身魂磨きとは心と言葉の制御
2012年7月掲載分を再編集しました 
 
  2012年の5月末から始めたTwitterは、最近は開店休業状態ですが、最初のころはそこそこつぶやいていましたので、気がついたら膨大なツイート量になっていました。一定量の関連するツイートごとに当欄に掲載してきましたが、多少の手直しをして、もう一度ご披露したいと思います。今回はその第1回です。

 「ふだんの心」を制御する

 心(ふだんの心)の動きを制御するためには、自分の心の動きを、もうひとりの自分の眼で第三者的に見ることが大切です。しかしながら、心は常にころころと動き回っていますので、その動きをとらえることはなかなか難しいものです。

 自分の心の動きをとらえる方法として考え出された手法が瞑想です。仏教の座禅も同じ手法と言ってよいでしょう。姿勢を正し、呼吸を整え、瞑目して、頭の中に浮かぶ様々な思いを冷静に眺める訓練をすると、自分の心の癖をつかむことができます。

 ただし、自己流の瞑想はお勧めできません。特にこの終末の時代においては、異次元と現界を隔てる次元の壁がだんだん薄くなっていますので、自分の心の粗い波長に合う異次元の低レベルの存在(低級霊)に干渉され、最悪の場合は脳をに異常を来す恐れもあります。

 やはり、信頼できる指導者の指導を受けながら練習を重ね、正しい瞑想法を身につけることが大切です。私の場合は、若かりし頃、ハウツー本に書かれているやり方を参考に自己流で瞑想を行なって、幽体離脱や金縛りなども経験しました。今考えるとぞっとします。

 瞑想という方法に頼らずに自分の心の動きを知る方法として、一日の反省を日記につけることをお勧めします。嬉しかったこと、腹立たしく思ったこと、悲しかったこと、などなど、心を動かしたことを思い出して、そのとき自分がどのような気持ちになったかを記録します。

 「赦す」ことの大切さ

 善くない心の癖を改め、好ましい心の癖を身につける方法について解説します。まず「赦(ゆる)す」という方法について――。「他者(他人、世の中)を赦す」。それから「自分を赦す」「過去の出来事を赦す」などが考えられます。不満や憎しみ、恨みの対象となるものを赦すということです。

 「あの人だけは赦せない」「あのときのことは赦せない」などと、誰でも一度か二度は思ったことがあるのではないでしょうか。そして実際にその対象となる人や出来事をいつまでも恨みに思っている人がいるものです。これは魂にとってはもっとも好ましくない心の癖と言ってよいでしょう。

 恨みに思う他人を赦せないのはなぜでしょうか。自分がその相手に傷つけられた(損害を与えられた)という被害者意識からくる場合が多いでしょう。それなのにその相手はそのことを反省していないので、せめて悪口を言ったりして腹いせをしているという構図です。

 心理学的に見れば、自分でそれほど強く意識してなくても、恨みに思う相手がなんらかの不幸な局面に陥ることを望んでいる場合がほとんどです。その気持ちを持ち続けると「不幸を願う気持ち」が「奥の心」に刻まれていき、「岩に書いた文字」となって消すことができなくなってしまいます。

 「奥の心」に刻まれた「人の不幸を願う心の癖」が、好ましくないカルマとなって、同じ波長の運命を自分に引き寄せます。「恨み心」に対しては「恨みに思うような出来事」を引き寄せるのです。「泣き面に蜂」という諺の通りです。

 恨みに思う人を許す場合は次のように考えるとよいでしょう。「あの人も私と同じように進化の途中段階なのだ。まだ気づきが不十分なために私に対してあのような態度をとったのだ。いずれ自分の間違いに気づくときがくるだろう」。

 人を裁かない

 「赦す」ことの次のステップは、「いま私が裁いてあげなくても、あの人の進化に必要な裁きは寸分の狂いもなく与えられるのだから、それは天(宇宙の法則)に任せればよい」と考えることです。「天網恢々疎にして漏らさず」。

 ただし、相手に天罰が与えられることを望む気持ちはよくない波長でありマイナスのカルマとなります。自分にとっても相手にとっても、進化のために必要なことが起こっているのですから、そのことを不満に思わずに受け入れることが大切だということです。

 頭ではわかっても、どうしても赦しがたい場合はどうすればよいでしょうか。「自分が発した恨みの念は倍返しで自分に返ってくるが、それを甘んじて受けようではないか」と覚悟を決めることです。そして自分に降りかかってくる不運な出来事を楽しむ気持ちになれるのであればそれもよいでしょう。

 恨みに思う相手が、たとえば東日本大震災の原発事故の責任を負うべき政府や東電の場合はどうなるでしょうか。「政府や東電を恨んだり、批判したりしてはいけないのか」と思われるかもしれません。その答えは直前のツイートで述べた通りです。倍返し覚悟で怒りと恨みの念を発信するということです。

 「恨みの念」を発したことによって起こるのは「自分が他人から恨まれる」というブーメランの法則と、「ますます恨みに思うような出来事が起こる」という引き寄席の法則が働きます。カルマの法則でいうところの「波長が同調する」ということはそういうことです。

 「他人の悪口を言うと自分も他人から悪口を言われる」ということであれば、「他人から悪口を言われてもへっちゃらだよ」と居直ることもできますが、「ますます他人の悪口を言いたくなるようなことが起こる」となると、ちょっと嬉しくないのではないでしょうか。

 他の人を恨みに思わないための究極の処方箋は「自分がこの人生で体験していることはすべて(自分の進化のため、気づきのために)必要なことなのだ」と考えることです。もちろん、恨みの対象となる相手にも同じことが言えます。

 他人に対する恨みの念が極限まで行きますと「呪い」となります。相手に与えた呪いの念は自分に返ってくるのがカルマの法則です。「人を呪わば穴二つ」。穴とは土葬用の穴のことです。相手を呪い殺した結果自分も埋葬されることになるので穴が二つ必要になるという怖い話です。程度の差はあっても他人を恨みに思うことの恐ろしさを教えています。

 言葉を制御する

 言葉は気持ち(ふだんの心)を表現しているものですが、口癖となっている言葉の場合は潜在意識(奥の心)の中身と見るべきでしょう。「ちくしょー!」とか「死ね!」といった激しい言葉が口癖になっている人は相当なマイナスのカルマを抱えていると言わなければなりません。

 人や組織、団体に対して攻撃的な発言をすると一時的には気持ちがすっとするかも知れませんが、後味は悪いはずです。他の悪口を言っても問題は何一つ解決しないからです。しかも、人や組織を悪く言うことで、さらにマイナスのエネルギーを送っていることになるのです。

 ふだん何気なく使っている言葉でも、繰り返していると口癖になります。同時に心の癖となり、潜在意識に刻印されるのです。その潜在意識に刻まれた心の癖が私たちの運命を左右します。好ましくない心の癖を作らないためには、まずは言葉を制御することが大切です。

 そうは言っても、私たちは長い人生経験の中で、あるいは輪廻転生を繰り返すなかで、好ましくない心の癖をいくつか身につけているはずです。その奥の心の中をすっきりさせること(身魂の洗濯)が終末の卒業試験ということになるのです。

 自ら進んで身魂の洗濯に取り組むか、それとも地球レベルの大変動の中で強制的に洗濯させられることになるか、それによって魂の次の住処が決まるというのが終末の意味なのです。どちらを選ぶかは個々の魂に任されています。
 
 
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