7つのチャクラ 
魂を生きる階段 
キャロライン・メイス  川瀬勝一・訳 
 サンマーク文庫
 

 第三の法則――自分の癒しを助けられるのは自分だけ

 気の医学はホリスティックな哲学をもち、こう教えている。
 「自分の健康をつくり出す責任は自分にある。ということは、あるレベルでは、自分が病気の発現にかかわっている。自分を癒すことで、病の癒しにかかわることができる。それは、感情的、心理的、肉体的、そして霊的な存在としての自分を同時に癒すことを意味している」
「癒す」と「治す」は同じではない。「治す」というのは病気の身体的な進行をコントロールできた、あるいは抑えられた、ということだ。身体の病気が治っても、もともと病気の一部であった感情的、心理的なストレスが軽減されたとはかぎらない。もしそうなら、病気が再発する可能性も充分ある。
 治す、というプロセスは受動的だ。患者は医師や処方される治療処置に、自分をいかようにしてもいいという権限を与えてしまう傾向がある。これに対し、癒しとは、自分から取りくむ積極的な内面のプロセスである。これまでのものの見方や記憶、信念などを見直し、自分が感情的、霊的に百パーセント回復する妨げになる否定的なパターンをすべて手放したいと欲することだ。この内面の再検証の過程で、明確な意志をもって生きる人生をあらためてつくり出そうとするとき、それは必ず自分のまわりの状況の見直しへとつながっていく。この意志とは、自分の人生についての真実、そして自分が気をどういうかたちで使ってきたのかについての真実を見すえ、それを受けいれられる意志であり、気を、愛と自己敬愛の気持ちや、健康を創造するために使いはじめようという意志のことだ。
 通常の医学で使われる言葉は、気の医学よりもずっと軍事的な響きをもつ。「患者はウイルスに襲われた」、あるいは「異物が細胞組織を侵し、悪性となった」といった具合だ。通常医学の考え方は、患者をいわれのない攻撃を受けた無垢の(あるいはまったく無力の)犠牲者として見る。
 通常医学の処置では、癒しの責任は医師のもとにある。患者の医師への協力は、処置の過程で、ある程度大切にされるが、その人のものの見方となると、とくに重要な関係はないと考えられている。薬と外科手術がほとんどの仕事を片づけてしまう。これとは対照的に、ホリスティックな療法を成功させるには、患者が自分の癒しの過程に百パーセントかかわっていこうという気持ちが必要になる。
 ホリスティック医学と通常の医学では、力についてまったく対照的な見方をとる。能動的な見方と受動的な見方だ。通常医学の処置と違い、視覚化のようなホリスティックな技法になると、積極的な患者は、さらにその効果を高めることができる。つまり、患者の意識と、療法(場合によってはセラピスト)のもつ力とのあいだに気のつながりが生じるのだ。「何でもいいから、とにかくやってくれ」という受け身の態度でいると、その人は完全には癒されない。回復はするかもしれないが、病気の源であったものにきちんと対処しないで終わってしまう可能性がある。
 
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