人は何のために祈るのか? E

 
何のために祈るのか――祈りの目標

 祈りは自分またはそれ以外の存在の幸せの実現のために、見えない世界に働きかける手段として行なうものだと定義しました。つまり、祈りはある目標を実現するための「手段」だということです。ここでは、このことの結論づけはいたしませんが、祈りに手段的要素があるのは確かです。
 では「祈り」という手段を使って、自分または自分の大切に思う存在の幸せのために実現させたいもの、つまり祈りの目標にはどんなものがあるのでしょうか。
 冒頭のところで例に出しました「家内安全」「商売繁盛」「五穀豊穣」「無病息災」といったことや、「病気が治る」「受験に合格する」「愛する人と結ばれる」「試合に勝つ」といった内容、あるいは「スポーツ選手になる」「政治家になる」「歌手になる」なども祈りの目標となります。
 中には、世界の平和を願ったり、この地球の環境汚染が改善されることを願う祈りもあります。人の心のレベルに応じて、祈りの目標のレベルも違ってくるのです。優れた宗教が教える究極の祈りは、「他人のために祈れ」「全体のために祈れ」ということです。さらには「日々の生活を祈りそのものとせよ」という教えに行きつきます。つまり、日常生活の中で「神さま」の生き方を実践せよということです。
 瞑想したり、お経を唱えたり、護摩を焚いたり、‥‥といった特別の祈りのスタイルをとらなくても、日々の生活のなかで「神さま」の意図を体現して生きていれば、それがそのまま祈りになるということです。波動の法則で考えれば理解しやすいかもしれません。祈りを効果的にするためには「身・口・意」を総合的に活用することが大切であると述べましたが、これは祈りの波動を強化するための手法ということができます。
 その波動が見えない世界に影響を与え、それに見合うものを引き寄せてくるということです。その引き寄せてくるものが、お金や地位、名誉などの世俗的なものであれば、その祈りを発信した人の波動はそのレベルということになります。
 つまり、祈りの目標として何を選ぶかによって、私たちの波動のレベルがどの程度のものであるかを知ることができるということです。このことを理解していただくために、次に面白いたとえ話で考えてみたいと思います。
 
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