肉を食べる習慣を
やめましょう
2020年6月24日(水) 
 
 
  終末の大峠に関する日月神示のなかに、「肉を食べてはいけない。肉を食べる者は共食いをすることになる」との警告がたびたび出てきます。
 最初は私も軽く読み飛ばしていました。私は肉は食べませんし、これは特殊なケースとして語られているのだろうという認識だったからです。
 しかし、何度も読んでいるうちに、どうもこれは大多数の肉食者が陥る危険性を述べている神示ではないかと思うようになったのです。特殊な事例ではなく、肉食の習慣を身につけたほとんどの日本人が、巨大地震後に訪れる深刻な食料危機のなかで、お腹を満たすために死んだ人間の肉を食べてしまうことになるということです。
 飢えに苦しんでいるときに、誰かに動物の肉だからとすすめられて、つい口にした肉が実は人の肉だった――というケースは十分にあり得るからです。しかし、共食い(人が人の肉を食べること)をしてしまうと、それは奈落に落ちてしまうということです。ライオンでも同じ猫科の動物(たとえばヒョウ)を殺しても肉は食べません。宇宙の摂理はそのようにできているのです。
 その摂理を犯すことがあってはならないので、日月神示の神様は、日本民族に「共食い」の過ちを犯させないために、「肉を食べてはいけない」と繰り返し警鐘を鳴らしておられるのでしょう。
 ここはまじめに受け止めたほうがよいと思います。魂に取り返しのつかない傷をつける恐れがあると思うべきです。そういう理由で、私も「肉食の問題」を終末の生き方の大事な項目として取り上げているのです。
 ぜひ、そのような観点から拙著『日本沈没最終シナリオ』の内容に目を通してください。

 肉を食べる習慣をやめましょう。

 戦後、医学が進歩したにもかかわらず、病気または病気予備軍としての日本人の数は増える一方です。その原因が日本人の食生活の変化にあることは既に明らかになっていますが、いまや肉の生産者も病院も薬品メーカーも、そのことで成り立つ社会構造になってしまいましたので、たとえ肉食が人の健康にとって悪いとわかっていても、もはや国を挙げて肉食を中止することはできないでしょう。私も、ここで健康の観点から肉食をやめましょうと言ってるわけではありません。
 肉食は人の魂を動物的波長にしていくことが問題なのです。結果として、善くないカルマを積み上げることになると思うからです。動物は生存本能がありますから、基本的には「我善し」です。そうでなければ種は維持できないのです。自分たちの種を守るため、防衛本能(恐怖心と攻撃心)が磨かれています。それはすなわち「我善し」の波長なのです。それでも、いま終末の時代に、動物のような生き方でもかまわないという人は、肉食をやめる必要はないでしょう。
 そもそも世界支配層は、私たち人類を扱いやすい家畜と扱いにくい家畜に分け、扱いにくい家畜はこれから殺処分していこうと考えているわけですから、家畜のように飼われることに抵抗感がなければ、世界支配層についていく人がいてもおかしくはありません。しかし、それは動物的生き方に近づくということで、人の魂の進化とは逆方向です。
 肉食を続けている人は、大なり小なり肉食動物の持つ性格を帯びていきます。今日的な言葉では「キレやすくなる」ということです。また、自己防衛本能が強くなるため、敵味方を分ける習性が身につき、自分のグループ以外の人には冷たい人が多くなります。また、お金持ちや肩書きのある人には媚び、自分よりも目下の人に対しては偉そうに振る舞う傾向が強くなるのです。動物が、自分より強いかどうかを判断して、攻撃したり、逃げたりするのと同じです。
 ただし、肉食動物は残酷なように見えますが、餌となる草食動物の異常繁殖を抑え、自然界の秩序を守る働きをしているのです。彼らは自らの空腹を満たす以上に餌となる草食動物を殺すことはしないからです。
 それに比べますと、西洋文明を世界中に広げてきた世界支配層は、アメリカ大陸を初めアジア、アフリカの民族の大虐殺を繰り返してきました。まさに肉食動物もビックリするような動物的波長です。いま日本が彼らの策謀によって侵略国呼ばわりをされていますが、戦前の日本人であれば決して彼らのような残酷で卑怯なことはしなかったはずです。
 また西洋文明は、人間中心主義と科学万能主義で自然界を征服しようとして自然破壊を続けてきました。そのような「我善し」の西洋文明が、そろそろ臨終を迎えつつあるのです。そういう意味では、彼らが終末の到来を早めてくれたということもできます。
 日本の神示は「日本人に肉食(にくじき)はならぬ」と厳しく戒めています。しかも、肉食を続けていると、終末の食糧危機のなかでは「共食い(人間が人間の肉を食べる)になるぞ」とまで警告しておられるのです。終末における「身魂磨き」の大切なポイントの一つと言えるでしょう。


 肉は、人間にもっとも近い哺乳動物の体を食用に加工した食べ物です。本来の生活環境とはかけ離れた不健全な環境で飼育され、殺された動物の苦しみ、恐怖心、悲しみの「心」が形になったものです。それを「おいしいね。栄養があるからいっぱい食べなさい」と子どもたちに食べさせ、学校では給食の定番メニューに必ず肉が使われるという悲しい国に成り下がってしまいました。
 そのカルマ(動物が味わった苦しみが返ってくるという形)は終末にまとめて、日本人全体に悲惨な運命として降りかかることでしょう。それは肉を食べない私も避けることはできませんので、もちろん覚悟しています。自分だけはその善くないカルマの影響は受けたくないと逃げ回るつもりはありません。
 しかし、私は餓死状態になっても、決して肉を口にはしない自信はあります。木の根をしゃぶってでも生きのびるつもりはしていますが、肉を口にすることはないと心に決めています。というか、もう今の私は肉を口にすることができないのです。
 これから「Xデー」までの短い期間で、いま肉を食べている人が肉断ちをするのは難しいかも知れません。しかし、最後までこの警鐘は鳴らし続けたいと思います。「肉は食べないようがよいです。魂を奈落に落とさないために」。
 ちなみに、「肉は栄養があるから食べたほうがよい」という教えは、西洋の「学(医学、栄養学)」が日本人に植え付けた最大の「悪」といえるものです。

 次回からは、「善いカルマを天の蔵に積む」というテーマに変えます。その第1回は「自分の持つ価値あるものを世の中に与えましょう」というタイトルにする予定です。
 
 
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