歴史書のなかには、アメリカ人の半数、つまり女性を、存在したことがなかったかのように扱っているものもある。探検家や貿易商、政治家や将軍について語られるとき、登場するのは男ばかりだ。初期のアメリカでは、女性はこうした職業のどれにもつくことができなかった。歴史において、女性は見えない存在だったのだ。
 アメリカへ入植したヨーロッパ人が従っていた法律や社会慣習は、女は男とは対等でない、とはっきりいっていた。父親や夫には、女性を支配する権利があったのだ。女性は抑圧されていた。つまり、自分の人生を自分でコントロールすることができなかった。女性の抑圧は、根絶しがたい問題である。

 男女不平等な社会

 アメリカの最初の入植地には、ほとんど男性しかいなかった。女性はもっぱら、妻、乳母、召使として連れてこられた。1619年、バージニアの植民地ジェームズタウンに、90人の女性を乗せた船が入った。彼女らは大西洋を横断する渡航費と引きかえに、一度も会ったことのない男と結婚することを承諾してやってきたのだ。
 年季奉公人として渡ってきた成人女性や、10代の少女も多かった。彼女らの暮らしは、奴隷の生活と大差なかったし、その仕事にはおわりがなかった。奉公しているあいだは、主人や女主人に服従させられ、性的な虐待を受けることも少なくなかった。『アメリカの働く女たち』という歴史書によると、女の奉公人は「わずかな賃金しか支払われず、しばしば荒っぽく無慈悲に扱われていた」という。
 黒人女性は、白人女性の二倍苦しむことになった。彼女らは黒人であるとともに女性だったため、さらに抑圧されたのだ。ある奴隷貿易商は、大西洋横断中の悲惨なありさまを、次のように報告している。

「わたしは、飲んだくれの監督者がはずしておかなかったせいで、他人の死体と鎖でつながれたまま、黒人の妊婦たちが子どもを産むところを目撃した。また、甲板には、一人の黒人娘がつながれていた。娘は買われて船に乗せられたあと、気かふれてしまったのだ。」

 自由な白人女性でさえ、辛酸をなめさせられていた。病気が蔓延し、治療も満足に受けられなかった時代に、出産して子どもを育てるのはたいへんなことだった。1620年、のちに巡礼始祖と呼ばれる人々とともに、18人の既婚女性が、メイフラワー号でアメリカへ渡ってきた。そのうち3人が妊娠していたが、1年もたたないうちに、14人が出産や病気で命を落としている。
 イギリスからもちこまれた考え方や法律も、女性を苦しめていた。イギリス法のもとでは、結婚すると、夫は仕える相手、つまり主人となる。そして夫には、自分の妻を監督するにはいかなる方法を使ってもよい、という法的な権利が与えられていた。妻に体罰を加えることさえ許されていたのだ(もちろん命を奪ったり、治らないようなけがまではさせられなかったが)。妻の財産と所有物は夫のものになったし、妻に収入があれば、それも夫の所有となった。
 当時ベストセラーとなったイギリスの本『娘への忠告』には、〈男と女が不平等〉であることは世の習いである、と書かれている。さらには、男とは立法者のような存在であり、物事を深く考える力、つまり理性という能力を女より多くもっている、ともあった。多くのアメリカ人女性もこの本を読んだが、女は男に劣る、という強烈なメッセージに抗して、自立の道を踏み出す女性が現れた。
 
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