたたちは力で先住民を殺し
盗んだ土地に力の文明をそびえさせ
世界一強い国になった
あなたたちのタマシイがどこにあるのかしらない
ただわたしたちはあなたたちのようになりたくて
百年
がむしゃらにあなたたちの後を追い
ついにマネーを至上にして
世界一醜い国になった
そう
わたしも年をとった
今はもう
わたしたちの好きな
努力や忍耐や勤勉からも
放免され
来たる終末の日々を
その日が来ないことを祈りながら
待ちたいのだ
その日がいつかわからないけれど
その日を止めることはできないのだから
その日がくるまでは
その日は来ないのだから

はい色の薄暮の空の下
遙かに渦巻く海をみつめながら
陸に逃げ帰ることもできず
かといって飛び込むこともできない
断崖の淵で
首垂れて
折れ曲がったナイフの姿勢で
待つ
熱くもなく冷たくもない
永遠に温まらない風呂に漬かっているような
それがいつまで続くかもわからぬ
宙吊りの時間を
またとないその時間を
いっさいをただ明晰に視ようとして
待つ
それがわたしの意志だ

わたしは死ぬ
それも遠くない未来に
わたしたちにあなたたちのような神はなく
使徒などということばからも遠く
ヒトの力の及ばない
おおいなるもの
その名をカミと呼ぶこともあるが
わたしたちのカミは
いたるところ
無慈悲と慈愛に満ち
大自然という名で満ちていたが
あなたたちのようになりたくて
売ったのだカミを
大自然を
だがまだ息の根を止めてはいない

ヒトは死んで自然に帰る
そうではない
ヒトも始めから自然なのだ
そうだヒトは始めから自然なのだ

終末の日は来る
あなたたち白い人たちがその日を先導した
自然とともに生きるヒトたちを野蛮だと嘲り
ときには虫けらのごとく虐殺し
欲望は果てることがなく
この星を消費しつくそうとして
すべて水を飲むものはまた渇くべしと
川はみな海に流れる海は満つることなしと
あなたたちの神は教えたが
マネーを神とした
世界一醜いわたしたちは
唇から水があふれ落ちていても
涙を流しながら飲むことをやめない
そう
ヒトは自身の首を自身で締める
不思議な生物
邪悪な火に狂っていく
その宿命の業の深さに
おびえおののき
あなたたちは神を創り
その名を利用したにすぎぬ

ヒトの絵姿は
ゴヤの描いた「わが子を喰らうサトウルヌス」だ
その恐怖と絶望にひん剥かれた両目を見よ
ヒトはサトウルヌスのごとく暗愚に満ちているが
その絵姿を描ききる偉大をも秘めているが

結局のところヒトはこの星にとってガン細胞だ
今では
1秒に3人ヒトが増え続け
1秒に30万人の致死量の放射性毒物がつくられ続け
かつて白亜紀の頃
一つの種が滅びるのに1千万年かかったのが
1年で4千万の種が滅びていくという
ヒトは自然でありながら自然を滅亡に導く
不思議な生き物
生き延びるためにガン細胞が
ついにその宿主を喰い殺さねばならぬように
だが殺せばガン細胞も死ぬしかないのだ
シェルターも他の星に移ることも遺伝子操作も
屠殺された牛の尻の穴から
先を争って逃げ出す寄生虫
死にいこうとするからだから
いっせいに離れる虱や蚤とおなじ

恐がらなくともいい
無知な希望も無知な絶望も抱かず
永遠に滅びない種などないのだから
この星がいちばん生きやすいのだから
まだ残されている自然のなかで
ほかの種が生きのびるのを歓びとしょう
走るのをやめよう
白い人たち
白い人ばかりを追いかけてきたわたしたち
バナナと呼ばれている恥ずかしいわたしたち
走り続ければわたしたちのこども窒息し
今より激しく反乱するだろう
こどもたちの酸鼻な叫喚みたくないなら
しがみついたものから手を離そう
もうわたしたちはお腹はくちくなったのだから
のぼりつめてしまったのだから

インディアンはどうしてあのように気高い顔をしているのか
バリ人はどうして毎日お祭りをするのか
インド人はどうしてあんなにゆったりしていられるのか
アフリカ人のおんがくは
どうしてセクシーで踊りたくなるのか
チベット人はどうして五体投地するのか
アイヌや沖縄のヒトたちはなぜ強くて優しいのか

この星にはまだ自然とともに生きている
野蛮でない高貴なヒトたちがいる
樹の息遣いを感じるように
彼らを感じたい
わたしにまだ残っているだろうか
やわらかくとうめいにひらいていくアンテナ

そう
もはや私は若くはない
わたしのココロに死は日々親しい
近づく滅びの日を思うからこそ
今をナチュラルに生きたいのだ
わたしのからだの自然とわたしのそとの自然とが
いりまじり交感する
その深い歓喜を味わいたいのだ

そのために
なにもしないこと
今日までわたしたちが忌み蔑んできた
なにもしない時を遊ぶこと
いや
わたしはただ怠け者でありたいだけだ
そのように強いるものから
暇が淋しいと走りまわるヒトたちから
己を喧伝するのに忙しいヒトたちから
すこしでも遠く
すこしでも自由でいたいだけだ

そう
わたしたちはひとりとなり
家族の住む家から離れ
家賃三万三千円六畳一間の風呂無しアパートで暮らしていて
ビンボーにも
サビシサにも
もう
慣れた
そうして
あふれる消費文明からすこうし
あふれる情報文明からすこうし
離れていると
必要なものはごくわずか
大切なことはごくわずか
そんなふうに思えてくる
たぶんナチュラルになるにはシンプルになることだから

人からみられない場所にいても
わたしは視つづけ
肉体の自然のままに変容する
からだが終わるまで
ココロは終わらないから
旅はいつも途中なのだ

旅の途中のアパートでは
ベランダの下が空き地の庭で
樹齢三百年ほどの大イチョウの巨木が
剪定されていないがゆえにゆったりと枝を四方に伸ばし
ひたすら濃い緑陰の夏
秋には透明な窓ガラスをまっ黄に染め実を落とし
裸形の冬は空を深くし
すばらしいスピードで変化する芽吹きの春
眼を挙げればいつもそこにいる
しずかに
あくまでもしずかに
この樹をみていると充たされる
なにもしない時を遊んでいられる
眠りにつくのに酒や睡眠薬を手放せなかったわたしだったが
この部屋ではすぐに眠れる
とてもよく眠れる

大家さんは
少し離れたところに住んでいる一人暮らしのおばあさん
おばあさんはいう
こんなおおきな樹こわくて切れないさ
いのち殺すみたいでねえ
お金にこまってもさら地にできないさ

こういうヒトがいるかぎりわたし自暴自棄にならない
まっとうなヒトは
たぶんこんなふうにひっそりと
おおきな島やちいさな島でできているこの火山列島に
散らばって
たにんをさすことも己をさすこともなく
しずかに
あくまでもしずかに
使徒などということばからかぎりなく遠く
そんなことばが滑稽にひびく位置で
自然のカミとごく自然に
生きているにちがいないのだから

 
 
『現代詩手帖』1997年10月号より。 
 
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